じじぃの「科学・地球_509_移民の世界ハンドブック・中近東・シリア難民」

【シリア難民危機】破壊された故郷に帰還した家族

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cmVbwoqeGMY

シリア難民の行き先と周辺国


その一歩はいつか、シリア再建への一歩に。

国連UNHCR協会
2011年3月にシリア危機が始まってから、丸11年。その間約568万人がシリアから周辺国に避難。
シリア国内では、今も約670万人が避難生活を送り、約1340万人が人道援助を必要としています。
https://www.japanforunhcr.org/appeal/syriacrisis

『地図とデータで見る移民の世界ハンドブック』

カトリーヌ・ヴィトール・ド・ヴァンダン/著、太田佐絵子/訳 原書房 2022年発行

激動する途上国――アラブ世界、アフリカ、アジア より

中近東、紛争にかかわる移住

この緊迫地域には、さまざまな形の移住がある。シリアやイラクの紛争は、未曽有の規模の難民を生み出した。そのほかにも、継続的な紛争によってひき起こされている強制移住がある(パキスタン人、クルド人アフガニスタン人など)。自発的移住は、経済的不安定によるところが大きい(エジプト)。こうした多くの移民たちのうちでも、特に貧困層は、この地域内にとどまっている。

近東の移民

近東には、東地中海沿岸のすべての諸国がふくまれている。つまりトルコ、シリア、レバノンパレスチナイスラエル、エジプトであり、さらに沿岸ではないがヨルダンもふくまれる。ほとんどの国は、数十年前に独立し、数々の紛争をへて、多くの難民を生み出してきた。
1948年以降、国連パレスチナ難民救済事業機関UNRWA)の支援を受けている、約500万人のパレスチナ難民は、隣接するペルシャ湾岸のアラブ諸国や、ヨーロッパやアメリカに住んでいる。ヨルダンには約200万人のパレスチナ難民が住み、帰還を要求しつづけている。しかしイスラエルでは、帰還の権利はユダヤ人にしか認められていない。
シリアでは、2011年の反体制派による蜂起が内戦に発展し、約800万人の人々がレバノンやトルコ(300万人)に避難する事態になった。2015年には100万人のシリア人が、平和と難民認定を求めてヨーロッパに向かった。この地域では、ほとんどの国が庇護申請に応じていなかったからである。1951年に難民条約に署名したトルコは、庇護にかんする地理的留保により、その適用をヨーロッパからの難民に限定している。アラブ諸国では5ヵ国(モロッコアルジェリア、チェニジア、エジプト、イエメン)だけが難民条約に署名しているが、難民認定がなされることはほとんどなく、またこの地域のどのアラブ・イスラーム国も、庇護権を認めていない。
ヨーロッパの多くの国が難民受け入れに消極的なため、トルコは庇護申請者の受け入れ国として、第13位から第3位に浮上した。イタリアも第15位から第5になっている。レバノンは150万人のシリア人を受け入れた。シリア難民に対して、トルコ南部の国境やイスラエルの国境は閉ざされている。

中東

中東は西アジア諸国で構成されている。すなわちイラン、イラクアフガニスタン、さらにパキスタンである。
イラクでは、1991年の湾岸戦争にくわえ、クルド人問題が、強制移住の大きな要因となった。イラク国内にはクルド人が600万人いるとみられているが、2006年にはクルド自治政府をもつこともできたので、トルコやイランやシリアにいるクルド人よりは安定した地位を築いている。しかし、アメリカに後押しされたイラククルド人地域の形成は、不安定な情勢をもたらす危険性がある。この地域は2017年まで、過激派組織「イスラム国」(IS)の攻撃を受けてもいた。
アフガニスタンでは、近年史上最多である600万人の難民に対して帰還政策を実施したにもかかわらず、若者たちが次々に難民として国外に出ていっている。1970年代末にソ連に占領されたあとこの地を支配したターリバーン政権は、アメリカが主導する有志連合の攻撃で崩壊した。600万人もの難民は、パキスタンやイラン、ヨーロッパに向かった。パキスタンでは、かつてないほどの被害をもたらした2010年のインダス川の洪水によって、2000万人が移住を余儀なくされた。そのうちの360万人は、南部のシンド州だけで占められている。数百万人の国内避難民は、キャンプ地で、栄養失調や宿泊施設の不足に悩まされている。

少数派キリスト教

中近東が民俗的・宗教的な紛争状態にあるなかで、少数派キリスト教徒たちはいま、危機的な状況にある。イスラーム教国としてのアイデンティティが強く打ち出されるにつれて、共存はもはや困難になっている。宗教的な連帯のネットワークは存在するにしても、この問題についての国際的な関心はあまり高くない。その結果、東方キリスト教圏独自の典礼をもつことで、キリスト教徒としての集団的アイデンティティを保つようになっている。そのことが、西方教会との距離を広げる可能性もある。