じじぃの「地獄の沙汰も彼女次第・しょうづかの婆!パワースポットはここですね」

素敵なお婆さん

『パワースポットはここですね』

高橋秀実/著 新潮社 2019年発行

おブスの包囲網――しょうづかの姿 より

インパクトが強すぎたせいだろうか、富山県立山で目にした「おんばさま」が脳裏に焼きついて離れない。
帰京しても、ふとした拍子にあの険しい形相が思い浮かぶ。女性に会うとその顔に「おんばさま」の面影を探してしまい、言葉の端々に「おんばさま」の響きを感じたりする。しまいにこの世は「おんばさま」だらけではないかとさえ思えてくるようで、これもチカラのなせる業なのだろうか。
そういえば立山博物館では「おんばさま」を「醜い姿」だと紹介していた。確かに両目を見開き、口を歪ませる形相は醜いといえば醜いのだが、この「醜(しこ)」という言葉にも歴史がある。
  頑強の意から転じて、愚鈍の意を表し、さらに醜悪さを罵倒する語にもなった。
               (前出『古典基礎語辞典』)
「醜」とはもともと「頑強」、つまり「パワフル」を意味していたのである。パワフルなものは平然としているせいか鈍感に思える。つい目を逸らしたくなるので見やすくはなく、見にくい。それゆえ「醜」を「みにくい」と訓読みするようになったのではないだろうか。私たちが「みにくい」と感じるということは、すなわちパワフルにおののいているのだ。国文学者の林田孝和さん(國學院大學栃木短期大学教授)も次のように指摘している。
  醜怪な顔には、魔除けの霊能があると古くから信じられている。
               (『王朝びとの精神史』桜楓社 昭和58年 以下同)
彼によると鬼瓦、般若面、天狗面なども一種の魔除け。「外部から魔性ののものが侵入するのを防ぐもので、できるかぎり醜怪なもの」をつかっていたらしい。みにくければみにくいほどパワーは強い。霊験としてはそれだけ有り難いのである。
そう考えると、前回紹介した『日本書紀』のエピソードも違ったメッセージが読み取れる。みにくい姉を拒否して美しい妹と結婚した天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)の物語。この「みにくい」は原文では「為醜」と記されており、おそらく姉はパワフルだったのだ。そもそも姉の名前は「磐長姫(いわながひめ)」。「磐」とは神が降臨する場所で、いうなればパワーストン。名前自体が「盤石のごとく長久不変の女性」(前出『日本書紀① 新編日本古典文学全集2』)を意味していたのである。美女の妹(木花開耶姫{このはなのさくやひめ})のほうは「木の花のごとく移ろいやすい生命の象徴」(同前)とのことで、パワーの観点からすると明らかに磐長姫のほうが強い。彼はパワフルを避け、パワーの弱いほうを選んだ。呪いをかけられて移ろいやすい生命になったとされるが、単なる自業自得である。このエピソードは「ブスの呪いこわい」ではなく、パワースポットを見落とすな、見にくいものもきちんと見るべし、という警句だったのではないだろうか。林田さんはこうも記していた。
  今日でも醜女(しこめ)の妻をもつと男は幸せになるという。古来、偉大な人物は霊力ある妻を必要とした。
               (前出『王朝びとの精神史』)
なんでも醜女を妻とするのは夫の「偉大性の証」(同前)らしいのである。
そんな言い伝えがあったのか。

うばのネットワーク

立山博物館によると、「おんばさま」の元の名前は「うば」である。「うば」は「姥」とも書き、「姥尊」「姥神」「姥堂」「姥石」「姥懐」などとして北海道から沖縄に至るまで全国各地に広がっている。つまり日本中にうばパワーが通信網のように張りめぐされているのである。
富山でも「うば」が「うば尊」となり、「うんば」→「おんば」→「おんばさま」、さらには「だつえば(奪衣婆)と変遷したように、その名はバリエーションに富んでいるが、常在しているのは「ば」という音。漢字で書くと「婆」であり、それは元来、年寄りではなく、「女がぐるぐる舞う」(『角川字源辞典』角川書店 昭和47年)ことを表しているらしい。
何やら狂気じみたパワーを感じさせるが、さらに「婆」とは梵語の音訳、つまり仏教語でもある。
方広大荘厳経によると「婆字を唱ふる時、解脱一切繋縛(けばく)の聲を出だす」(『國譯一切經印度撰述部』大東出版社 昭和5年)とのこと。
「婆」と声に出せば、一切の繋縛から解脱するそうなのだが、なぜ解脱できるのかというと、「婆字に繋縛の義あり」(『佛教大辭彙第五巻』冨山房 大正11年)だから。「婆字を見れば即ち一切の諸法は皆悉(ことごと)く因縁ありと知る」(同前)らしく、要するに「婆」とは繋縛・因縁そのもの。それを声に出すことで振り払うというわけで、「このばばあ」「クソばばあ」などという言い方も、繋縛や因縁を断ち切ろうとする一種の呪文だったのではないだろうか。
私たちを繋縛する「婆」のネットワーク。
その一端を知るべく私は川崎大師平間寺に出かけてみることにした。
川崎大師平間寺は初詣に毎年300万人を超える参拝者が集まる人気の寺院。真言宗智山派大本山のひとつであり、「もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師」(同寺HP)で、いうなればパーフェクトな厄除けスポットである。
境内には弘法大師空海のご本尊が奉安される大本堂はもちろんのこと、四国八十八ヵ所霊場の砂をおさめた「お砂踏参拝所」、さらには「海苔養殖紀功の碑」や「植木供養之碑」「消防紀念碑」など 50を超える碑蹟が集められている。記念碑のテーマパークの様相なのだが、その中に、
「しょうづかの婆」
という石像がある。

「しょうづか」とは「葬頭河」、つまり三途の川のことで、この婆は実は「奪衣婆」らしいのだ。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。
平安時代に創建され、厄除けでお馴染みの川崎大師。
お堂の中央に安置された石像が「しょうづかの婆」。
近くで語る方の話に耳を傾けると、三途の川で死者の着物を剥ぎ取るのが奪衣婆の役割。
着物の重さが罪の裁定につながるわけで、地獄の沙汰も彼女次第なのだそうだ。
この剥ぎ取るということが重要のようで、奪衣婆は剥ぎ取る時に着ているものだけじゃなくて、悪いものも一緒に剥ぎ取ってくれるのだとか。
そのうち、お世話になります。