じじぃの「科学・芸術_630_中国移民・ニュー・チャイナタウン」

Chinese Immigration to America 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GPnJI3kcPRs
 アメリカで増え続ける中国系移民

Chinese Immigrants in the United States SEPTEMBER 29, 2017 migrationpolicy.org
https://www.migrationpolicy.org/article/chinese-immigrants-united-states
『ニューヨークからアメリカを知るための76章』 越智道雄/著 赤石書店 2012年発行
ニュー・チャイナタウン 「本土の事情」で変わり続ける街 より
移住先でも「本土の事情」に多いに左右されるのはあらゆる移民の宿命だが、「本土」が合衆国と敵対関係にある場合、事態は深刻だ。太平洋戦争時代の日系人、「テロとの戦争」時代のイスラム教徒、そして来るべき覇権国家・中国からの移民などが、その部類に入る。
チャイナタウンは言葉(広東語から北京語へ)が変わるだけでなく、猛烈な勢いで街区が広がりもする。筆者は、1970年代後半にシドニーでやっと車の免許をとって以後、80年代初頭は安くて量が多く、味の素をふんだんに使って味も悪くない中華料理ばかりを食って全米や全豪を車で旅していた。どんな田舎に中華料理店があり、まるで英語ができない一家が営業している光景に、<不動産や営業許可がよく取得できたもんだ>と素朴に首をかしげた(のちに移民は「一貫産業」だから、「産業」の弁護士が全部面倒を見てくれると判明)。
当時は田舎だと、白人客はテイクアウト(豪だとテイクアウェイ)で、店内で食べているのは私と連れの家内や息子たちくらいだった。最後に出てくるフォーチュン・クッキーの中身の細長い紙に刷られた中国諺(ことわざ)の英訳を、息子らに読ませて英語の勉強をさせたりした。
    ・
中国人は米豪への留学が多いが、一家をあげての移住も多い。この背景は以下のとおりだ。
1980年代後半以後、中国は、政治は共産党一党独裁、経済は解放、ただし稼いだ外貨は「禁輸入扱い」で国庫が回収し、それで合衆国をはじめ日欧の国債を買いまくり、国民の生活水準は低く抑え、労賃を安くして海外資本を呼び込み、安価な製品を海外へ輸出しまくる。労賃が安いから、国民も海外へ出稼ぎにいく。
中国政府の統治の成功によって戦乱のない期間が日本に次いで長いため「一人っ子政策」でも人口は増える一方。そのため、膨大な海外移民の「輸出」も、後述する非合法組織による不法移民でさえ、政府は黙認せざるをえなくなった。
不法移民でもアメリカでは月1500ドルは稼げる。国元の家族は年収250〜300ドル程度なので、稼ぎの半額を仕送りにすれば、家族は一気に中国で上流階級へと跳ね上がるのだ。
もっとも、リーマンショック以後、状況が急変し、中国系はホワイトカラーとブルーカラーの別なく、母国の好景気につられて、不況のアメリカを見限って帰国する流れが起きた。こういう中国系は、「海亀」と呼ばれる。出国してからも帰国する者たちへの呼称だ。「海亀」の流れは、まだ始まったばかりだ。いや、アメリカへの移住も減った。2006年は8万7307人だったのが、2010年には7万863人と、1万7000人も減った。
とはいえ、今日の世界におけるチャイナタウンの膨脹ぶりには恐怖さえ抱かされる。一党独裁の瓦解で大混乱に陥らないかぎり、合衆国の次の覇権国家は中国とわかっているだけに恐怖は増殖される。<米中の戦いが始まる前に中国の版図の拡大がなされている!>という恐怖なのだ。
    ・
2000年には75%いた中国系1世は、2009年に69%に減った。それだけ2世が増えたのだ。さらに専門職を積んだ中国系(留学生からアメリカで専門職に就いた者、または移民の2世、3世で高学歴を取得して専門職に就いた者)はチャイナタウンを忌避して、白人主体の郊外住宅地へ散り始めている。日本の専門職も多くが、ロスでリトル・トーキョーから郊外へ出ていったではないか。この郊外への拡散ゆえに、マンハッタンのチャイナタウンとロウアー・イーストサイドの中国系人口は、2010年の国勢調査では2000年より9パーセントの4万7844人になった。