じじぃの「科学・芸術_411_自由意志・自分を欺く脳」

モーガン・フリーマン 「時空を超えて運命か? 自由意志か?」 動画 dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x4uz9wb
脳は自分自身を欺く (運命に操られている?)


NHKドキュメンタリー 時空を超えて 「運命か? 自由意志か?」  2016年9月9日 NHK Eテレ
【案内人】モーガン・フリーマン
人間は、自由な意志を持って生きているのか? それとも定められた運命に従って生きているのか? 運命にとらわれているとしたら、どのように人間は生きるべきなのだろうか?
人間が選択をする時、自由意志に基づくというのは真実だろうか? 実は我々の行動は全て運命によって定められているのではないのか? 脳をスキャンすると、意識的な決断の前に、無意識に物事を決めていることがわかり、自由意志による決断は幻想だとする説もある。また、物理学では、量子力学の「あいまいさ」こそが自由意志をもたらすという説もある。もし、自由意志がないとしたら、人間の倫理感は危機に陥るのではないだろうか?

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『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』 ミチオ・カク/著、 斉藤隆央/訳 NHK出版 2015年発行
意識の量子論 より
鏡に映った自分を見るとき、実際に本物の自分を見ているわけではない。第1に、見ているのは、10億分の1秒ほど前の自分である。光線が顔から鏡に当たり、自分の目に入ってくるのに、それだけの時間がかかるからだ。第2に、見ているイメージは、実は莫大な数の波動関数の平均である。この平均は、確かに自分のイメージに似ているが、厳密に同じではない。あらゆる方向ににじんだ、たくさんの自分自身のイメージに囲まれているのだ。自分はつねにいくつもの別の宇宙に囲まれ、果てしなく世界の枝分かれを起こしているが、異なる世界のあいだをスライドできる確率はきわめて低いので、ニュートン力学は正しいように見えている。
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われわれの文明はすべて、自由意志の考えにもとずいており、この自由意志は、報酬、処罰、個人の責任といった概念に影響を与えている。しかし、自由意志は本当に存在するのだろうか? それとも、社会をまとめる巧みな手段であるが、科学の原理に反しているのか? この論争は、量子力学のまさしく核心に迫るものだ。
自由意志は――少なくとも通常の意味においては――存在しない、と結論づける神経科学者が次第に増えているのは間違いない。なんらかの奇行が脳内の明確な欠陥に関係していたら、犯罪をおかしても科学的にはその人に責任はない。野放ししておくのは危険すぎるので、何かの施設に収容する必要はあるが、脳卒中を起こしたり脳に腫瘍があったりするせいでだれかを罰するのは見当違いというわけだ。その人に必要なのは、医学的・心理学的な他介である。脳の損傷を(腫瘍の切除などによって)治療すれば、その人も社会の生産的な一員になれるかもしれない。
じっさいケンブリッジ大学の心理学者サイモン・バロン=コーエン博士は、私のインタビューを受けて、異常殺人者の(全員ではないが)多くは脳に異常がある、と語った。脳スキャンの結果から、彼らはだれかが痛がっているのを見ても共感せず、それどころか、苦しむ様子を見て喜ぶことさえあるとわかっている(こうした人の場合、扁桃核側坐核――つまり快楽中枢――が、痛がる人の映像を見たときに光る)。
これを知って、このような人は凶悪な行為への責任がまったくないにしても、社会から排除されるべきと結論する人がいるかもしれない。だが、脳の障害が原因なのだから、彼らに必要なのは援助であって処罰ではない。ある意味で、彼らは犯罪を御コアしているとく、自由意志で行動していないのではなかろうか。
ベンジャミン・リベット博士が1985年におこなった実験は、自由意志の存在そのものに疑問を投げかけている。被験者に、時計を見て、指を動かすことにする時間を正確に言ってもらうとしよう。脳波スキャンを使えば、脳が実際にこの決断を下す瞬間を厳密に検知できる。このふたつの時刻を比べると、ずれがあることに気づくだろう。脳波スキャンによって、脳が実際に決断を下すのは、人が自覚するおよそ300ミリ秒前であるとわかるのだ。
すると、ある意味で、自由意志は偽りだということになる。決断は意識のインプットのないまま脳が先に下しており、あとから脳は(いつもやるとおり)これをごまかそうとして、意識が決断したことにするのだ。マイケル・スウィーニー博士はこう結論している。「リベットの発見が示しているのは、人が決断を下す前に、脳はその人がどんな決断をするかを知っているということだ。……運動が随意と不随意に分けられるという概念だけでなく、自由意志と言う概念自体も見なおさなければならない」
これはすべて、社会の礎となる自由意志が、フィクション――左脳が作り出す錯覚――であることを示しているように思える。ならばわれわれは、自分の運命の支配者なのか、それとも脳がずっと続けるイカサマの駒でしかないのだろうか?