じじぃの「世界遺産未登録・世界最古の都市・シリアのテル・ブラク遺跡!ヒューマン」

Exploring the Roots of Mesopotamian Civilization: Excavations at Tell Zeidan, Syria 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QHDPGUuAjIo
Syrian History 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ogoWGafUBE0&feature=related
テル・ブラク遺跡 TW地区

テル・ブラク Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&q=%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch
イスラム国」古代石像など破壊 動画公開 (追加) 2015年2月27日 日テレNEWS24
過激派組織「イスラム国」は26日、紀元前に作られた古代の石像などを次々と破壊する動画をインターネット上で公開した。
AP通信によると、この動画は「イスラム国」が支配しているイラク第2の都市・モスルの博物館で最近、撮影されたとみられる。男らがハンマーを使い、歴史ある石像などを次々と壊す様子が映っていて、ロイター通信によると、男らは偶像の崇拝を禁じられているとして、破壊を正当化しているという。
また、破壊された物の中には、紀元前に作られたアッシリア時代の石像も含まれているという。「イスラム国」は、これまでにも、イスラム教の聖地を含む古代の歴史的遺産をたびたび破壊している。
http://www.news24.jp/articles/2015/02/27/10270050.html
テル・ブラク ウィキペディアWikipedia)より
テル・ブラク(Tell Brak)は現在のシリア北東部にある、新石器時代後期からシュメール・アッカドの時代、フルリ人のミタンニ王国の時代まで続いた古代都市国家遺跡。古代にはナガル(Nagar)と呼ばれていた。ハブール川に面しており、各時代の建築物が積み重なってできた遺丘(テル)の高さは40メートルに達し、中東の古代都市の跡にできた遺丘の中でも最も高いものの一つである。また都市の一辺の大きさは1キロメートルほどであり、北メソポタミアでも最大級の街であった。
【発掘】
テル・ブラク(ナガル)の遺跡は、イギリスの考古学者マックス・マローワン卿(Sir Max Mallowan)が1930年代に発掘を進め、1976年から1993年までデイヴィッド・オーツとジョーン・オーツ(David and Joan Oates)が発掘を再開した。
アッカド以前の時代のナガルを物語る、テル・ブラクでも最も知られた遺跡は、紀元前4000年紀後半の「眼の神殿」と呼ばれるもので1937年から1938年にかけて発掘された。紀元前3500年頃から紀元前3300年頃にかけて建設されたとみられる神殿からは、雪花石膏(アラバスター)で造られた数百個の小さな像(胴の上に、首の代わりに2つの大きな両目がついている像で、「眼の偶像」 "eye idol" と呼ばれる)が出土しており、泥レンガで神殿が建設された時に、漆喰のなかに塗り込められたものとみられる。また神殿の表は円錐状の彩色土器(clay cone、コーン・モザイク)を埋め込んだモザイクや、銅板、金細工などで装飾されており、同時期のシュメールの神殿の様式とも比較される。近年の発掘のうち最も劇的な発見は、紀元前3800年に遡る2つの集団墓地であり、都市化の過程と戦争とが結びついていたことを示唆するものである。
また1984年には、絵文字で家畜の種類と数が書かれていた紀元前4000年紀前半の粘土板が見つかっている。この絵文字は楔形文字より古く、ウルク古拙文字のものより単純な形をしているが、何語を表すためのものであったかはまだ分からない。

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BBC地球伝説 「古代文明のルーツを求めて1 メソポタミア文明 BS朝日
現在のイラクにあたる平野に流れる2つの川、チグリス川とユーフラテス川。この肥よくな一帯に、人類最古の文明であるメソポタミア文明が誕生した。 最初に訪れたのは、メソポタミア屈指の重要都市であるイラク南部の都市ウルク。このウルクに残る遺跡を歩き、およそ6000年前に始まった居住や 都市の形成の過程を紹介する。遺跡はレンガ状のブロックで作られ、建築は神殿や公共の建物として使われた。また農業も積極的に行われ、その範囲は徐々に 拡大していった。まさしく都市の萌芽である。次に紹介するのは、現在のシリア北東部に存在するテル・ブラク遺跡。1930年代にイギリスのマックス・マローワン卿によって発掘が進められた、 北メソポタミア最大級の街。巨大な神殿跡からは石こうで作られた数百の小さな像が出土されている。胴の上に2つの大きな目がつけられた「目の偶像」と 呼ばれる像、そして円錐状の土器。これら遺跡から発見される文明は、紀元前3000年代のものなのだ。そして舞台はエジプト、そしてアナトリアギリシャへと展開する。それぞれの地で、技術と文化が発達し文明を完成させてゆく過程を追う。
http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/hi_24_01.html
NHKスペシャル 「ヒューマン なぜ人間になれたのか 第4集 そしてお金が生まれた」 2012年2月26日
紀元前4000年、最初の都市が西アジアに出現する。多くの人々が“ともに生きる”場所である都市を生み出した原動力は、分業だ。麦や羊などの原始貨幣を使って給料を支払うという分業システムが専門の職人を生みだし、技術革新を後押しするようになった。その革新によって生産が増え、都市はさらに繁栄していく。しかし、分業システムは必然的に格差を生み出す。長く平等至上主義を守ってきた人間社会は繁栄と引き替えに格差を受け入れたのだ。
ただその一方、格差を解消する模索もはじめていたことがメソポタミア文明の研究から浮かび上がっている。しかし、その模索はギリシャ時代に頓挫する。本格的な貨幣経済のはじまりが人々の欲望を煽り、格差を拡大させていったのだ。その代償は大きかった。欲望の果てに資源を使い尽くしたギリシャ文明は衰退の一途をたどっていくことになったのだ。
ギリシャ文明の運命は、現在、温暖化などの環境問題に直面している私たち自身の「祖型」ともいえる。貨幣システムの誕生と変遷のなか、都市を舞台にした人間の心の変遷をたどり、私たちのめざすべき未来を探る。
http://www.nhk.or.jp/special/
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 NHKスペシャル取材班・著 角川書店 2012年発行
現代社会へとつづく繁栄の原点 (一部抜粋しています)
最初に訪れることにしたのは、古代文明の始まりの場所だ。その場所はすなわち、現代へとつづく繁栄の第一歩を祖先が歩みはじめた地点ともいえる。
人類初の文明、メソポタミア文明の発祥地、「肥沃な三日月地帯」、そのほぼ中央に位置するシリア北東部には、いまからおよそ6200年前の紀元前4200年頃、すでに都市が栄えていた。これが、現在知られている限り、世界でもっとも古い都市といわれている。この都市の発見は、従来の都市の起源を1000年さかのぼる大発見であったため、都市の成り立ちを知るための貴重な遺跡として、世界中の研究者の熱い視線が注がれている。
その遺跡の名は「テル・ブラク」。
私たちがテル・ブラクを目指したのは、2011年4月のことだ。チェニジアの政権崩壊が近隣のアラブ諸国に波及した。いわゆる「アラブの春」が始まって4ヵ月が経とうとしていた頃に当たる。
その影響で長期独裁政権下にあったシリアも、動乱の最中にあった。アサド大統領に対する国民の反発が強まり、それを弾圧しようとする政府の厳戒態勢が敷かれていたのだ。
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ダマスカスを後にしておよそ8時間、遠方にテル・ブラクが姿を現した。
テルというのは、この地方の言葉で「遺丘」を意味する。その名の通り、テル・ブラクは高さ40メートルほどの小高い丘になっている。なんでも、家を壊した瓦礫(がれき)の上に家を建設するということを古代より繰り返してきたため、長い歳月のあいだに都市自体が小高い丘になってしまったという。何かが埋まっていそうな期待に、胸が高鳴る、
この遺跡の発掘をはじめたのは、かの有名なミステリー作家アガサ・クリスティーの夫で、考古学者のマックス・マローワン卿だという。アガサ・クリスティーは39歳のとき、14歳下のマローワン卿と結婚したそうだ。そのとき、「どんな女性にとっても、最良の夫というものは、考古学者に決まっています。妻が年をとればとるほど、夫が興味をもってくれるでしょうから」と言ったという。さすが、アガサ・クリスティー。うまいことを言う。
現在の発掘の責任者は、クリスティーの友人でもあるケンブリッジ大学の考古学者、ジョン・オーツ博士。「友人ということは、おいくつ……?」おそるおそる聞いてみると、笑いながら「1928年生まれです」と教えてくれた。えっ、ということは……80代?
しかし、とてもそうは見えない。大きな健脚で、急斜面をスタスタ上っていく。撮影機材を抱えた私たちは、ついていくのに必死だった。
発掘現場に到着すると、オーツ博士が早速、ある出土品を見せてくれた。
「これは、テル・ブラクの繁栄の鍵となったものです」
それは丼ほどの大きさの土でできた鉢だった。さては繁栄の証ともいうべき贅(ぜい)を尽くした芸術品かと思いきや、意外に素朴な作りだ。いや、素朴というレベルではない。あっさりしすぎで、外見上はまったくありがたみがない。
不思議そうに見つめる私たちに、オーツ博士が解説してくれた。
「この鉢は、掘るたびに数百個、出土します。テル・ブラク全体では数千個の鉢が出土しているでしょう。みなほぼ同じ大きさなので、鋳型で大量生産されたのだと思います」
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容器に入れられた麦やパンは、どう使ったのか。
「それは給料として、労働者に渡されたのです。つまり、この鉢は、現在の給料袋のようなものなのです」
その根拠として、オーツ博士が注目したのは、後の時代に書かれた絵文字だった。鉢と口をあけた人間の頭部を現す絵文字。これは「給料」や「配給」を意味することが知られている。そこからオーツ博士は、この鉢が給料に関係するものと推測したのだ。
給料袋の存在は、この時代に既に、私たちと同じようなサラリーマンが存在していたということを示している。ちょっと興味がわいてくるではないか。平凡な容器が少し輝きを帯びてきた気がする。
古代のサラリーマンはいったい、何をする人たちだったのだろう。
「鉢が見つかった場所からは、大量の原材料らしきものが見つかりました。接着剤や防水剤として用いられたアスファルト、多数の貝殻、黒曜石などです。シリアには存在しない遠方から運ばれてきたものも含まれていました」
材料に加えて、さまざまな道具も見つかっている。大きな骨製の錐(きり)は、皮製品に穴をあけるためのものだったと考えられている。
「かなり摩耗しているので、明らかに長期間、使用されていたと思います。おそらく上部にあいた穴を通して職人がベルトにぶら下げ、作業場にもって行き来していたのでしょう」
ほかにも、膨大な数のスピンドル(糸をつむぐための妨錘体のもの)も発見されている。
「今日のシリアでもそうですが、この地域の端多数のヒツジがいるので、ここで古代の女性たちが毛糸をつむぎ、衣服を編んでいたのでしょう」
そう、どうやらこの場所は、一種の工場だったようだ。そのほかにも、非常に精巧な象嵌(ぞうがん)細工、装飾具、ビーズなどの加工品が見つかった。それは前の時代には、加工品は生活必需品が中心だった。農作業の合間に家内制手工業的につくられたと考えられている。それに対し、ここで見つかる加工品は、時間とか手間をかけて作ったと見られる複雑な工芸品であることから、これを製作したのは組織化されたプロの職人だとオーツ博士は考えている。
だから、あの大量の鉢、あの、給料袋なのだ。
「この時代に確立された給料システムによって、職人は自分で食料をつくらずとも1日中ひとつの仕事に没頭して食べていけるようになりました。古代文明の黎明期ともいえる時期に、このような組織化された製造業が行われていたことには、非常に重要な意味があると思います」
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オーツ博士はいう。
「紀元前4200年頃、テル・ブラクは大きな交易都市でした。その面積は50ヘクタールでしたが、紀元前3900年頃には、130ヘクタール、人口はおよそ2万人にまで拡大しました。働き口があるからなのでしょうか、非常に大きな吸引力をもっています。それが、都市化を生んだのです。
ここは、先史時代の都市の発展の情熱の情報が存分に見られる非常にまれな遺跡なのです。現代社会の多くの起源が、いまから6000年前、このテル・ブラクで起こった発達のなかに見出されています。ここで行われていたことは、人類が物質的な繁栄を築き上げていくための大切なステップとなったのです」
この時期、確立した給料精度を背景に、分業が盛んになったことが、文明を築くのに非常に重要だった。文明とはそもそも、多種多様の職業によって成り立っている。いまの私たちの生活を考えてみても、朝、起きてから、夜。寝るまで、とにかく他の職業の人がやってくれたことにお世話になりっぱなしだ。私はパソコンの作り方を知らなくても、ほかの人がつくってくれたパソコンを快適に使えるし、ラーメンを麺(めん)からつくらなくても、お金を払えばおいしいラーメンが食べられる。役割分担して、その成果をみなで共有することで、人類は発展してきたともいえるのだ。
世界最古の都市テル・ブラクは、文明の黎明期の世界を雄弁に物語ってくれた。しかし、オーツ博士をはじめ、メソポタミアの発掘をつづける考古学者は「私たちはごく一部を見ているだけ。人類最初の文明であるメソポタミア文明の全体像は、まだまだ分かっていないことが多すぎる」という。
大きな原因は、かってメソポタミア文明が繁栄した地域の国々が抱える政情不安だ。長らくメソポタミア文明の中心地と考えられてきたイラクは、1991年の湾岸戦争以降、治安が悪化し、外国人の発掘隊は入れない。イラクの考古局が遺跡の管理を行おうとはしているものの、金目の発掘品を狙っての盗掘が後を絶たない。人類が飛躍的な発展を遂げたこの時期の貴重な遺跡が、破壊の危機にあるのだ。
もしイラクでの発掘が再開されれば、より古い都市が見つかるかもしれない。
「たとえテル・ブラクが世界最古の都市の地位を返上することになろうとも、イラクでの発掘が再び精力的に行われることを祈らずにはいられません」
そう語るオーツ博士の言葉が印象的だった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』という本があった。
NHKで今年1月から、シリーズで「人類20万年の歴史をたどる ヒューマン」が放送された。面白くて、ずっと観た。
人間が約600〜700万年前にチンパンジーと袂を分けてから、現在に至るまでの歴史を映像で紹介した番組だった。こんな遺跡もあるのかと思って観たが、いつのまにか忘れていた。
本をぱらぱら、めくったら「現代社会へとつづく繁栄の原点」というのがあった。
「テル・ブラク遺跡」は現在のシリア北東部、イラクとの国境近くにある、紀元前4200年頃の遺跡だ。
「鉢と口をあけた人間の頭部を現す絵文字。これは『給料』や『配給』を意味することが知られている。そこからオーツ博士は、この鉢が給料に関係するものと推測したのだ」
同じような鉢が大量に出土することで、それが「給料袋」につながった。
「この時代に確立された給料システムによって、職人は自分で食料をつくらずとも1日中ひとつの仕事に没頭して食べていけるようになりました」
「鉢」を現在の「お金」に置き換えれば、現代の我々の生産体制と同じように見える。
「たとえテル・ブラクが世界最古の都市の地位を返上することになろうとも、イラクでの発掘が再び精力的に行われることを祈らずにはいられません」
メソポタミア文明の中心地と考えられてきた都市は、イラクのバクダッド(バグダード)だ。最盛期の8世紀にはバクダッドの人口が100万を超える世界最大都市だったらしい。テル・ブラクのような遺跡がイラクにあっても、不思議ではない。イラクの地下には手づかずの謎が埋まっているのだ。
何となく、古代メソポタミア文明の成り立ちの過程が見えてきたような気がする。
果たして、テル・ブラク遺跡は世界最古の都市としてユネスコ世界遺産に登録されるのだろうか。