じじぃの「歴史・思想_133_動物と機械・AIはパラダイムシフトか」

100歳まで長生きしたいあなたがやるべきこと

2017年07月14日 GIGAZINE
「長寿への願い」はいつの時代も尽きることのない本能的な欲望ですが、さまざまな研究から、長寿になりやすい生活習慣や行動様式というものが判明しています。
「絶対に100歳まで生きてやる!」という強い思いを持つ人のために、100歳以上生きるために必要なことをムービーで一挙にまとめるとこうなります。
https://gigazine.net/news/20170714-how-to-live-to-100/

『動物と機械から離れて―AIが変える世界と人間の未来』

菅付雅信/著 新潮社 2019年発行

シンギュラリティは来ないが、ケインズの予言は当たる より

チューリングとウィーナー、2つの予言

2019年7月、イギリスの50ポンド紙幣の新たな肖像が発表された。その名は、アラン・チューリング。イギリスを代表する数学者だ。AIの起源、さらにいえばコンピューターの起源には数々の天才数学者の功績が存在するが、なかでも大きな影響を与えた人物の名を挙げるとすれば、先章でも述べたとおり、ひとりはサイバネティクスの提唱者ノーバート・ウィーナーであり、もうひとりはチューリングであろう。
チューリング第二次世界大戦時に、ナチス・ドイツの暗号機械エニグマを打ち破るための解読器を開発した。その功績が戦争の終結を早め、多くの命を救ったと言われている。しかし彼は当時の英国では違法であった同性愛が露見し、不当な迫害を受け、自殺してしまう。その波乱の人生はベネディクト・カンパーバッチ主演の映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)などからも知ることができる。
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一方、ウィーナーは1940年代に計算機械の中に記憶装置を人工的につくる研究に携わるなかで、サイバネティクスの考えを発展させていく。著書『サイバネティックス』で彼は、「この研究計画においては、機械的構成から電気的構成へ、10進法から2進法へ、機械的継電器から電気的継電器へ、人間による操作から自動的操作へと、だんだんに進歩してきた」とその発展ぶりに言及し、さらに次のように予言した。
  機械万能が、最も緊急の、しかも比喩ではない実際問題となってきたのである。人間の仕事をやってくれる、新しくかつ最も有能な機械的奴隷の集団を人類がもつことになるのである。(略)現代の産業革命は、少なくとも簡単な一定の型にはまった判断力だけですむような仕事の範囲では、人間の頭脳の価値を下落させつつある。

人間は世界の中心ではない

汎用型AIについての言説が盛り上がるのは、この地球上で最も賢いと思われていたはずの人類が、その座を引きずり降ろされることへの恐怖が存在するからだ。事実、人類史を振り返れば「人間が世界の中心である」というテーゼはたびたび覆されてきた。
2004年に『第4の革命――情報圏(インフォスフィア)が現実をつくりかえる』を著したオックスフォード大学教授のルチアーノ・フロリディは、人類の歴史は人間中心主義への問い掛けの歴史だったと謳う。同校でデジタル倫理研究所のディレクターを務めるフロリディは、デジタル・ウェルビーイングやディープフェイク問題の研究をする傍ら、グーグルのATEAC(Advanced Technology External Advisory Council/先端技術外部アドバイザリー委員会)の委員も務めていた。研究と実践のなかで、デジタル時代の倫理を問い続けてきた英国在住のフロリディにスカイプ取材を行ない、情報圏における人間のあり方を伺った。
なぜ「第4の革命」なのか? フロリディによれば人間は過去に3度、存在論的シフトを経験してきたという。最初の革命はニコラス・コペルニクスによる地動説だった。太陽は宇宙の中心にいると信じられてきたが、実は地球が太陽の周りを回っているだけだったという世界観の転回だ。2つ目の革命はチャールズ・ダーウィンによる進化論である。晴が提唱した理論によって、人間は特別な種ではなく、生物のすべての種が共通の祖先から長い時間をかけて進化したのだということが示された。3つ目の革命は、ジークムント・フロイトによる精神分析だ。デカルトの言葉「我思う、ゆえに我あり」では我々の存在は精神によって確認されていると解釈されていたが、フロイトが示したのは、わたしたちは自分自身を理性的に統御しているわけではなく、無意識に大きな影響を受けているということだった。
これらの3つの革命は、「我々の代的世界に対する理解を変えるとともに、科学は、我々が誰であるかの概念、すなわち我々の『自己理解』をも変えた」とフロリディは著書でかたっている。宇宙、動物王国、そして精神の中心からも追い出された人間のもとにやってきた次の革命は、アラン・チューリングがもたらした情報革命だった。

シンギュラリティはやってこないものの……

汎用型AIができないのだとしたら、AIは人間よりも賢いとは言えないだろう。いかに計算が速く、計算容量が膨大であっても、自立的な思考ができないのならば、そこには好奇心もなく、その機械は新しいことや未知なることを想像し、生み出すことはできないはずだからだ。
しかし、第9章で述べたように、特化型AIの発展によって「仕事の代替」自体は急速に進んでいくだろう。AIの計算能力と記憶容量は指数関数的にはならないとそても、ジグモイド曲線的には成長するだろうから、フレームがはっきりした領域の計算や分析、ならびにスムーズなルーティンワークの実施は、あきれるほど高度になっていくことが予想される。そして、AIによる双方向的なふるまいもかなり高度になり、あたかもAIに意識または人格があるかのように人々が感じるところまでいくだろう。
そうなると、人々の働き方や教育は大きく河エアざるを得なくなる。いままでの「賢さ」の指標ででもあった計算能力や記憶力においては、人間はAIの足元にも及ばなくなるから、それらは人間にとってそれほど大事な能力ではなくなる。わたしたちはAIが扱えないことを「賢さ」とするような、知性についての新しい定義を持たなければならないだろう。
AI開発が進む先進国は、先進国であるがゆえに、他国より先に、激しくその問題にぶつかるだろう。特に労働の領域では、さまざまな軋轢を生むことが確実に予想される。そして、極端な労働時間の短縮が各方面で実地されることで、イギリスの経済学者リンダ・グラットンが唱える「人生100年時代」の到来も相まって、膨大な時間を持て余す人が出てくる。つまりカーツワイルが予言する「AIが人間の知性を凌駕する」シンギュラリティは来ないが、経済学者ケインズが1930年代に予言した「余暇が十分にある豊かな時代が来る半面、平凡な人間にとって暇な時間をどう使うかという恐ろしい問題」の到来は、当たるのではないだろうか。