じじぃの「人の死にざま_1269_T・プロスクリアコフ」

Cracking the Maya code (vlaams) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v1MXMV5oCJc
Tatiana Proskouriakoff y el Carnegie club 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=14VhMcEtBl8
マヤ文明

プロスクリアコフが描いたマヤ遺跡

Tatiana Proskouriakoff Wikipediaより
Tat’yana Avenirovna Proskuriakova (Russian: January 23 1909 - August 30, 1985) was an American Mayanist scholar and archaeologist who contributed significantly to the decipherment of Maya hieroglyphs, the writing system of the pre-Columbian Maya civilization of Mesoamerica.

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地球ドラマチック 「古代マヤ文字を解読せよ!」 2013年12月7日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
超難解! 謎の絵文字を解読した天才少年とはマヤ文明の真実に迫る。
長い間謎とされてきた古代マヤ文明の文字、近年ようやく解読に成功、高度の文明の知られざる歴史が明らかになりつつある。超難解な文字はどのように解読されたのか。
中米で栄えた古代マヤ文明は、独特な絵文字を使っていた。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013052890SC000/?spg=P200800016500000
2013年12月7日 NHK Eテレ 地球ドラマチック「古代マヤ文字を解読せよ!」より

マヤの遺跡に見捨てられた神殿に巨大な石版がありました。石版には人の姿と絵文字が刻まれていました。
碑文研究者 デヴィッド・スチュアート、「彼らは石版に彫られたものが単なる絵ではなく、それ以上の意味があるとも気づいていました」
他にも多くの遺跡が発見され、探検家たちは絵文字を書き写しましたが、正確なものではありませんでした。
しかし、1880年代、イギリスの考古学者アルファベット・モーズリーがカメラを持ち込んだことで状況は一変しました。写真によって絵文字を正確に記録できるようになったのです。
マヤ文字の解読に大きな役割を果たしたのがイギリスの考古学者J・エリック・トンプソンです。トンプソンは800を超えるマヤの絵文字を細かく分類して番号をふり、整理していきました。
トンプソンはマヤの人々と一緒に暮らした経験があり、マヤの文化に深い敬意をはらっていました。
トンプソンはマヤ文字解読の鍵は時間とその経過を綴ったその石碑にあると考えました。石碑に描かれている人物は神々や神官であり、絵文字は天の世界の神秘を記したものだと結論づけたのです。
ほとんどの学者がトンプソンの説を受け入れ、マヤ文字は暦の日付以外、理解不能だと考えました。
そうした見解を一人の女性が覆します。タチアナ・プロスクリアコフ(1909-1985)は建築家を目指してアメリカで勉強していましたが、大学を卒業した1930年は大恐慌の真っ最中で、就職先は見つかりませんでした。
ある日プロスクリアコフはペンシルベニア大学の博物館で求人広告を見つけました。遺跡でスケッチや復元をする仕事です。
プロスクリアコフは測量士としても画家としても優秀でした。遺跡を描いた図面は極めて正確でマヤの都市を見事に蘇らせるものでした。プロスクリアコフは男性が独占していた考古学の世界で20年近く活躍し1958年に現場を退きました。
その後、ピーボディ考古学民俗学博物館に勤め、地下室に保管されていたマヤに関する資料を研究し始めました。自分が写した遺跡の写真を見ているうちにプロスクリアコフはあるパターンに気がついたのです。
神殿の前に並んだ石碑は5年に1本ずつ建てられたものです。石碑の中には上部の窪みに腰掛けた人物が彫られたものがありました。一番下の部分には生贄の姿があり、1本の梯子が上の人物へと伸びています。プロスクリアコフはこの意味を解き明かしていったのです。
最初の王は西暦603年に王座につき、5年後には戦いの装束と捕虜の姿が刻まれています。15年後、1人目の王が王座につきます。まだ12歳で隣には母親がいます。26歳で戦いの装束を身につけ、10年後には戦いの装束がより重々しいものに。この人物は47年間、王として君臨しました。プリスクリアコフは7人の王の物語を解き明かしていったのです。
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突破口を開いたのは、あるアメリカの少年でした。歴史学者の父親に連れられ、遺跡が遊び場だった少年が鍵を握るのです。
マヤ文字が、表形と表音の両方であると発表したのが、テキサス大学碑文科のデヴィッド・スチュアートでした。科学雑誌の編集をしていた父親に連れられ、おしゃぶりをくわえている頃からマヤ遺跡に来ていました。驚くことに、僅か12歳で、マヤ文字の学術論文を発表しました。

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