じじぃの「世界遺産・燃えつきたインダス都市・モヘンジョダロ!本当はどうなんだろう」

世界遺産 モヘンジョダロ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Xo14H2fV5Mk&feature=player_embedded#!
Indus valley civilization(mohenjo-daro) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SdGbamPgf8o
Mohen Jo Daro 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=tRVp-4SLhQM&feature=related
Harappa Civilization 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=eL7wDzBpOho&feature=related
モヘンジョダロの印章 画像
http://www.greenholiday.com.sg/sin/pakistan/10.jpg
モヘンジョダロ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%80%E3%83%AD&oi=image_result_group&sa=X
ハラッパ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC&oi=image_result_group&sa=X
インダス文明 ウィキペディアWikipedia)より
インダス文明は、インド・パキスタンインダス川及び並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明で、現在南インドを中心に暮らしているドラヴィダ人によりつくられたと推定されている。考古学上は、ハラッパー文化と呼ばれ、パキスタンパンジャブ州のハラッパーを標式遺跡とする。
インダス文明が栄えたのは紀元前2600年から紀元前1800年の間である。滅亡については諸説あり、現在では、地殻変動によってインダス川河口付近の土地が隆起し、そのために洪水が頻発して耕地に塩害をもたらし、さらにインダス川の河道が移動したことによって、水上交通を前提とした貿易によって機能していた都市の機能を麻痺させたためという説と、砂漠化に伴って都市が放棄され住民が移住したという説がある。
また、ドラヴィダ人は、紀元前13世紀に起きたアーリア人の侵入によって、被支配民族となり一部が南インドに移住した。
モヘンジョダロ ウィキペディアWikipedia)より
モヘンジョ=ダロ(Moenjodaro)は、インダス文明最大級の都市遺跡。
ユネスコ世界遺産には、1980年、文化遺産として「モヘンジョダロの遺跡群」の名で登録されている。
【衰退の謎】
紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄したと考えられている。最大で4万人近くが暮らしていたと推測されている。しかしその後、きわめて短期間のうちに滅亡の時を迎えたと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。近年の研究では大規模な洪水によって一気に衰退したと考えられている。
古代核戦争説 ウィキペディアWikipedia)より
古代核戦争説とは、有史以前の地球に近代人の知らない超古代文明が栄えていたが、核戦争により滅亡したとする説。または、四大文明および同時代の文明が核戦争により滅亡したという説。
【文献】
紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えた「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味する『マハーバーラタ』をはじめ、古代インドの叙事詩ラーマーヤナ』、『リグ・ヴェーダ』には、この大気圏内核爆発を想像させる記述が見つかっている。
モヘンジョダロ遺跡】
インダス文明の古代都市モヘンジョダロの遺跡は周囲5平方キロの広大な遺跡であるが、現在発掘が進んでいるのは全体の4分の1ほどの地域である。 遺跡で見つかった白骨遺体46体は突如、死がやってきたような状態であった。そのうちの9体には高温で加熱された跡が残っていた。 また、『ラーマーヤナ』の記述に基づき戦闘の日時と場所を特定した研究者によると、炭素14の分析もして戦いの期間を紀元前2030年から紀元前1930年の間と特定したものの、モヘンジョダロにおいては400年程度の食い違いが見られるという。ずれの可能性としては放射能の影響が考えられるがはっきりしない。

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世界遺産ライブラリー [モヘンジョダロ遺跡] 2006年12月9日 NHK世界遺産
大河インダスの流域で、紀元前3000年ごろに誕生したインダス文明パキスタン南部のモヘンジョダロは、上流のハラッパーと並ぶ、インダス文明最大にして最古の遺跡です。1922年、地表に出ていた仏塔を発掘するうちに、その下から仏教期以前に遡る、見事な計画都市の遺跡が見つかりました。
「シリーズ世界遺産100」ではインダス文明を特徴づける、モヘンジョダロのすぐれた水利システムを紹介します。東西南北に走る道路にそって延びる排水溝、焼きレンガを駆使して作られた穀物倉庫などの大規模施設や住宅には上下水道が完備されていました。洪水がもたらす肥沃な土と水によって、遠くメソポタミアの都市とも交易を行うまでに繁栄を築いたモヘンジョダロ。しかし今、その水によって、遺跡が危機に瀕しています。遺跡の周辺に水田が作られ、インダス川から大規模に水が引かれるようになったため、地下水位が上昇。地中に含まれた塩分が水とともに上昇し、レンガにしみ出し結晶化してレンガをボロボロに破壊しているのです。古代インダス文明の時代から今も続く、モヘンジョダロの水との戦いを伝えます。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards025.html
『目からウロコの世界史』 島崎晋/著  PHP文庫 2006年発行
インダス文明 モヘンジョダロから大量に発掘された人骨の謎 (一部抜粋しています)
インダス文明の特徴は都市文明であるということ。それもきわめて計画的につくられた都市であった。ハラッパー、モヘンジョダロ(1922年から発掘)はともに人口3万から4万くらいの都市であり、西側が城塞、東側が市街地になっていた。市街地は焼レンガで舗装された直角に交わる大小の道路で整然と区画され、同じく焼レンガづくりの住宅がたちならび、大浴場や下水道なども整えられていた。
この高度な都市文明には謎も多い。そもそもこの文明を築いたのがいかなる系統に属する民なのかがわかっておらず、かれらの使用した文字もいまだ解読されるにいたっていない。しかしそれ以上に謎なのは、インダス文明がなぜ滅んだかということだ。
インダス文明は紀元前1800年頃から衰退をはじめ、それからまもなく消滅している。その原因については、これまで多くの説が唱えられてきた。まずあげらえるのは、アーリア人によって滅ぼされたという説。これはインドの考古学者のウィーラーによってだされた説で、モヘンジョダロ遺跡の住居跡から発見されたおびただしい人骨が根拠とされている。これがバラモン教聖典『リグ・ベーダ』にもうたわれたアーリア人による征服説、殺戮(さつりく)と破壊の跡だというのだ。けれどもアーリア人が南アジアへやってきたのは前1500年頃のことだから、この説では時間的にズレが生じる。
ほかにも、アーリア人以前に他の異民族が侵入したとする説、地殻変動説、気候の乾燥化による農業衰退説、大量の焼きレンガを製造するため過度の樹木伐採がおこなわれたとする自然破壊説、メソポタミアとの交易の衰退などを原因とする説など実にさまざまな説が闘わされているが、いずれも決め手に欠けている。

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『文明の主役―エネルギーと人間の物語』 森本哲郎/著 新潮社 2000年発行
燃えつきたインダス都市 (一部抜粋しています)
これが4500年も前の遺跡なのだろうか。
とうてい信じられない光景が、そこにひろがっていた。
パキスタン商都カラチから北北東へ300キロ、プロペラ機が舞い上がると、すぐにインダス川の灰色の谷が眼下にひろがる。そして、1時間半後に旅人は、その信じられない古代都市をさまようことになる。世界四大文明のひとつに数えられるインダス文明の中心、モヘンジョダロの廃市が、焼けただれたような灰色の砂上に横たわっているのだ。
3月も半ばを過ぎると、早くも連日、50度を越える。そんな陽盛りにそこを歩けば、たちまち意識はかすみ、遺跡はまさしく、蜃気楼のように思えてくる。私は3度、4度、ここを訪れた。いつも夏のさなかだった。
陽が西に傾くころ、私は勇を鼓して不思議なその古代都市へ入っていった。
モヘンジョダロとは、現地の言葉で「死者の丘」の意である。石炭を撒いたような一筋の道をゆっくり歩いて行くと、前方に丘が見え、くずれかけた仏塔が、まるで幽鬼の館(やかた)のように立っている。その仏塔の下に、なんと、想像を越える古代都市が埋もれていたのだ。
とうてい信じられない光景というのは、そこに広がる廃市が、レンガ、レンガ、レンガ、すべてがレンガで整然と構築されているその異様さだ。同時代のオリエントの古代都市が、ほとんどドロにかえった姿をさらしているのに対し、モヘンジョダロは、焼きレンガで築かれた城塞、穀物倉庫、街並み、街を貫くメインストレート、沐浴場、共同井戸、レストラン?などが、4500年以上の歳月に耐え、ありし日の姿を”沈黙の雄弁”によって語りかけているのである。
その廃市にたたずんだ途端、時間は消える。歴史は圧縮される。そして、文明が正体を現わす。
しかし、その正体は、なんと謎めいていることだろう。はるか遠い昔に、ここに住みついたインダス人は、どうしてこれほど整然とした高度な都市を建設することができたのか。街は碁盤の目のようにきちんと区画され、公共施設ばかりか、各住居にも水洗便所やダストシュートまでが取りつけられているのだ。排水溝は毛細管のように張りめぐらされ、いくつものマンホールを通じて、私の背丈ほどもある地下の本管へつながっている。まるで市営のプールを思わせる大きな水槽、そんな水圧に見合う工事は、どのような手段で可能だったのか。
だが、考古学者の賢明の調査調査にもかかわらず、迷宮のようなこの都市の謎は、いまだに解けていない。これほどの技術を誇りながら、ここから、進んだ武器らしいものは、ほとんど発見されず、軍隊の存在思わせるような施設が見当たらないのはなぜなのか。幾多の洪水を経験しながら、彼らが執拗におなじ場所に都を再建しつづけた理由は? 大通りに面した家々はおもて側はすべて壁面で、人口も窓も後ろの路地側に取りつけられている奇妙な構造。これは何を意味するのか。おびただしく出土した印章に刻まれた文字?は何を示しているのだろう。こうした不思議をあげつらったら、まさに謎だらけ、と言っていい。
しかし、最大に謎というなら、このような文明をつくりあげた人たちが。いったい、どのような民族だったのか、そして、彼らはメソポタミアと通商して当時の世界で最高の繁栄を誇りながら、なぜ、滅び去ったのか、ということだ。紀元前2300年前後に始まるこの文明は、約1000年を経たあと、突然、姿を消してしまうのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
森本哲郎著 『文明の主役―エネルギーと人間の物語』という本を見ていたら、「燃えつきたインダス都市」というのがあった。
パキスタン南部のモヘンジョダロは上流のハラッパーと並ぶインダス文明最古の遺跡で、1980年にユネスコ世界遺産文化遺産として登録された。
モヘンジョダロとは、現地の言葉で『死者の丘』の意である」
1922年から発掘が始まり、発掘中に発見された数十体の人骨のおかげで、この古代都市はモヘンジョダロ(死者の丘)という名前が付けれてしまった。
四大文明のなかで、焼きレンガを大量に使って建物が造られたのがインダス文明の特徴だ。
「とうてい信じられない光景というのは、そこに広がる廃市が、レンガ、レンガ、レンガ、すべてがレンガで整然と構築されているその異様さだ。同時代のオリエントの古代都市が、ほとんどドロにかえった姿をさらしているのに対し、モヘンジョダロは、焼きレンガで築かれた城塞、穀物倉庫、街並み、街を貫くメインストレート、沐浴場、共同井戸、レストラン?などが、4500年以上の歳月に耐え、ありし日の姿を”沈黙の雄弁”によって語りかけているのである」
住居に水洗便所やダストシュートまでが取りつけられていたというのは驚きである。
「紀元前2300年前後に始まるこの文明は、約1000年を経たあと、突然、姿を消してしまうのである」
なぜ、彼らは忽然と消えてしまったのか。
エジプト文明は一人の天才シャンポリオン古代エジプト文字「ヒエログリフ」を解読したことで、古代エジプト文明の全貌が明らかになった。
古代マヤ文字はクノローゾフ、デイビッド・スチュアート等によって、解読が成功し、マヤの人たちが1年の長さを「365.242」日とした暦を持っていたことが明らかになった。
インダス文明インダス文字は現在約400文字が発見されているが、テキストが「印章」のような短文しか存在しないので、インダス文字の解読がまだできていない。
優れた文明を持っていた人々はどんな人たちだったのだろうか?
大量の焼きレンガを製造するため大量の樹木を伐採したことで、砂漠化が進み、都市を捨て去ったのだろうか?
インドプレートとユーラシアプレートがぶつかる造山運動と関係があるのだろうか?
発掘調査によって出てきた、放射能を浴びたおびただしい人骨は何を意味するのだろうか?
インダス文明は古代の最大のミステリーなのかもしれない。