じじぃの「科学・芸術_541_インカ・エメラルドのオウム」

  翡翠(ヒスイ)

5月の誕生石「エメラルド」と「翡翠」 は別の宝石ですか? 2018.03.12 RECARAT ONLINE
ヒスイ(翡翠)とエメラルドは、どちらも緑の宝石なので、色や品質によっては見分けがつきにくいかもしれません。ただし、この2つは似ていて非なるもの。
https://recarat.me/online/2018/03/12/emerald_and_jade/
2014年1月5日、テレビ東京 『たけしの新・世界七不思議大百科 〜古代文明ミステリー〜』
【MC】ビートたけし松丸友紀 【パネラー】荒俣宏菊川怜、岸本加世子、吉村作治
マヤ文明 ヒスイの仮面】
340片の翡翠(ヒスイ)、4片の貝殻、2片の黒曜石が使われていたヒスイの仮面。
その仮面は、中米ユカタン半島 メキシコ パレンケ遺跡から発掘された。
ヒスイの仮面の主は一体誰なのか?
1952年、メキシコの考古学者アルベルト・ルス(1906 〜 1979)は、4年の歳月をかけて、建物の奥の隠し扉の向こうにあった墓を見つけた。
王の墓は高さ7メートルの空間。真ん中に彫刻を施した大きな石棺があり、部屋のほとんどを占めていた。
この中には無数のヒスイのかけらとともに人骨が。
マヤ文明は紀元前800年頃から、16世紀にスペイン人に滅ぼされるまで2000年以上続いた文明である。
この建物は王の墓とヒスイの仮面が出てきたことにより、「パレンケ 碑銘(ひめい)の神殿」と呼ばれる。
その石棺には、宇宙船を操縦するかのような絵と意味不明のマヤ文字が刻まれていた。
7世紀ごろ、強大な権力を握っていたパカル1世(603 〜 683)。パレンケの王(パカル王)と呼ばれる。
なぜ、死者にヒスイの仮面をつけたのだろうか?
柔らかで落ち着いた色合いで、古くから中国、日本などでも王の持ち物だったのがヒスイである。ヒスイは王でなければ持つことができなかった。
マヤの王の遺骨にヒスイの仮面をかぶせるのは、死後の世界で王を守ってくれるからだった。
松丸友紀、「菊川さんは金とヒスイ、どっちを選びますか?」
菊川怜、「ヒスイですね」
http://www.tv-tokyo.co.jp/nanafushigi_d/
『宝石 欲望と錯覚の世界史』 エイジャー・レイデン/著、和田佐規子/訳 築地書館 2017年発行
エメラルドのオウムとスペイン帝国の盛衰 より
コロンブスは人生で最も意気揚々と帰還した。先住民を誘拐して船に詰め込み、彼らから盗み取った宝飾品少々を添えて、彼は宮廷に献上した。新世界の人々は奴隷にされたり、改宗されたりするのがふさわしい人間だったろうか? イザベラ女王が信じたように、彼らは今やスペインの国民になったのか? あるいは、コロンブスが主張したように、彼らはスペイン帝国の所有にかかる天然資源なのか? それはその後の数世紀間荒れ狂うことになる議論だった。奴隷の将来性を喜ぶスペイン人もいれば、新大陸の資源の可能性に心をそそらされる向きもあった。
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『インカ皇統記』によると「この付近のいわば首都マンタの谷には巨大なエメラルドがあり、ダチョウの卵ほどもある大きさだと言われている」。エル・インカ(ペルーの歴史家)が「偶像崇拝者」と呼んでいる現地の住民は、「エメラルドを崇拝している」という。この都市では、人々はこの巨大で素晴らしいエメラルドを偶像としてだけではなく、生きている女神として扱っているという。卵のように見えると説明するが、民間の伝承ではオウムとして描かれている。非常に大きな宝石に、細部にわたって彫刻がほどこされていた。エル・インカは次のように書いている。
「大きな祭りで像は飾られ、インディオ達ははるか遠くから小ぶりなエメラルドを持ってきては、祈りを捧げ、供物としてエメラルドを供える」
このように生きている鳥の女神として崇拝されたエメラルドは神殿に安置されていたが、そこにはさらに多くの財宝が所蔵されていた。生きているエメラルドを賛美し、供物を捧げることは、「より小さいエメラルドを供物として持ってくるという形を取った。マンタの有力者カシークの神官達が、女神、巨大なエメラルドへ、その娘達である小さなエメラルドを供物として供えることは、捧げものとして非常にふさわしいと言ったからだ」。
事実、人々がアルバライドとその部下達に語って言うには、全てのエメラルドは大エメラルドの娘達である。そして自分の子ども達が戻ってくる以上に母が深い喜びを感じる贈り物はないと、神官達は人々に教えていたという。またこの信仰は地理的に広い地域にわたっていたために、「この地には大変な量のエメラルドが集められた。ペルーを征服するためにやって来たドン・ペドロ・デ・アルバライドとその仲間達はこの地でエメラルドの山を発見した。この中の一人がガルスラソ・デ・ラ・ベガ(エル・インカの父)だったのだ」。
それぞれが見聞きしたことを考え併せて推論するのに、長い時間はかからなかった。スペイン人達は神殿の内部を見せてほしいと頼んだ。そこにあふれんばかりのエメラルドがあったことは驚くにはあたらない。彼らが旧世界で見たことのあるものよりも、はるかに素晴らしいものだったのである。
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市場が飽和状態となって、エメラルドが無価値となるに至って、スペインは決定的な転換点に到達した。歴史的な量で流れ込んだ財宝によりスペイン経済は供給過多となり、財宝自体が無価値となる事態に及んだ。1637年のオランダのチューリップ・バブルの崩壊のように、希少性効果が誘発した幻想は破られた。綺麗だけれど、どこにでもある石を自分たちが取引していることに気がついた時、エメラルドの価値は霧消したのである。