じじぃの「人の生きざま_795_大林・宣彦(映画監督)」

大林宣彦監督「がんごときじゃ死ねない」 映画貫く厭戦

動画 asahi.com
https://www.asahi.com/articles/ASM784GTBM78PTIL017.html

大林宣彦 監督

大林宣彦監督 がんと闘い“戦争”を撮る

2019年8月29日 NHK
映画監督、大林宣彦さん、81歳。
大林監督といいますと、1983年に公開された「時をかける少女」を覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
一連の青春映画が大人気となり、日本を代表する映画監督と呼ばれるまでになりました。
ところが近年、大林監督が取り組み続けているのは、「戦争」をテーマにした映画です。
実は、大林監督は、3年前、がんと診断され、余命の宣告を受けました。
まさに今、命を削りながら、戦争映画の制作に取り組んでいます。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2019/08/0829.html

文藝春秋 2019年 10月号』

映画撮影直前に発覚したステージIVの肺がん 「余命3ヵ月宣告から3年生きた」 大林宣彦映画作家) より

「ステージ4の肺がんで余命3ヵ月」
そう宣告されてもう3年が経ちました。僕が楽天家だからか、がん患者という肉体的な自覚症状はいまだにありません。足腰が弱って移動は車いすになりましたが、それは歳のせい。身長も174センチあったのが、この3年ンで10センチあまり低くなった。面白いですね。昔なじみの俳優さんに会うと、皆10センチから20センチ縮んでいる。その中では僕なんかまだ”新人”です。
7月には広島原爆の日を前に、広島へ講演に行きました。戦争のことを伝えるために生かされていると思っているから、それをやめたら死ぬしかない。
ただその頃、食が細っていたんです。主治医の先生からは「栄養を摂ってください」と注意されていたのだけど、おちょぼ口で食べるのが習慣になっていました。それが広島に行ったら、やたらとご飯が進んだ。原爆に関する講演というある種の緊張感が良いように作用して、食欲を刺激してくれたんでしょうかね。僕は何でも良いように捉えるんです。
その機会にこう決めました。
「よし、明日起きたらいきなり大さじ2杯分のご飯を口に含んでみよう。大食いをしてみよう」
そしたら、体が大食いに応えてくれて。東京に戻ってからも食事の量が倍どころか、ご飯茶碗1杯だったのが3杯になったりしてね。60年以上連れ添ってきた(妻でプロデューサーの)恭子さんが協力してくれて、今では朝からスパゲティやカレーライスといったこってりしたものを食べる日もあります。おかげで夏バテは全然ありませんでした。
人間というのは習慣の生き物ですから、おちょぼ口をやめて大食い療法、というのはがん患者さんには大事なアドバイスだと思っています。
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ところが患者にとっては、自分の人生は1つです。患者一人一人が個性を持ち、自分の運命を持っている。「生きる」ということに対してもっと切実なんですよ。だから僕はよく「患者と医者がもっと理解し合うように、友人のように親しく付き合わないと、医学というものは進歩しませんね」と話すんです。
ただ、治療の中身については、先生に全幅の信頼を置いてお任せします。薬を別のものに切り替える時など、これで良かったのだろうかとあれこれ悩む人もいると思いますが、僕はそういうことは考えない。患者は良い患者に徹すること、というポリシーからです。そこを譲ったら医学不信になってしまいますから。
だからこそ、友達になれるようなお医者さんと出会うことが大事ですね。僕はもう病院の外にいる時でも、心の中でノブヒコ先生と会話をしているような状態です。コップに入っている水を見ても、「大林監督、そろそろこの水を飲んで下さい」と先生の声が聞こえてくる。「はい、飲みますよ」とその声に応えるのが日常になっています。
僕の知る人でも、患者を自分の美学で犠牲にするお医者さんによって亡くなった人がいます。患者の方は「僕は生きたい、もっとやることがあるんだ」と語っていたのに、ベテランのお医者さんが「いやいや、自宅療養で亡くなっていくのが人間の美しい生き方です」というようなことで殺してしまった。そんな悲劇を防ぐためにも、コミュニケーションが大事だと感じています。
僕が闘病でお友達になったのはお医者さんばかりじゃありません。がんとも仲良くなっちゃった。
表現者というのは対話者です。だから、僕は「おい、がんよ、お前さんも生きたいだろうから一緒に暮らしていこうよ」と体の中に語りかけるんです。「あと25年くらいなら俺がお前の面倒を見てやるから、少しは俺のために我慢するくらいの努力をしてもおかしくないんじゃないの?」とね。25年というのは、人間は今の時代、大病や事故がなければ110歳、120歳まで生きられるという説から出たものです。
もちろん、がんは答えてくれません。でも話をしているうちに、この僕自身も、地球にとってがんだと気づきました。
いかに僕ら人間が勝手気ままに暮らしてきたことが、自分の暮らす地球を壊してきたか。戦争もそうです。そんなことに思いを巡らせながら、「よし、お互いに少し我慢して優しくなろうね」とがんと自分に言い聞かせています。