じじぃの「人の生きざま_607_金澤・翔子(書道家)」

【公式】ダウン症の書家 金澤翔子 〜親子の絆〜/SHOKO KANAZAWA a calligrapher with Down Syndrome 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KeEtCDJ6Ayc
台湾の皆さんありがとう。新しい病院ができました。台湾謝謝。 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DHu8RxTDlss
南三陸町病院 記念碑

金澤翔子 公式チャンネル SHOKO KANAZAWA Official Channel
「忘れない、東北」
5年の ”節目”とよく言いますが、その地に暮らす皆さんにとっては、日-々の積み重ねであり、今日も明日も「一歩一歩」。忘れない。この-言葉を、今もう一度、胸に刻みたいと思います。
https://www.youtube.com/channel/UCyiORpZg2iPksbIJqYEoGkg
「台湾の皆さんありがとう」被災した南三陸町の病院が台湾の義援金22億円で復旧!  FunDO
東日本大震災時、津波により甚大な被害をうけた南三陸町の公立病院が、台湾の義援金22億円で復旧して話題となっています。
http://fundo.jp/50851
中居正広の金曜日のスマイルたちへ 「5年 そしてこれから」 2016年3月11日 TBS
【レギュラー出演】中居正広室井佑月假屋崎省吾IMALU 【ゲスト】一青窈
台湾の高校生と南三陸の被災地の方々及び書道家金澤翔子さんとの交流を通じて5年目を迎える被災地の現状を見つめる。
2015年11月には、台湾からの義援金を建設費として、南三陸病院が再建。そして2016年1月、地震の恐ろしさと復興の現状を学ぶために、台湾の高校生71人が宮城県の南三陸を訪れた。
書家の金澤翔子も町民と一緒に、台湾の支援に感謝の意を表すために高校生たちを出迎え、日本と台湾の協力関係が永遠に続くよう、ある言葉を書き上げる…。その後、台湾の高校生たちが帰国して1週間後、台湾で大地震が発生(2016年2月)。日本でも台湾への支援活動がすぐに始まった。
http://www.tbs.co.jp/kinsma/about/
3月11日 TBS 中居正広の金曜日のスマイルたちへ 「5年 そしてこれから」 より
世界中から注目されている天才書家・金澤翔子さん。
1985年東京都目黒区に生まれる。5歳から母の師事で書を始める。
彼女はダウン症でありながら、母泰子さんと二人三脚ででその才能を磨き、日本を代表する書家へと成長。
その独特の感性と邪念のない心から紡ぎ出されるその文字は、
若い女性、「すごい力を頂いた感じです」
なぜか、見る人の心を引きつける不思議な力を持ち、「書」によってたくさんの人たちに勇気や感動を与えてきた。
そんな彼女は東日本大震災の復興支援のために、これまで何度も被災地を訪れ「書」を書いて元気を届けてきた。
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台湾の高校生たちが最後に向かったのは、翔子さんが待つ南三陸病院。
台湾の高校生たち、「ニーハオ」
日本の有名な書家・金澤翔子さんです。
翔子さん、「台湾の皆さんに『ありがとう』って伝えに来ました」
台湾の校長先生、(病院記念碑を見て)「これが日本と台湾の友情の証ですね。もし、機会があれば是非 台湾に来てください」
台湾の高校生たち、「台湾へ、歓迎します」
翔子さんの想いが伝わったようだ。
その後、改めて紹介を受けた翔子さんは、
翔子さん、「私は南三陸がこんなことになって、復活するように来ました。私は書きますので応援とパワーを下さい」
勝ち負けの概念がなく、邪念のない澄んだ心の翔子さんにしか書けない「書」。
翔子さんは台湾の高校生から何を感じとり、彼らの国の漢字でその想いをどう表わすのか。
台湾の高校生が見守る中、力強い漢字が書かれていく。
翔子さん、「ありがとうございました」
「遠久」と書かれている。
一体、この書にはどんな想いが込まれれているのだろうか。
彼女が書き上げた「久遠(くおん)」の言葉。この漢字には「永遠に続く」という意味がある。
翔子さん、「台湾の皆さんに、台湾と日本がずっと続きますように」
日本と台湾の友情がいつまでも続きますように――と願いを込めた翔子さん。
書の最後が跳ねている。遠く離れた日本と台湾をつなぐように、一本の道が続いている。