じじぃの「科学夜話・青色は奇跡の色・生命の色?やわらかな生命」

Color Theory Lesson - CMYK vs RGB

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YtH9eXWuf3Y

色の三原色 光の三原色

プリズム

『やわらかな生命』

福岡伸一/著 文藝春秋 2013年発行

生命の色 より

青は不思議な色である。空の青、海の青、青は自然の中のあらゆるところに見ることができる。そして大気にせよ、水にせよ、いずれももっとも生命に直結した重要な物質の色である。
にもかかわらず、青はそこから取り出してくることができない。水はすくえば透明だし、目の前の空気には色はない。でも見上げると、あるいは眺めると青はいつでもある。そのような遠い色として、青はある。青は色素ではなく、青い現象としてそこにある。
だからこそ、ときに自然の中に、青が凝縮して存在すると私たちはほっとする。ヒマラヤの高原に咲く青いケシを一目見たいと願った人がいる。福岡ハカセもまた、ルリボシカミキリという小さな甲虫の鮮やかな青に魅せられて、少年の頃、幾夏も野山をさまよった。
前節でも触れたように、17世紀、オランダの画家ヨハネス・フェルメールもまた青が人を捉えることに気づいていた。彼が青を描き出すために使ったのが、スマルトとラピスラズリだった。
スマルトとラピスラズリも鉱物である。つまり、青は白い布を染める色素としてではなく、青い構造として、青い作用として一瞬その場に立ち現れる。
宮沢賢治もまた、鉱物的な青をそのような自然の作用として見つめていたのだと思う。世界と「わたくし」を隔てると同時に、つなぐ界面としての青。宮沢賢治はそんな風に青をいつも見ていたのだと思う。
宮沢賢治は、「わたくし」という生命自体にも空気や水に似た、青を見ていた。
「わたくし」という生物は、モノとして見ると、それは物質の集合体である。これは近代科学がずっと追求してきた生命観でもある。しかし、生命はモノでできてはいるけれど、むしろその本質はモノそのものではなく、モノとモノがどのように交信し、相互作用しているかという、その有機的な関係性にある。
つまり生命とは、淡く明滅を繰り返す、1回限りのかそけき現象にすぎない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
絵の具で赤、緑、青を混ぜれば、黒色になる。
ところが、日光で赤、緑、青を混ぜたら、白色になる。
不思議ですね~え。
モルフォ蝶やルリボシカミキリの青色は体色ではなく、光の干渉が起こす「構造色」なのだそうだ。
2014年、日本の科学者3人がノーベル物理学賞を受賞した。彼らが開発したのは「青色発光ダイオード(LED)」だった。
青色は「奇跡の色」なのだという。
どうして、光の三原色で白色になるのか、よく分かりません。 (^^;;