クルド人の先祖伝来の新年祭「ネブロス」 埼玉・蕨
在日クルド人
(business.nikkei.com HPより)
在日クルド人
ウィキペディア(Wikipedia) より
日本クルド文化協会によると難民などで、構成される在日クルド人の数はおよそ2000人とされる。特に埼玉県蕨市や川口市を中心とした埼玉県南部には、1990年代にトルコ政府の迫害を恐れたクルド人たちが友人を頼って来日し、トルコ国籍のクルド人の難民約1300人が集住している。蕨市周辺はワラビスタンとも呼ばれている。
【生活・文化】
多くの在日クルド人はクルド語とトルコ語を混用して使用し、クルド人男性の大多数は日本語を習得している。日本で生まれ育ったクルド人の子などは3ヵ国語を話す。在日クルド人はトルコ国内では制限されているクルド人の文化を自由に表現し、トルコでは政治的な側面から禁止されている"Runi"や"Rohat"という名前を子供に付ける人も多い。また、ネブロスと呼ばれるクルドの新年を祝う祭りなどを蕨市内の公園で盛大に祝う、など、彼らはクルド文化を紹介するイベントを開催し、周辺住民と積極的に交流している。また、クルド人はもともと宗教的な民族ではなく世俗主義的であるため、イスラム主義とは距離を置いている人が多く、お祈りをしない人も珍しくない。
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なぜ埼玉県南部にクルド人が集まるのか?
2016年4月21日 日経ビジネス電子版●クルディスタンを離れ「ワラビスタン」になった理由
クルド人は元々、トルコやシリア、イラン、イラクに広がる山岳部に住む民族で、世界に約4500万人いるとされる。だが、独立国を持てず、各国では少数民族として迫害を受けてきた苦難の歴史がある。そのため一部のクルド人は、故郷の地である「クルディスタン」を離れ、世界各地へ難民として逃れているのが現状だ。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/221102/042000211/
『クルド人を知るための55章』
山口昭彦/著 赤石書店 2019年発行
在日クルド人コミュニティ より
埼玉県南部の川口市、蕨市。在日クルド人が居住するこの地域を、故郷の「クルディスタン」にかけて「ワラビスタン」と呼ぶ人もいる。2018年現在、ここには少なくとも1200人以上のクルド人が暮らすと見られているが、その多くが難民申請者であり、解体や土木、飲食などのアルバイトをしながら、家族とともに生活している。
今からおよそ25年前、1990年代初頭からトルコ国籍のクルド人(おもに男性)が、当時、イラン人など多くの外国人が居住していたこの地に集まり始めた。在日クルド人の第1世代は、トルコ南東部のアドゥヤマン県ギョルバシュ郡マハキャンル村に起源を持つ人が多い。だが今、トルコの地図にその村は存在しない。
「私のおじいさんたちは、もともとはエルズルム、エラズー、エルズィンジャン、デルスィム辺りにいたマフコンという部族の人。1937年にトルコ軍がデルスィムを包囲したときに、部族のみんなを引き連れて逃げ、自分らの村を作ったの。それがマハキャンル村。すごく広いヤイラ(牧草地)があって、羊もいっぱい。でも70年代にトルコ政府が別の土地に作った新しい村々に、マハキャンルの人たちは無理やり移住させられ、バラバラになったんです。新しい村は安全じゃなかった。トルコ軍が襲ってきて本当に怖かった」
こう語るMは、幼い頃に見た「村と村人たちを陵辱する軍人たちの姿」を、今でもはっきりと記憶する。90年のネヴローズ(ノウルーズ)で、クルド人解放のスローガンを叫び警察から激しい拷問を加えられたMは、93年に兵役を拒否してトルコを脱出、20歳でビザの免許協定がある日本に入国した。
また、92年のネヴローズでトルコ国旗を下ろしてクルディスタンの旗を掲げ、警察に逮捕、拷問されたBは、常に監視されるようになったため94年、25歳でトルコを出国し来日した。翌年、川口市内の飲食店で親戚や友人たちとネヴローズを祝ったときに「自分たちの旗を飾っても、ここでは抑圧されないのだ」と実感する。彼らが「クルド人の文化を日本人に伝えたい」という思いを強め、文化的な協会を造ろうと活動を始めたその様子は、MED-TV(欧州に亡命したクルド人たちが、1995年にロンドンでも立ち上げた初のクルド語衛生放送局。トルコ政府等の圧力により1999年に閉鎖)の流れを引き継いだROJ-TV(2012年停止)でも放映された。
93年から95年のトルコ南東部では治安部隊によるクルド人への弾圧が激化、97年に日本でクルド難民弁護団が設立されるまでに、親戚を頼って来日したクルド人およそ90名が、すでに日本政府に対して自力で難民申請を行っている。
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2015年春、在日クルド人として初めての大学生が誕生した。長年、彼女を支援し続けてきたクルドを知る会の松澤秀延氏は「在日クルド人の歴史は、次の時代を迎えている」と言う。在日クルド人の難民問題が解決しないまま、家族の呼び寄せで近年増加しているクルド人女性や、子どもたちに関する新たな問題が大きくなっている。そのようななかで、新しく埼玉県川口市に設立された「日本クルド文化協会」には多くの若者が集まり、特に女性たちが活動に参加しているのは、これまで在日クルド人コミュニティのなかでは見られなかった変化である。
2017年、クルド人による難民申請はこの年だけで1195件。