じじぃの「歴史・思想_521_歴史修正主義・ホロコースト否定禁止法」

ホロコーストは実在したのか?衝撃の裁判を描く 映画『否定と肯定』予告編

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IR78MmN7IFo

ホロコースト否認

ウィキペディアWikipedia) より
ホロコースト否認(英語: Holocaust denial)とは、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人の組織的殺害である「ホロコースト」の一部もしくは全体を否認する主張。 これらの主張を支持する者を、「ホロコースト否認論者」という。ホロコースト修正主義、ホロコースト見直し論、ホロコースト否定論とも言う。
ホロコースト否定論は、600万人に近い数のユダヤ人が第二次世界大戦中、ナチスによって虐殺された、という歴史的事実を否定することを核心に置いた現象である。
【ツンデル裁判とロイヒター・レポート】
元カナダ居住者のエルンスト・ツンデルはサミスダット・パブリッシングという出版社を運営し、リチャード・ヴァーラル(本名リチャード・ハーウッド) の著書『本当に600万人も死んだのか?(英語版)』といった書物を出版した。
1985年、ツンデルは「ホロコーストを否定する書物を配布、出版した」として「虚偽の報道」罪で裁判にかけられ、オンタリオ州地方裁判所によって有罪宣告、15箇月の禁固刑を言い渡された。この事件は大きく注目され、多くの活動家が表現の自由を訴えて、ツンデルの表現の権利を擁護しようと介入し、1992年にカナダ最高裁判所が「虚偽の報道」法は憲法違反だと宣言し、彼の有罪判決は覆された。
この裁判で1988年にツンデルが弁護側証拠として米国のフレッド・ロイヒターに依頼して作成した「ロイヒター・レポート」は、一般にガス室とされている建造物では技術的な問題からガスによる殺人は不可能であると結論づけている。裁判でロイヒターが証言をしたものの、彼が工学修士ではなく哲学修士であること、ビルケナウのガス室に関する資料を十分に読むことなくレポートを書いていることを指摘され「専門家による証言」とはみなされなかった。

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中公新書 歴史修正主義 - ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで

武井彩佳(著)
ナチスによるユダヤ人虐殺といった史実を、意図的に書き替える歴史修正主義ホロコースト否定論が世界各地で噴出し、裁判や法規制も進む。
100年以上に及ぶ欧米の歴史修正主義の実態を追い、歴史とは何かを問う。
序章 歴史学歴史修正主義
第1章 近代以降の系譜―ドレフュス事件から第一次世界大戦後まで
第2章 第二次世界大戦への評価―1950~60年代
第3章 ホロコースト否定論の勃興―1970~90年代
第4章 ドイツ「歴史家論争」―1986年の問題提起
第5章 アーヴィング裁判―「歴史が被告席に」
第6章 ヨーロッパで進む法規制―何を守ろうとするのか
第7章 国家が歴史を決めるのか―司法の判断と国民統合

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歴史修正主義

武井彩佳/著 中公新書 2021年発行

第6章 ヨーロッパで進む法規制―何を守ろうとするのか より

言論の自由市場」(marketplace of ideas)という言葉がある。最適な資源配分は言論の自由市場で行われるという経済学的考えに基づいて、言論も国などによる規制のない自由な状態が真理の追究と普及には最適であるとする考えだ。
この思想の系譜は18世紀のイギリスの詩人、ジョン・ミルトン(1608-74)や、政治哲学者ジョン・スチュアート・ミル(1806-73)の『自由論』にまで遡る。一般には表現の自由の制限の制限に反対する立場で使われている。
では、歴史修正主義ホロコースト否定論も言論の自由市場に任せておけば、自然に淘汰されるのだろうか。
他方で、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。質の異なる貨幣が市場に出回ると良貨は姿を消し、悪貨だけが流通するようになるという。
歴史修正主義は、質は悪いが、歴史に関する言説であるには違いない。これを公共空間に放置しておいたらどうなるだろうか。長年の真摯な研究の成果によって形成された歴史像は、国民感情ナショナリズムを鼓舞する偏った歴史記述に取って代わられてしまう危険はないだろうか。
現在、ヨーロッパを中心に、ホロコースト否定論などの悪質な歴史修正主義を法で規制している国は少なくない。歴史言説を法律で規制するという発想は、日本人にあまりなじめがないが、こうした規制はどのような背景から生まれてきたのだろうか。
法が否定してはならない歴史を定めることは、国家が「公的な歴史」を決めることでもある。国が「正しい歴史」を示すことは、体制にとって都合の悪い事実の隠蔽や、自国中心主義を煽るような歴史観の押し付けにつながらないだろうか。それは、国家権力による言論統制の危険を生まないだろうか。代表者を選び、これに人々の意思を委任する民主主義は、こうした制限の設定に同意すると同時に、これにより最初に傷つけられることにならないだろうか。

ツンデルの強制送還、ロイヒターの逮捕

しかし2003年に、ドイツはツンデルを国際指名手配し、05年にカナダから強制送還されている。こうしてツンデルは、人生の終わりに母国ドイツの法廷で、ホロコースト否定により裁かれることとなった。
メディアの高い関心を集めた裁判でツンデルを弁護したのは、シルヴィア・シュトルツ(1963-)だった。
シュトルツは自身もホロコースト否定論者として知られる弁護士で、それまでも先述した科学者ゲルマー・ルードルフなどの裁判で法廷に立ってきた。ツンデルの裁判でも、弁護人であるシュトルツは法廷内でナチズムを礼賛し、歴史を否定する発言を繰り返す。その結果、シュトルツは法廷侮辱罪に問われ、弁護人の職を解かれる異例の展開となった。
2007年にツンデルに判決が下され、民衆扇動罪としては最長の5年の自由刑が下っている。ツンデルは結局、高齢のため2010年に釈放され、バーデン・ヴェルテンベルグ州の生まれ故郷でひそかに余生を送り、17年に現地で没した。
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歴史の否定を理由とする逮捕・起訴は、ドイツ国籍者だけでなく、外国人に対しても行われれいる。たとえば、ツンデル裁判で「ロイヒター報告」を提出したアメリカ人、フレッド・ロイヒターは、1993年にドイツ訪問中に逮捕されている。どのような経緯だったのだろうか。
報告者で一躍有名となり、ドイツ極右団体から声がかかることも多かったロイヒターは、ドイツ滞在中にケルンのテレビ局でトークンショーに生出演し、アウシュビッツでの彼の「調査」について語ることになっていた。
だが、オンエア直前、ロイヒターはスタジオに踏み込んできた警察に逮捕される。ロイヒターが2年前の1991年に、ミュンヘンで極右政党のドイツ国民民主党の集会で講演したとき、ホロコーストを否定して「民衆扇動」を行ったことが理由だった。ただし、この時点ではまだ民衆扇動罪第3項のホロコースト否定の禁止は設けられていない。
ロイヒターの罪状は以前の違反とされたが、実際にはテレビで不特定多数に「見解」を広めることを阻止する意図もあったと思われる。テレビ出演後の逮捕も可能だったからだ。ロイヒターは拘留後、保釈金を支払って釈放され、ただちに出国した。この逮捕劇はホロコーストを否定する人間に対するドイツの姿勢が如実に示している。

ゲソ法による有罪判決

ゲソ法(フランスのホロコースト否定禁止法)で最初に有罪になったのが、フォリソンである。第3章でみたように、フォリソンは1970年代よりホロコースト否定を繰り返し、訴えられることもあったが、ゲソ法施行後も同様の主張をして、1991年に有罪判決を受けた。フォリソンは10万フランの罰金を科されたのみならず、『ル・モンド』や『フィガロ』などのフランスの4大新聞に裁判の判決文を自らの負担で掲載することが命じられた。
これに対しフォリソンは、1993年に自身の人権救済を求めて国連人権委員会に訴え出た。ゲソ法による有罪判決が、国際人権規模(自由権規約、1966年)の19条(2)に謳われる表現の自由を侵害するとしたのだ。しかし、国連人権委員会は1996年、フォリソンの訴えを退けた。
その理由を簡単に言うと、国連人権規約に謳われる「表現の自由」も全能ではないということだ。どのような表現も無制限に認められるわけではない。満席の劇場で、「火事だ!」と叫ぶことを表現の自由とは認めないのと同じである。表現は他者の権利を傷つけたり、国の安全や公の秩序を破壊するような場合、一定の制限を課すことができる。国連人権委員会は、ガス室の存在の否定は一般的にいう「意見の表明」ではなく、他者の権利や評判を傷つけ、反ユダヤ主義を煽るゆえに、制限されるとしたのである。