じじぃの「科学・芸術_686_オルテガ『大衆の反逆』」

The owl of Minerva 動画 YouTube
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 ミネルヴァのフクロウ

大衆の反逆 感想 オルテガ 読書メーター
批判的自己洞察にも(自分を大衆の側に据えて読めたお陰か)現状の政治分析にも役立つ著書だった。自堕落な生活をしているくせに、自分では何でも分かっていると思い込みたがる大衆。
容易にポピュリズムや単純化された「それらしい」言葉に流される現状を見るに、現代の大衆は「貴族」化する必要があるのではないかとの考えが浮かんでしまう。現代の個人のあるべき姿について考えさせられた。あとふと気になったのが、オルテガは今日の欧州をどう見るのだろうかということ。この点についても考えてみたい。
https://bookmeter.com/books/487847
『冒頭を読む 世界の名著世界の名著101』 熊木信太郎/編訳 論創社 2018年発行
ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883〜1955) より
スペインの哲学者。マドリードに生まれ、のちドイツに留学する。帰国後はマドリード大学教授に就任。形而上学を教えた。1930年に出版された主著『大衆の反逆』はスペイン内戦を予言するものとなった。
第一章 大衆の出現 より
現在のヨーロッパ人の社会生活には、善かれ悪しかれ、極めて重要な事実が一つある。その事実とは、大衆が完全なる社会的勢力となったことである。定義上、大衆は自らの個人的生存を監督すべきではないし、またそうすることもできない。まして社会全般を支配するなど不可能である。この事実は、国民、国家、文明を苦しめる最大の危機に、ヨーロッパが現に晒されていることを意味する。だがそうした危機は、歴史上一度ならず生じている。その特徴と結果はよく知られており、また名前も知られている。それこそが、大衆の反逆と呼ばれるものだ。この恐るべき事実を理解するのは、「反逆」「大衆」「社会的勢力」などといった言葉に対し、排他的に、あるいは第一義的に、政治的な意味合いを付与することを最初から避けるのが重要である。社会生活は政治的であるのみならず、同時に、いやそれ以前に、知的、道徳的、経済的、宗教的なものであり、着衣や娯楽の流行りを含む、我々全体の習慣を包含しているのだ。
この歴史的現象を理解する最良の方法はおそらく、我々の時代の様相のうち、はっきりと目に見えるものを強調して、視覚的経験に注意を向けることだろう。その事実を分析するのは困難だが、明確に述べることは極めて容易である。私はそれを密集の事実、ないし「充満の事実」と名づける。都市は人で溢れかえり、家々は借家人で満ち、ホテルは客で満ち、列車は旅行客で満ち、カフェは常連客で満ち、公園は散歩する人で満ち、有名な医者の診療室は患者で満ち、劇場は観客で満ち、砂浜は海水浴客で満ちているではないか。
以前は何の問題もなかったことだが、今や日常の問題となりつつある。それはいわば、場所を見つけるという問題である。
それだけのことだ。実際の生活において、これより単純で、明確で、不変の事実があり得るだろうか? ここで、いま述べた現象をざっと洞察してみよう。すると、そこに思いもかけない泉が湧き上がり、今日の、我々が実際に暮らす今日の白き光が、様々な色合いに分裂するのを見て、驚嘆を禁じ得ないことだろう。我々がそこに見るもの、我々をかくも驚かせる光景とはいったいどんなものだろうか? そこに見るのは、文明によって生み出された場所や施設を占領する、群衆の姿である。そのことに少しでも思いを馳せるならば、自分が驚いたことにきっと驚くはずだ。
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驚くこと、そして不思議に思うことは、理解することへの第一歩である。これは知識人特有のスポーツであり、贅沢でもある。この種の人たちを特徴づける表情は、驚きのあまり見開かれた両目で世界を眺めることにある。大きく目を見開いた者にとって、この世界におけるあらゆる物事は、奇妙かつ驚嘆すべきものなのだ。驚嘆というこの能力は、諸君のまわりの「サッカーファン」には許されない喜びだが、その一方、知識人をして、夢想家の永遠なる陶酔状態のうちに人生を導く喜悦なのである。知識人の特徴は、両目に浮かぶ驚嘆にある。だからこそ、古代人はミネルヴァに、いつも大きく目を見開いている鳥、フクロウを与えたのである。