じじぃの「科学・芸術_948_世界の陰謀論・失われた文明」

Ancient Lord Pacal`s Spaceship 3D modell

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6Zpwpnfk1RI

The Mystery of Stonehenge: Aliens, Giants, and Music?

The Mystery of Stonehenge: Aliens, Giants, and Music?

October 25, 2018 oxbow_books
●Aliens did it.
You can’t talk about Stonehenge without bumping into a good old-fashioned alien conspiracy theory. One of the most prominent can be traced back to a book published in 1968 by Erich von Daniken, called Chariots of the Gods? Unsolved Mysteries of the Past. The book suggests that ancient religions and technologies were given to ancient civilisations by ancient alien astronauts, who were received as gods.
https://www.oxbowbooks.com/oxbow/blog/2018/10/25/mystery-stonehenge-aliens-giants-music/

『ビジュアルストーリー 世界の陰謀論

マイケル・ロビンソン/著、安納令奈/訳 ナショナル・ジオグラフィック 2019年発行

失われた文明

誰が、何のためにストーン・ヘンジを作ったのか? そして、これを作った文明に何が起きたのか? 約5000年前に作られた遺跡ストーン・ヘンジは、何世紀も前から考古学者や人類学者を悩ませてきた。こうした謎がいまも解けずにいる理由、それは手がかりになる文書記録が少ないことだ。考古学者によって発掘された多くの遺物の研究から、いくつもの学説が生まれた。しかし、この場所にいた人々の営みを伝える証拠はとても少ないため、陰謀説好きも仮説をいくつも立てた。その1つに、ストーンヘンジを作った人々は、宇宙からの移住者と共存していたに違いない、という説がある。こうした古代遺跡は世界各地にまだまだある。だけらやはり、こう思わずにはいられない。「この文明に一体、何が起きたのか?」

ストーンヘンジ

考古学者の定説では、この地に最初にストーンヘンジが作られたのは紀元前約3000年ごろ。おそらく工事は3段階に分けて行われ、完成まで約1000年かかった、と考えられている。遺跡近くで発見された埋蔵品を調べると、この辺りは狩猟採集民が支配していたらしい。しかし、ストーンヘンジを作ったのも彼らだろうか? ストーンヘンジについてはいまだにこうした謎があるため、陰謀説愛好家は決して退屈することはない。たとえばこんな説がある。グレートブリテン島の歴史を記した『ブリュ物語』という12世紀の書物には、ネフィリムという巨人族ストーンヘンジを作った、と書いてある。ほかにはもちろん宇宙人説あある。宇宙人たちはストーンヘンジのほかにも古代遺跡を数多く作ったといわれる。
世界中のさまざまな遺跡をマッピングする”ワールド・グリッド”という取り組みがある。遺跡をすべて線でつなぐと、網目模様が地球上に張りめぐらされる。この網目模様が、宇宙人のそのもの目的だったと、と歴史の定義を疑う人々はいう。古代遺跡の位置を結んでできる図形に初めて注目したのは、古代痕の宇宙観を天文学に基づいて考察する古代天文学者の草分け、サー・ノーマン・ロッキャー(1836~1920年)という人物だ。

マヤ文明

マヤ文明は少なくとも約3000年前から存在したことは確かで、最も栄えた「古典期」と呼ばれる時代は西暦200年から900年頃だったことを示す証拠はふんだんにある。しかし、13世紀以降、この文明は不可解にも衰退しtいったらしい。マヤ文明メソアメリカ文明の1つで、現在のメキシコ南部で圧倒的に栄えていた。その存在を証明する特に重要な古代都市には、コパン、パレンケ、チチェン、イッツァがある。こうした都市がすたれていったと言い切れるのはなぜか、実はこの時代以降、彼ら独自の象形文字で彫られた碑文が途絶えてしまうからだ。
科学者の大半は、マヤ文明が滅亡した原因はおそらく、気候の変化か飢饉、あるいは流行病だろう、と考えている。しかし陰謀説マニアの多くは古代宇宙飛行士説との関連性を信じている。マヤ文明の支配者たちは実は宇宙人で、宇宙のどこかの星に帰還したというのだ。数」ある証拠の中でも説得力のある1つが、パレンケにあるパカル王(603~683年)の神殿である。エーリッヒ・フォン・デニケンによれば、神殿に葬られた王の石棺に、王が宇宙船の内部でさまざまな制御機器を操作する姿が描かれているという。証拠はまだある。コパンの階段に彫られているのは、マヤの僧侶が神々と通信している様子だ。この神々は宇宙人だった。、と陰謀説好きは信じている。