じじぃの「歴史・思想_17_世界史大図鑑・セシル・ローズ(イギリスの政治家)」

Cecil John Rhodes - African Colossus

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=S8cNZTAmjcE

『世界史大図鑑』

レグ・グラント/著、小島 毅、越前敏弥/訳 三省堂 2019年発行

できることなら、惑星だって併合したい ベルリン会議1884年

ベルリン会議1880年以降のヨーロッパによるアフリカの急速な植民地化を引き起こしたわけではない。だがこの会議で、ヨーロッパには文明から遅れた野蛮な大陸であるアフリカを管理する資格があるという、ヨーロッパ自身の主張が確認された。

セシル・ローズ より

アフリカでイギリスの植民地支配をだれよりも熱心に主導したのがセシル・ローズ(1853年~1902年)だった。ローズは資産家でも政治家でもあり、そして冷酷な帝国主義者であった。イギリスの植民地をアフリカの北から南までひとつづきにして、戦略上重要な端であるケープタウンとカイロを結ぶという構想をいだいていた。南アフリカのダイヤモンドの採掘と販売で財産を築き、残りの生涯をこの不敵な構想の実現に捧げた。北ローデシア(現在のザンビアの一部)と南ローデシア(現在のジンバブエ)にイギリスの新しい領土を確保することに成功し、自分の名が両方の地名の由来となった。
1890年からはイギリスのケープ植民地政府の首相となり、ボーア人による共和国を転覆させようと執拗に謀ったことが、1895年の政治生命の終焉を招いた。ローズは帝国主義者の典型と呼べる人物であり、つねにイギリスの植民地支配をひろげようとしただけでなく、ヨーロッパによる支配の正当性をいっさい疑わず、それを押し進めることが自分の責務だという信念をいだいていた。

ヨーロッパによる支配 より

植民地化される前は、アフリカにはさまざまな国や地域があった対照的な例として、エジプトの高度な文明とコンゴ熱帯雨林をあげることができる。また、北部の多くはイスラム教勢力だった。ヨーロッパがアフリカで最初に手に入れた占有地は沿岸部での交易拠点であり、金と奴隷貿易の拠点によって維持されていた。内陸部は手つかずだったが、1800年代初頭にその姿が明らかになるにつれ、ヨーロッパのアフリカ支配が勢いづいた。
それにつづいて緊張関係が高まり、結果としてアフリカのほぼ全土がヨーロッパの支配下に置かれた。アフリカの植民地は、宗主国の都合に合わせて、地図の上に線を引いて作った人為的なものだった。ヨーロッパ人は現地の歴史や文化をまったく無視して、植民地化に対応する反乱が起こるとすべて軍事力で押えつけた。