じじぃの「世界遺産・暦・マヤが残した1年の長さ・365.242日の不思議!本当はどうなんだろう」

Cracking the Maya code (vlaams) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v1MXMV5oCJc
天から舞い降りる大蛇:ククルカン(マヤ動画) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KQ-qk5cTqI4
NASA: Mayan Astronomy 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=5W9zFwBQb6c
Mayan Calendar 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=BeE-3BBqG58&feature=rellist&playnext=1&list=PLC4221D5CB0B798C7
チチェン・イツァー略図 画像
http://www.bornfromegg.net/colo/images/yt_cci11.gif
チチェン・イツァー Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%81%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC&oi=image_result_group&sa=X
Calakmul Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&oi=image_result_group&sa=X&q=Calakmul&tbm=isch
CODICES MAYAS
マヤ文明を知る手掛かりは、遺跡に残された廃墟の他、考古学的資料の中に コデックスと呼ばれる 文字と絵で記された絵文書があります。
http://www.geocities.jp/ruinas_maya/tematicos/codicemaya/index.html
マヤ歴のロングカウントカレンダーが2012年で終わっているのはなぜですか? 2008/3/22 Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015432750
マヤ文明 ウィキペディアより
マヤ文明とは、メキシコ南東部、グアテマラベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。
【歴史】
大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル=ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。エル・ミラドール、ナクベ、カラクムなど大都市では、古典期を凌ぐ大建造物が、紀元前400年以降に建てられたことが分かってきた。
開花期の古典期(A.D.300-900)にはティカル、カラクムルなどの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑が盛んに刻まれた。
【マヤのカレンダー】
マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。1つは、一周期を260日(13日の20サイクル)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヵ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。
ワイエブ月を除いたハアブ暦(360日)とツォルキン暦(260日)の組み合わせが約13年(13トゥン)ごとに一巡する。これをベースとして4サイクルの約52年を周期とする 。この他、より大きな周期も存在していた。このようなカレンダーの周期のことをカレンダー・ラウンドという。
また、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、長期暦(ロング=カウント;Long Count)と呼ばれるカレンダーも使われていた。石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。
・キン(1日)
・ウィナル(20キン)
・トゥン(18ウィナル、360キン)
・カトゥン(20トゥン、7200キン)
・バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日に現れるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる。
かつては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説であるがその誤りが判明している。カラクムル遺跡にある15回目のカトゥン(9.15.0.0.0.,731年)を祝う石碑が7本あるが、その1年前に修正がなされており、太陽年を意識して201日分を加えている。これを太陽年を最初から想定していたとすると1年を365.2421日(3845年間に931日の閏日)としていたことになる。また、キリグアの785年を刻んだ石彫で、212日を追加する修正が見られる。グレゴリオ暦では、215日であり、太陽年で正確に計算すると214日の誤差となる。これを太陽年を想定した1年の日数とすると365.2417日(3898年間に942日の閏日)になる。単純に考えれば肉眼のみの観測で非常に精度が高い値で修正を行っていること自体は驚くべきであるが、実際にはグレゴリオ暦のように暦の1年を意識して計算しているものではないため、精度の高い暦を使っていたということはできない。
なお、ニューエイジ関連の書物ではマヤの長期暦は2012年の冬至付近で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い(2012年人類滅亡説)。しかし、フォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性にかけた予言であり、さらにマヤの暦は現サイクルが終了しても新しいサイクルに入るだけで永遠に終わらないという見方もあり、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している。
この他、カール・コールマン博士の計算によると「マヤ暦の最終日は2011年10月28日」との説もある。

                                              • -

世界遺産ライブラリー [古代都市チチェン・イツァー] NHK世界遺産
チチェン・イツァーの古代都市遺跡は、メキシコ・ユカタン半島の突端付近にあり、9世紀から13世紀に栄えたマヤ文明の遺跡です。紀元前、現在のグアテマラで発祥したと言われるマヤ文明は、ユカタン半島までの広大なエリアにその痕跡を残していきました。
「シリーズ世界遺産100」では、チチェン・イツァーのマヤ人がどのような宇宙観を持ち、何を信仰の対象としたのかを伝えます。
チチェン・イツァーの遺跡で最も際立っているのは階段状のピラミッドで、最上部は「ククルカンの神殿」と呼ばれます。ククルカンとは「羽毛のあるヘビ」の意味で、メキシコ中央高原で重要な神であるケツァルコアトルが、マヤの地に来て呼び名を変えたと言われています。
ククルカンの神殿の隣に「戦士の宮殿」があります。正面にはチャクモール像があり、腹部は平らな台になっていて、生贄(いけにえ)となった人間の心臓が供え物として神に捧げられました。人間の心臓は、西に沈み疲れた太陽に、再び東から昇るための活力を与えると考えられていました。地下世界に行った太陽が、再び天界によみがえり、新しい時間がそこから始まると考えられていたのです。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards153.html
地球ドラマチック 「古代マヤ文字を解読せよ!」 (追加) 2013年12月7日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
超難解! 謎の絵文字を解読した天才少年とはマヤ文明の真実に迫る。
長い間謎とされてきた古代マヤ文明の文字、近年ようやく解読に成功、高度の文明の知られざる歴史が明らかになりつつある。超難解な文字はどのように解読されたのか。
中米で栄えた古代マヤ文明は、独特な絵文字を使っていた。
http://www4.nhk.or.jp/dramatic/
コズミック フロント 「太陽の民 マヤ 〜いま明かされる驚異の暦〜」 2011年7月5日 NHK
中央アメリカの密林で2千年にわたって栄え、16世紀に滅亡したマヤ文明
2012年の終末予言をしたとも言われるマヤは、今も多くの謎に包まれている。ピラミッドをはじめとする遺跡の天文学的な分析や、天体の観測結果が記された古文書の解読などから、マヤは天文学を高度に発達させていたことがわかってきた。マヤの太陽暦の精度は"4千年で1日の誤差もない"というほどで、同時代では世界一の正確さを誇った。望遠鏡はもちろん、金属すら用いなかったマヤの人たちの暦を支えたものは、数百万という膨大な数字を簡潔に記すことができるマヤ数字や、ロング・カウントと呼ばれるマヤ独特の時間概念の存在だった。近年急速に進みつつある象形文字の解読や、遺跡の調査から、マヤ天文学の秘密に迫る。
http://www.nhk.or.jp/space/program/cosmic_0705.html
『愛蔵版 世界遺産・封印されたミステリー』 平川陽一/著 PHP研究所 2010年発行
チチェン・イツァーの遺跡で行われていた血の儀式の真相 【遺跡名】チチェン・イツァーの古代都市 (一部抜粋しています)
19〜20世紀にかけて、ユカタン半島熱帯雨林の中から、次々と壮麗な遺跡が発見され、この一帯はいまや、遺跡のメッカと呼ばれている。その中でも、最高傑作と評されるのがチチェン・イツァーである。スペイン人が中米に侵略を進めるまでは、ユカタン半島最高の繁栄を誇っていた都市遺跡だ。
チチェン・イツァーは、現地語で”泉のほとり”を意味し、その名のとおり、遺跡の近くにはセノーテと呼ばれる聖なる泉がある。近年、この泉は先史時代に小惑星が地球に衝突した跡であることがわかり、大きな話題となっている。ユカタン半島にはセノーテの泉をその一部とする輪状の泉、あるいは泉跡がある。それを連ねた大きな輪が小惑星の衝突跡であり、地球の歴史を知る上で、貴重な手がかりになっているのだ。
セノーテの泉のほとりに栄えたチチェン・イツァーの遺跡は、およそ6平方キロメートルという広大な面積を占め、新チチェンと旧チチェンの2つのエリアに分けられている。旧チチェンは5〜6世紀ごろの建設、新チチェンは10世紀以降の建設だと考えられている。
遺跡から出土した資料やさまざまなマヤ・トルテカの資料などをつきあわせた結果、旧チチェンを建設したイツァー族は、グアテラマからやってきたマヤ族の一部族で、非常に反映し、そのピークは450年ごろだった。しかし、イツァー族は7世紀末にはこの地を去り、チチェン・イツァーの歴史はいったん途絶えている。
しかし、10世紀になってイツァー族の生き残りの末裔が高原地帯の覇権を手にしたトルテカ人と同盟を結び、再び、繁栄の歴史を刻み始める。2度目の繁栄のピークは1000〜1200年ごろであり、13世紀に入ってほどなく、マヤパン族の襲撃を受けて、さしもの権勢を誇ったイツァー族は滅亡に追い込まれる。わずかな残党はチチェン・イツァーを捨てて、密林の中に生き残りの道を求めて消えていった。
こうしてチチェン・イツァーは廃墟となったが、その後もこの地は、マヤの後継者アステカ人によって宗教的遺跡として大切にされ、巡礼者の姿が絶えることがなかった。遺跡に建設者の栄枯盛衰の波にもまれ、熱帯樹林に埋もれてしまった多くの遺跡とはことなり、チチェン・イツァーが比較的原型を保っているのは、そうした歴史的経緯のおかげだといえるだろう。
        ・
新チチェンの北西部に、頭蓋骨の城を意味する「ツォンパントリ」がある。ここは、生贄となった人の頭蓋骨を、一般の人々に披露するための場だった。城壁のような壁には、一面に、さまざまな頭蓋骨が描かれて気味が悪い。
気味が悪いといえば「ツォンパントリ」のさらに西には競技場がある。この競技場はメソアメリカ文化圏でも最も美しい建造物の1つといわれ。長さ145メートル、幅37メートルのコートを囲む塀には、一面に競技者の姿が浮き彫りにされている。
ここで行われた競技はサッカーとバスケットを合わせたようなもので、足や腰、ひじでボールを蹴り上げ、壁の上部にとりつけられた石の輪に通して得点するというものだった。だが、しばしば、このボールの代わりに、人の頭が使われたと伝えられるのだ。
チチェン・イツァー族はなぜ、これほどまでに血の粛清を好んだのであろうか。
        ・
20世紀初頭、チチェン・イツァーを初め、ユカタン半島に点在する数知れぬピラミッドの探索と研究が精力的に進められる中で、ある神殿ピラミッドから、不思議な円形の石が発見された。
旧石器時代の石の貨幣に似ているところから、同類のものだと考えられたこの石は、古代マヤのカレンダーだった。そして、この石がカレンダーであるとわかると、それまで、正体不明だったある浮き彫りが、金星のカレンダーであることが判明した。
古代文明を栄えさせた民たちの多くは、天文にことのほか興味を示した。農耕を行ったり、川の氾濫時期を予知するのに、天体の運行は貴重な情報源だったからだ。だが、天体観測の主役に金星をもってきた民族はほかにはいない。なぜ、イツァー族だけが、異常なほど、金星にこだわりを見せたのだろうか。
そしてなぜ、天体を愛し、おだやかな宗教観をもつ文化を築いたイツァー族が、数百年のブランクの後に再び繁栄を取り戻したとき、一転して残忍性を帯び、今度は凄惨な血の儀式を好む民族に変ってしまったのだろうか。その変換の背景にどんな理由が隠されているのか。それはまだベールに包まれている。

                                              • -

どうでもいい、じじぃの日記。
9/16、再放送であったが NHK コズミック フロント 「太陽の民 マヤ 〜いま明かされる驚異の暦〜」を観た。
大体、こんなことを言っていた。
きょうの物語は中央アメリカ・ユカタン半島。聳えるのはマヤのピラミッドです。
年2回、ピラミッドの階段に蛇が映るという映像が出てきた。
今から1000年以上も前にマヤの人たちは天文学を始めるため、正確な歴(こよみ)を作り上げました。
古代マヤ人が2012年に人類滅亡を予言したとされる映画『2012』の映像が流れる。
2年前に公開されたハリウッド映画『2012』。2012年、地球が突如地殻変動に襲われ、人類が滅亡の危機に直面するというSF映画だ。実際2012年はマヤにとって特別な年です。
マヤはメキシコ南部やグアテラマを中心に紀元前6世紀ごろ起こった文明です。しかし16世紀に入ると、廃墟だけが残されています。謎に包まれた文明、マヤ。
近年、石碑に刻まれた象形文字の解読が進みました。その結果、マヤの人たちは現代天文学に迫る驚くべき精度の暦を持っていたことが分かってきました。
マヤ研究の天文学者、「マヤの人たちは優れた天文学者であり、しかもとても複雑な暦を気が遠くなるほどの長期間使い続けました」
マヤの人たちは1年の長さを「365.242」日と見積もりました。
365.242
日食や月食の映像が出てきた。
これは現代の観測値と小数点以下3ケタまで一致するのです。さらに日食や月食の周期すら把握していました。
石板に書かれた象形文字と絵がセットになったものが映像に出てきた。
マヤの古文書「コデックス」。これは日の出と日の入りの時に見える惑星「金星」の観測記録です。コデックスの解読から、マヤの人たちは複雑な金星の動きを観察し、暦に取り入れていたことが分かりました。
マヤ研究の天文学者、「マヤの残した数字や日付は天文学者にしか理解できません。マヤ天文学の全貌を解き明かせるのは考古学者でも、歴史学者でもなく、私たち天文学者です」
望遠鏡を持たなかったマヤの人たちは一体、どのように宇宙を観測し、正確な暦を作り上げたのでしょうか?
       ・
じじぃの感想
『愛蔵版 世界遺産・封印されたミステリー』という本でマヤについてこんなことが書かれている。
古代文明を栄えさせた民たちの多くは、天文にことのほか興味を示した。農耕を行ったり、川の氾濫時期を予知するのに、天体の運行は貴重な情報源だったからだ。だが、天体観測の主役に金星をもってきた民族はほかにはいない。なぜ、イツァー族だけが、異常なほど、金星にこだわりを見せたのだろうか。そしてなぜ、天体を愛し、おだやかな宗教観をもつ文化を築いたイツァー族が、数百年のブランクの後に再び繁栄を取り戻したとき、一転して残忍性を帯び、今度は凄惨な血の儀式を好む民族に変ってしまったのだろうか」
古代マヤが繁栄した最盛期は450年ごろで、そのころのマヤの古代都市はカラクムルだった。
古代マヤ文字はタチアナ・プロスクリアコフ、ユーリー・クノローゾフ、デヴィッド・スチュアート等によって解読が成功した。
このころマヤの人々は、もちろん農耕と深い関係があるのだろうが、精密な暦を作った。
365.242
現在我々が使っている数字は10進法だが、彼らが使っていた数字は20進法だった。長い数字を表す場合はマヤの数字のほうが優れている。さらにはインド人の発明とされるゼロ(0)が数字に組み込まれていた。
「現代の観測値と小数点以下3ケタまで一致するのです。さらに日食や月食の周期すら把握していました」
すごいなあ。
しかし、マヤがやっていた「血の儀式」。あれは、一旦姿を消した古代マヤ人が再び戻ってきた連中がやりはじめたことなのだという。
気持ちの悪いことをするなあ。
2012年人類滅亡説。・・・・しかし、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している」
そう言えば、ノストラダムスの大予言というのがあったなあ。