【公式】ダウン症の書家 金澤翔子 〜親子の絆〜/SHOKO KANAZAWA a calligrapher with Down Syndrome 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KeEtCDJ6Ayc
台湾の皆さんありがとう。新しい病院ができました。台湾謝謝。 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DHu8RxTDlss
南三陸町病院 記念碑
金澤翔子 公式チャンネル SHOKO KANAZAWA Official Channel
「忘れない、東北」
5年の ”節目”とよく言いますが、その地に暮らす皆さんにとっては、日-々の積み重ねであり、今日も明日も「一歩一歩」。忘れない。この-言葉を、今もう一度、胸に刻みたいと思います。
https://www.youtube.com/channel/UCyiORpZg2iPksbIJqYEoGkg
「台湾の皆さんありがとう」被災した南三陸町の病院が台湾の義援金22億円で復旧! FunDO
東日本大震災時、津波により甚大な被害をうけた南三陸町の公立病院が、台湾の義援金22億円で復旧して話題となっています。
http://fundo.jp/50851
中居正広の金曜日のスマイルたちへ 「5年 そしてこれから」 2016年3月11日 TBS
【レギュラー出演】中居正広、室井佑月、假屋崎省吾、IMALU 【ゲスト】一青窈
台湾の高校生と南三陸の被災地の方々及び書道家・金澤翔子さんとの交流を通じて5年目を迎える被災地の現状を見つめる。
2015年11月には、台湾からの義援金を建設費として、南三陸病院が再建。そして2016年1月、地震の恐ろしさと復興の現状を学ぶために、台湾の高校生71人が宮城県の南三陸を訪れた。
書家の金澤翔子も町民と一緒に、台湾の支援に感謝の意を表すために高校生たちを出迎え、日本と台湾の協力関係が永遠に続くよう、ある言葉を書き上げる…。その後、台湾の高校生たちが帰国して1週間後、台湾で大地震が発生(2016年2月)。日本でも台湾への支援活動がすぐに始まった。
http://www.tbs.co.jp/kinsma/about/
3月11日 TBS 中居正広の金曜日のスマイルたちへ 「5年 そしてこれから」 より
世界中から注目されている天才書家・金澤翔子さん。
1985年東京都目黒区に生まれる。5歳から母の師事で書を始める。
彼女はダウン症でありながら、母泰子さんと二人三脚ででその才能を磨き、日本を代表する書家へと成長。
その独特の感性と邪念のない心から紡ぎ出されるその文字は、
若い女性、「すごい力を頂いた感じです」
なぜか、見る人の心を引きつける不思議な力を持ち、「書」によってたくさんの人たちに勇気や感動を与えてきた。
そんな彼女は東日本大震災の復興支援のために、これまで何度も被災地を訪れ「書」を書いて元気を届けてきた。
・
台湾の高校生たちが最後に向かったのは、翔子さんが待つ南三陸病院。
台湾の高校生たち、「ニーハオ」
日本の有名な書家・金澤翔子さんです。
翔子さん、「台湾の皆さんに『ありがとう』って伝えに来ました」
台湾の校長先生、(病院記念碑を見て)「これが日本と台湾の友情の証ですね。もし、機会があれば是非 台湾に来てください」
台湾の高校生たち、「台湾へ、歓迎します」
翔子さんの想いが伝わったようだ。
その後、改めて紹介を受けた翔子さんは、
翔子さん、「私は南三陸がこんなことになって、復活するように来ました。私は書きますので応援とパワーを下さい」
勝ち負けの概念がなく、邪念のない澄んだ心の翔子さんにしか書けない「書」。
翔子さんは台湾の高校生から何を感じとり、彼らの国の漢字でその想いをどう表わすのか。
台湾の高校生が見守る中、力強い漢字が書かれていく。
翔子さん、「ありがとうございました」
「遠久」と書かれている。
一体、この書にはどんな想いが込まれれているのだろうか。
彼女が書き上げた「久遠(くおん)」の言葉。この漢字には「永遠に続く」という意味がある。
翔子さん、「台湾の皆さんに、台湾と日本がずっと続きますように」
日本と台湾の友情がいつまでも続きますように――と願いを込めた翔子さん。
書の最後が跳ねている。遠く離れた日本と台湾をつなぐように、一本の道が続いている。