じじぃの「科学・芸術_843_ドイツの新右翼・AfD」

Islamkonferenz 2018: Der Islam gehort nicht zu Deutschland! - AfD-Fraktion im Bundestag

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UtrrgwCsLCY

AfDの看板

ドイツのための選択肢

ウィキペディアWikipedia) より
ドイツのための選択肢(Alternative fur Deutschland、略称:AfD(アーエフデー))は、ドイツの政党。党首はイェルク・モイテンとアレクサンダー・ガウラント。
ギリシャ経済危機を契機にドイツが他国を多額の支援することに反発し、2013年に反EUを掲げて結党された。EU加盟国で議論となっているイスラム教移民・難民問題への主張から右派政党と扱われる。2017年9月の連邦議会選で国政議会に初議席を獲得したドイツの第一野党。極右政党と紹介される場合もある。
イスラム教徒に対する見解】
ドイツのための選択肢の基本綱領によると、イスラムはドイツに属していないと見なしている。とりわけ、党はミナレット建設、アザーンの呼びかけ、ヒジャブの着用等を禁止するように求めている。
フランスと同様に、公職にある者において被り物は禁止されなければならない。ブルカとニカブは公共の場において全面的に禁止すべきとしている。ドイツのための選択肢は無条件に信教の自由を支持することを明らかにしている。法に忠実でドイツ社会に統合されているイスラム教徒はドイツ社会を構成する共同体の成員であると認めている。

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『ドイツの新右翼

フォルカー・ヴァイス/著、長谷川晴生/訳 新泉社 2019年発行

夕べの国――ある神話小史 より

新右翼にとって、今日でも「夕べの国」というコンセプトが重要性を持っていることは、国家政治研究所の出している『国家政治ハンドブック』に「主要概念」として採録されていることからも明らかである。同書では、「夕べの国」は、「5世紀の西ヨーロッパ帝国崩壊ののち、ゲルマン民族の土地取得と国家樹立、ならびにラテン的キリスト教の確立によって影響を受けた、ヨーロッパ西部および中部を指す伝統的な呼称」とされている。他方、「ヨーロッパ」は、「夕べの国と異なって明確な政治的概念ではない」とされ、同書では「夕べの国」よりも劣位に置かれている。
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こう考えても、やはり「夕べの国」は、その逆の側――「朝の国」、東方――なくしては成り立たないのがわかる。ジハ―ディストが「シオニスト」や「十字軍」なしに存在できないと同様に、「夕べの国」の民を自認する者は、みずからの位置を確認するためにこそ、敵を必要とするのである。このメカニズムゆえに、彼らの政治的情熱を動員し、「自分たちのもの」を防衛しようとさせるのは容易である。
AfDも、この「夕べの国」による動員を行なっている。2016年に決定された党網領の前文のなかに、「夕べの国のキリスト教文化」が書き込まれたのである。もっとも、「夕べの国」とは何なのかについては、綱領でも厳密には定義されていない。

[解説]もう1つのドイツ――保守革命から新右翼へ より

2017年9月、世界中が見守るなか、ドイツに衝撃が走った。ドイツ連邦議会選挙にて、極右政党と言われてきた「ドイツのための選択肢(AfD)」が得票率5パーセントを突破して議席を獲得したのである。さらに、同党は第3党の地位までも手にした。
AfDはその後も快進撃を続け、各地方選挙で政権与党のキリスト教民主同盟(CDU)を追い込んでいった。そして、つにに2018年10月、ながらくCDUを率いてきたアンゲラ・メルケル首相に、次回の党首選には出馬しないと宣言させるまでの事態になった。
もともと、「ドイツ」という国に対する現代日本人の平均的な印象には、相反するものが同居していた。一方には、「第3帝国」の、あるいは多少の事情通にとってはプロイセンドイツ帝国に「軍国主義」や「人種主義」のイメージがまとわりついている。もう一方にあるのは、まさにそのような過去を批判的に見直すことに熱心で、国民社会主義(ナチズム)による犯罪をみずからの手で裁き続ける、戦後の国際社会の優等生というイメージである。
同じく旧枢軸国である日本の政界で、植民地支配や戦争犯罪に対しる歴史修正主義が現われるたびに、それを肯定しない立場の人々は、ドイツ連邦共和国に範をとるように求めてきた。反対に、保守派は、両国の過去の差異を強調し、ドイツの基準を日本に押し付けるなと主張してきた。「過去の克服」に代表される戦後ドイツのリベラリズムは、日本に羨望と反発とを巻き起こしてきたといってよい。
AfDがドイツ国民に受け入れられたことは、この「過去の克服」のドイツ、リベラリズムのドイツのイメージに動揺を与える結果となった。そんなものは、所詮は仮面にすぎなかったのではあるまいか、ポリティカル・コレクトネスに疲れたドイツ人が、ついに本性を見せはじめたのではないか……。「ドイツに学べ」に対する反発も相まって、日本人の2つのドイツ観は、お決まりの「本音と建前」の図式に収まりつつあるようにも見える。
とはいえ、事態はそれほど単純ではない。確かに、AfDに代表されるような、ここ5年ほどのあいだに台頭してきたドイツの極右勢力は、直接的には、移民や難民、ひいては多文化主義ポリティカル・コレクトネスにたいする反動を糧として結成され、支持を拡大してきた。しかし、こうした事象を準備してきた人々や思想それ自体は、ドイツの戦後史を通じて伏流水のように存続してきたものであって、近年になってから急に発生したわけではないのである。