じじぃの「人の死にざま_1270_Y・クノローゾフ」

Cracking the Maya code (vlaams) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v1MXMV5oCJc
Knorozov: Decrypting Maya 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=yuzIlKK8xEg
マヤ文明

マヤ文字

Yuri Knorozov Wikipediaより
Yuriy Valentinovich Knorozov (alternatively, Knorosov; in Russian: November 19, 1922 - March 31, 1999) was a Soviet linguist, epigrapher and ethnographer, who is particularly renowned for the pivotal role his research played in the decipherment of the Maya script, the writing system used by the pre-Columbian Maya civilization of Mesoamerica.

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地球ドラマチック 「古代マヤ文字を解読せよ!」 2013年12月7日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
超難解! 謎の絵文字を解読した天才少年とはマヤ文明の真実に迫る。
長い間謎とされてきた古代マヤ文明の文字、近年ようやく解読に成功、高度の文明の知られざる歴史が明らかになりつつある。超難解な文字はどのように解読されたのか。
中米で栄えた古代マヤ文明は、独特な絵文字を使っていた。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013052890SC000/?spg=P200800016500000
2013年12月7日 NHK Eテレ 地球ドラマチック「古代マヤ文字を解読せよ!」より
マヤの遺跡に見捨てられた神殿に巨大な石版がありました。石版には人の姿と絵文字が刻まれていました。
碑文研究者 デヴィッド・スチュアート、「彼らは石版に彫られたものが単なる絵ではなく、それ以上の意味があるとも気づいていました」
他にも多くの遺跡が発見され、探検家たちは絵文字を書き写しましたが、正確なものではありませんでした。
しかし、1880年代、イギリスの考古学者アルファベット・モーズリーがカメラを持ち込んだことで状況は一変しました。写真によって絵文字を正確に記録できるようになったのです。
マヤ文字の解読に大きな役割を果たしたのがイギリスの考古学者J・エリック・トンプソンです。トンプソンは800を超えるマヤの絵文字を細かく分類して番号をふり、整理していきました。
トンプソンはマヤの人々と一緒に暮らした経験があり、マヤの文化に深い敬意をはらっていました。
トンプソンはマヤ文字解読の鍵は時間とその経過を綴ったその石碑にあると考えました。石碑に描かれている人物は神々や神官であり、絵文字は天の世界の神秘を記したものだと結論づけたのです。
ほとんどの学者がトンプソンの説を受け入れ、マヤ文字は暦の日付以外、理解不能だと考えました。
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1945年5月、マヤ文字解読の歴史にもう1つ大きな転機がありました。第二次世界大戦の末期ドイツのベルリンに侵攻した旧ソビエト軍の中にユーリー・クノローゾフ(1922〜99)という若い将校がいました。
解決不可能だと言われていたマヤ文字。クノローゾフはひきつけられました。彼は言語学の道に進み、エリック・トンプソンが第一人者として君臨していたマヤ文字研究分野で雄一ロシア人学者となったのです。
ノローゾフは研究の一歩として、マヤ文字がいくつかの記号から成り立っているかを数えました。
ある文字体系が100個以内から成り立っていれば、表音文字と見なすことができます。さまざまなアルファベットやアラビア文字が代表的な例です。
一方、記号が桁違いに多ければ表意文字です。表意文字の代表は中国語で、何千という単語に対し、それに対応する漢字が存在しています。
マヤ文字はおよそ800個。アルファベットのような表音文字に対しては多すぎ、漢字のような表意文字に対しては少なすぎます。
そこで学者たちは数百の単語だけを表す限定的な表音文字だと考えました。しかし、クノローゾフは書き言葉が必ずしも1種類の記号だけで成り立たないことを知っていました。
マヤ文字表音文字表意文字が混在したものではないかとクノローゾフは考えました。トンプソンはクノローゾフの説には不確かな点があったため、クノローゾフの説は真っ向から否定しました。そのためクノローゾフの説は黙殺されてしまいました。
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突破口を開いたのは、あるアメリカの少年でした。歴史学者の父親に連れられ、遺跡が遊び場だった少年が鍵を握るのです。
マヤ文字が、表形と表音の両方であると発表したのが、テキサス大学碑文科のデヴィッド・スチュアートでした。科学雑誌の編集をしていた父親に連れられ、おしゃぶりをくわえている頃からマヤ遺跡に来ていました。驚くことに、僅か12歳で、マヤ文字の学術論文を発表しました。

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Yuri knorozov maya Google 検索
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