じじぃの「人の生きざま_332_D・スチュアート」

Cracking the Maya code (vlaams) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v1MXMV5oCJc
Breaking the Maya Code #7: David Stuart 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=W3gFIsri-1s
デヴィッド・スチュアート

マヤ文字

David Stuart (Mayanist) Wikipediaより
David Stuart (born 1965) is an archaeologist and epigrapher specializing in the study of ancient Mesoamerica, especially Maya civilization. He is widely recognized for his work in deciphering the Maya hieroglyphic script, starting at a young age. He is currently Schele Professor of Mesoamerican Art and Writing in the Department of Art and Art History at the University of Texas at Austin.

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地球ドラマチック 「古代マヤ文字を解読せよ!」 2013年12月7日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
超難解! 謎の絵文字を解読した天才少年とはマヤ文明の真実に迫る。
長い間謎とされてきた古代マヤ文明の文字、近年ようやく解読に成功、高度の文明の知られざる歴史が明らかになりつつある。超難解な文字はどのように解読されたのか。
中米で栄えた古代マヤ文明は、独特な絵文字を使っていた。
16世紀スペインがこの地を征服した際、スペイン語を強制され、マヤ文字の書物は焼き尽くされたため、誰も読めない文字になってしまった。
焼却したのは軍人ではなく、修道士デイエゴ・デ・ランダだった。キリスト教布教に執心するあまり、文書を集めて焼却した。
一方、南米のアステカ文字は資料が沢山残り、研究が進んだ。
マヤの文書は全くなくなったかに見えたが、4冊の文書がヨーロッパに残っていることが判明した。ドイツ、ドレスデン絵文書館でこの4冊をまとめた綴りが見られる。この文書で研究が飛躍的に進んだ。
19世紀以降多くの研究者が解読に挑戦し、数字や暦を読めるようになったものの、文章としては解読できなかった。
石碑には当時の文字がくっきりと残されている。
突破口を開いたのは、あるアメリカの少年だった。歴史学者の父親に連れられ、遺跡が遊び場だった少年が鍵を握る。
これまでは、マヤ文字の15〜20%しか解読できていなかった。 マヤ文字が、表形と表音の両方であると発表したのが、テキサス大学碑文科のデヴィッド・スチュアートだ。 科学雑誌の編集をしていた父親に連れられ、おしゃぶりをくわえている頃からマヤ遺跡に来ていた。幼い頃から、マヤ文字のスケッチを始め、驚くことに、僅か12歳で、マヤ文字の学術論文を発表した。
暦と天文を愛する友好的な民と思われていたマヤ人。だが文字から見えたのは別の姿だった。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013052890SC000/?spg=P200800016500000
2013年12月7日 NHK Eテレ 地球ドラマチック「古代マヤ文字を解読せよ!」より
マヤの遺跡に見捨てられた神殿に巨大な石版がありました。石版には人の姿と絵文字が刻まれていました。
碑文研究者 デヴィッド・スチュアート、「彼らは石版に彫られたものが単なる絵ではなく、それ以上の意味があるとも気づいていました」
他にも多くの遺跡が発見され、探検家たちは絵文字を書き写しましたが、正確なものではありませんでした。
しかし、1880年代、イギリスの考古学者アルフレッド・モーズリーがカメラを持ち込んだことで状況は一変しました。写真によって絵文字を正確に記録できるようになったのです。
マヤ文字の解読に大きな役割を果たしたのがイギリスの考古学者J・エリック・トンプソンです。トンプソンは800を超えるマヤの絵文字を細かく分類して番号をふり、整理していきました。
トンプソンはマヤの人々と一緒に暮らした経験があり、マヤの文化に深い敬意をはらっていました。
トンプソンはマヤ文字解読の鍵は時間とその経過を綴ったその石碑にあると考えました。石碑に描かれている人物は神々や神官であり、絵文字は天の世界の神秘を記したものだと結論づけたのです。
ほとんどの学者がトンプソンの説を受け入れ、マヤ文字は暦の日付以外、理解不能だと考えました。
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マヤ文字表音文字表意文字が混在したものではないか考えたのが旧ソビエトのユーリー・クノローゾフです。トンプソンはクノローゾフの説には不確かな点があったため、クノローゾフの説は真っ向から否定しました。そのためクノローゾフの説は黙殺されてしまいました。
長年の研究により、マヤ文字の完全な解読が現実味を帯びてきましたが、最後に大きな壁が立ちはだかっていました。発音です。
マヤ文字を当時の発音で読むには、クノローゾフが進めていた研究を完成させなくてはいけません。
数十年かかって明らかになった発音は20数個に過ぎませんでした。
突破口を開いたのは、あるアメリカの少年でした。歴史学者の父親に連れられ、遺跡が遊び場だった少年が鍵を握るのです。
マヤ文字の発音を解読する最後の鍵はデヴィッド・スチュアートによって発見されます。
デヴィッドは歴史学者の父ジョージ・スチュアートの研究旅行にしばしば同行したため、幼いころからマヤ文明に親しんでいました。なかでもデヴィッドの興味をひいたのはメキシコのユカタンにあるコバ遺跡でした。
デヴィッド、「子どもの遊び場にしては天国のような場所でした。目の前で発見された2つの石碑には特に夢中になりました。父は碑文を模写することに夢中でした。父の肩肘で石碑を眺めていた僕もこれはすごいぞ、と思いました」
デヴィッドは 自分でも模写をしようと思い、紙とクレヨンでマヤの絵文字を書き始めました。
デヴィッド、「アメリカに帰るころには、僕はすっかりコバ遺跡に心を奪われ、その後何度も訪れることになりました」
2年後、ジョージは息子デヴィッドをリンナ・シーデー(女性研究者)に引き合わせました。
リンナはデヴィッドに神殿の石板の模写を渡して 、「分かる範囲でいいから」と言いました。
正真正銘のしっかりとした研究論文でこれまでにない見解も盛り込まれていました。
マヤ文字の解読に専念するため大学進学を延期したデヴィッドはついに 大発見をします。
「U」を表す表音文字を発見、しかも10種類の絵が「U」を表すことも発見しました。表音文字表意文字の組みあわせだったのです。
手で魚をつかみとる絵文字の意味は「掴み取る」という意味であることが分かった。布を被った鳥の像は王の即位を表していたのです。
絵文字と芸術は マヤの人々の複雑な精神世界を表現していました。
さまざまな遺物や文字から人々が 何をしたかが分かるようになったのです。 巧みな戦術で敵を翻弄した兄弟はトウモロコシの神である父親の肉体を よみがえらせ地上の人々に食べ物を持ち帰ります。
マヤの人々はかって自分たちの文字が強制的に奪われ、今ではマヤ語を話せる人も少なくなっていました。 これでマヤの人々も祖先の偉大な文化遺産に誇りを持てるようになったのです。

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