じじぃの「トルコ救援部隊・東日本大震災!スッキリ」

トルコの子供たちお小遣い募金 〜コンヤからヴァンへ子供たちの善意〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1-21nV4OO8w
トルコが親日国の理由 Friendship of Turkey and Japan 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=O_iUJ_LEW7w&feature=related
友好国トルコ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WOY2BcsmdpQ&feature=related
親日的なトルコ『2010年トルコにおける日本年』 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ks4eqW1ptYc&feature=related
スッキリ!! 日本テレビ 2011年4月7日
【司会】加藤浩次テリー伊藤 【ディレクター】藤巻浩樹
▽首都圏の品不足実態を独自調査メーカー&スーパーの緊急対策・いつ入荷?
▽被災地応援セールが続々
▽日本に恩返し・・・トルコ救援部隊密着
http://www.ntv.co.jp/sukkiri/
4/7、『スッキリ!!』の番組で「日本に恩返し・・・トルコ救援部隊密着」を観た。
大体、こんなことを言っていた。(手抜きしている)
言葉や習慣を越え、被災地で困難な任務についている海外の支援部隊。その活動を追いました。
宮城県気仙沼大島で支援活動をしていたアメリカ軍に対して日本の対策本部が謝辞を述べている映像が出てきた。
気仙沼大島現地対策本部長、「最初にこの島に渡っていただきまして、復興ということを初めてしていただきました。これからも我々の力になっていただきたい」
今月1日から宮城県気仙沼大島で支援活動を続けていたアメリカ軍が昨日作業を終え、住民が別れのセレモニーを行いました。
米海軍の准将、「必ず復興する時が来て、春がやってきます。我々はこれからもずっと日本のそばにいます」
アメリカ軍は2万人以上の人員と空母ロナルド・レーガンなど艦船20隻、航空機160機を投入する大規模な「トモダチ」作戦を敢行。
アメリカ以外でも中国、ドイツ、メキシコなど20ヵ国と地域から派遣された救助チーム、および専門家チームが日本で活動を行ってきました。
海外援助受け入れ状況 (20ヵ国)
青森県八戸市周辺
  フランス
岩手県大船渡市周辺
  アメリ
  イギリス
  中国
宮城県南三陸町周辺
  ドイツ
  スイス
  オーストラリア
  ニュージーランド
  メキシコ
  モンゴル
宮城県女川町周辺
  インド
宮城県七ヶ浜町周辺
  トルコ
宮城県気仙沼市周辺
  インドネシア
宮城県仙台市周辺
  韓国
宮城県石巻市周辺
  台湾
  ロシア
宮城県名取市周辺
  メキシコ
  モンゴル
  南アフリカ
宮城県角田市周辺
  アメリ
福島県相馬市周辺
  シンガポール
ほとんどの支援部隊は先月中に活動を終了し、帰国。そんな中、今も残って支援を続ける国も。
宮城県利府町でオレンジや赤のテントがたくさん張っている光景が出てきた。
藤巻さん、「こちらに赤やオレンジのテントがいっぱい並んでいます。あちらに日本とトルコの国旗が掲げられています」
先月19日から宮城県利府町にある運動公園にテントを張り、支援活動を続けているのがトルコから来た救援部隊。隊員たちは今もガレキの撤去や行方不明者の捜索などの活動を行っています。
日本語が話せるトルコの救援部隊員ハサン・エルソラックさん、
「トルコから来て行方不明の方の捜索とか、トルコから持ってきた飲み水や食べ物を配って被災地の方に話をしています」
大阪に留学した経験のある親日家のハサンさんは今回の震災に心を痛めています。
ハサンさん、「テレビで見た光景より、被災地の被害がひどく大変です」
救援部隊のメンバーはハイパーレスキュー隊員に政府の対外対策関係者。そして医療チームの33人。それぞれがタッグを組んで捜索活動に当たっている。今後も支援活動を続けていく予定だという。
危険と隣り合わせの活動。その取り組みにはある理由があったのです。
ハサンさん、「1999年のトルコの大地震で日本の政府から助けてもらったことがいっぱいあるし、日本からしてもらったことをお返しだと思って頑張っています」
1999年にトルコを襲ったマグニチュード7.4のマルマラ地震。この大地震による被害は死者1万7118人という甚大なものでした。この時日本からはレスキュー隊37人、医療31人、地震専門家8人が派遣され、現地での救助活動を行いました。
     ・
ガレキの中をいろいろ探し回るハサンさん、
「ありました。ありました。誰のかな」
ハサンさんがガレキの中から見つけたのはアルバムの1ページ。流され、持ち主が分からなくなった写真など思い出の品を見つけた場合は町役場に届けています。
宮城県七ヶ浜町役場でアルバムや写真が展示されている映像が出てきた。
昨日も七ヶ浜町に住む親子が家族の写真が見つかっていないか、町役場に探しに来ていました。
探しに来た女性、(アルバムの写真を見て)「このあばあちゃん、分かるかも。お近くの方だと思います」
自分たちの写真は見つかりませんでしたが、知り合いのあばあちゃんが写っている写真を発見しました。
探しに来た女性、「こんな遠くの日本まで、七ヶ浜の小さな町に来てくださって、本当にひとつひとつ思い出を集めてくださって非常にありがたいです」
かって差し伸べられた、そのことを忘れずにいてくれる人たちがいるのです。
ハサンさん、「トルコと日本の関係をこれからも、もっと深くしたかったので友好な感じで、これからも日本とトルコが一緒に将来を歩けばいいと思っています。それだけでも頑張っていました」
一方、こちらも震災の爪痕が残る宮城県南三陸町。ここではイスラエルの医療チームが支援活動を行っています。
番組スタッフの人、「なぜ日本に来たんですか」
イスラエル医療チーム小児科医師、
(日本語で)「大きな地震とか津波で日本がいろいろ問題が起きているので・・・。私は小児科の医師です」
     ・
じじぃの感想
「かって差し伸べられた、そのことを忘れずにいてくれる人たちがいるのです」
いい言葉ですね。