じじぃの「科学・芸術_565_A・ミラー『セールスマンの死』」

Death of a Salesman 1985 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RMqiCtq5VLs

『生きるための101冊』 鎌田慧/著 岩波ジュニア新書 1998年発行
セールスマンの死』 早川書房  アーサー・ミラー より
高層アパートにとりかこまれた2階家に、60すぎのセールスマン・ウィリーが帰ってくる。「疲れて死にそうだ」と妻のリンダにいう。
「とにかく、休息が必要なのよ、それじゃもちませんよ。」
「フロリダで休養してきたばかりだぜ。」
「でも、心が休まっていないのよ、気を使うことが多すぎて、気持ちがだいじなのよ。」
アメリカの50年前の夫婦の会話だが、なんといまの日本のサラリーマンの家庭と似かよっていることだろうか。ウィリーは、商品見本を詰め込んだ重そうな鞄をふたつももって登場する、古典的なセールスマンだが、日本の現在のサラリーマンもまた、たいがい営業職である。
わたしはこの芝居を40年ほど前、滝沢修のウィリー役でみた記憶がある。過去の回想シーンを巧みに処理しながら、どんどん破局にむかっていく迫力は、いまでもスリリングな記憶だ。そのとき、成績が落ちると、家や冷蔵庫の月賦(ローン)や修理代にことかくようになり、住む場所さえ追われるアメリカの現実を知らされ、恐ろしい思いにさせられた。いまや日本でも不況の長期化によって、自己破産や自殺は珍しいものではなくなった。
ウィリーは、つぎの日、2代目の社長からクビをいいわたされて、こう抗議する。
「わたしは34年間、この会社のために働いたんだ。なのに、保険料さえ払えないんだ! オレンジの実だけ喰って、皮を捨てるようなわけにはいきませんよ――人間は果物じゃないんだから!」
会社のために、なにかを築いてきた、と彼は思っていた。しかし、それはなんだったか、と反問されると、なんでもなかった事実に気づかされる。残酷である。
そればかりではない。忙しさにかまけてふたりの息子のこともよく知らなかった。「お前はえらくなる」「成功する」と励まして期待をかけていたのだが、それさえうまくいってなかったのがはっきりする。たった2幕の舞台で、ウィリーを自殺に追い込む現実があきらかにされる。悲劇なのだが、見方によっては、けっして笑えない喜劇でもある。夜中、ウィリーが裏庭に野菜の種を蒔こうとしている姿は哀れである。未来になにかを残したかったのだ。
幕が降りる前にリンダは、いまは亡き夫にむかっていう。
「なぜ、あんなことをなさったの? 考えて考えて考えにきました。でもわからない、どうしても。家の最後の払いは今日すませました。今日ですよ。でも、もう住むひとはいない。」