じじぃの「夢十夜の第六夜・木を見て森を見ない人たち?コミュ障」

Understanding DCD (Developmental Coordination Disorder)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9ZjQILd5esk

夢想する少年

夢十夜の夢六夜、運慶が生きている理由が分かったのはなぜですか?

2011/3/9 Yahoo!知恵袋
回答
「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。」とありますので、明治という時代を生きる日本人には、運慶が生きた時代(鎌倉時代)の日本の精神は残っていないと漱石は言いたいのでしょう。
漱石は、明治維新以降、日本には西洋の理論や技術や習慣等が入って来たが、日本人が西洋の思想や精神を理解しないままに理論等だけ導入して真似て西洋かぶれする様子を見て「皮相上滑り」なものと分析して深く憂慮し、警鐘を鳴らしていました。
今後の日本人が(現代日本人が)精神的な支柱を失い、根なし草のようになる事を恐れていたのではないかと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1257199832

『コミュ障 動物性を失った人類 正しく理解し能力を引き出す』

正高信男/著 ブルーバックス 2015年発行

木を見て森を見ない――パーツにこだわる世界認識 より

ではどうして、失敗を成功と言いくるめようとしたのかといえば、何を目的として新しい科学的な世界認識の知見を得たいかという、動機づけの内容が(STAP細胞事件の)彼女とレオナルドやアインシュタインでは決定的に異なる気がするのだ。
いや、「彼女」と書くと特定の個人のみが違っているようで、誤解を招くだろう。社会、少なくとも日本の科学者をとりまく社会の雰囲気が、変化してきた。その変貌を象徴的に記した作品が、漱石のなかにある。『夢十夜』という作品がそれである。
文庫本に収まっている、わずか30ページあまりのこの作品は当初は、明治41年の7月から8月にかけて朝日新聞に連載された。その2年後に、『四篇』という短篇集として単行本化されている。
表題どおり、十夜にわたって一人称の「自分」が見たとする夢の記載によって構成されている。第一夜から第三夜までいずれも、「こんな夢を見た」という文で始まることで、よく知られている。その第六夜が、鎌倉時代の仏師の運慶が明治の日本にタイムスリップして登場する話で、この筋もかなりよく知られているから改めて記すまでもない、という気もするのだけれど、短いのであえて全文を引用してみよう。
  運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
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  「よくああ無造作に鑿(のみ)を使って、思うような眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、
  「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌(つち)の力で掘り出す迄だ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」と云った。
  自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果してそうなら誰にでも出来る事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫って見たくなったから見物をやめて早速家へ帰った。
  道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、先達ての暴風(あらし)で倒れた樫を、薪(まき)にするつもりで木挽(こびき)きに挽かせた手頃な奴が、沢山積んであった。
  自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のものにも仁王は居なかった。自分は積んである薪を片っ端から彫ってみたが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。遂に明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日迄生きている理由もほぼ解った。
                  (講談社文庫『文鳥夢十夜ほか五編』より)
これが第六夜のすべてである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
コミュニケーション障害を持った人は100人になかに5~6人いるという。
しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチアインシュタインも実はコミュニケーション障害だった。
アインシュタインは幼少の頃、よく「ボーッ」と夢想することが多かったのだそうだ。
ちょっと、本に慰められることが書かれていました。