じじぃの「科学・芸術_278_人形浄瑠璃『曽根崎心中』」

近松門左衛門,「曽根崎心中」1,原文 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=djKcGWn9CEs
文楽人形浄瑠璃

文楽と日本のシェークスピア近松門左衛門 21日5月2016 kakunist
文楽(ぶんらく)は、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞である。文楽座の始まりは、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を大坂高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされる。
近松門左衛門を、「日本のシェークスピア」。あるいは、日本初の劇作家と評する声も多い。
https://kakunist.jimdo.com/2016/05/21/%E6%96%87%E6%A5%BD%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2-%E8%BF%91%E6%9D%BE%E9%96%80%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80/
『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
死ぬるを高の死出の山、三途の川は堰く人も、堰かるる人もあるまいと 『曽根崎心中』(1703年) 近松門左衛門 より
歌舞伎と文楽はどちらも日本の伝統的な演劇形式で、17世紀発祥である。歌舞伎は俗な題材を扱い、女芸人一座が諸国をまわって演じたが、芸人は遊女の役割を果たすこともあった。
文楽は人形劇形式で、人形1体につき、右手を操作する主遣(おもづか)い、左手を操作する者、足を操作する者がいる。3人の人形遣いは観客から全身が見えるが、黒衣装のことが多い。通常は語りはひとりで、そのひとりがさまざまな登場人物を声調を変えて表現する。
このどちらの形式でも先頭に立つ戯作者は、いまに至るも近松門左衛門(1653年〜1725年)である。近松は武士の家にうまれたが浄瑠璃作者の道を選び、やがて日本で最も有名な戯作者になった。近松の作品によく登場するのは、道徳の要請と自分の求めるものとの板ばさみにる個人である。文楽のために書いたが、歌舞伎でも上演された『曽根崎心中』は、近松の大傑作である。もとにした現実の事件から2週間ほどで書かれた作品であり、若い男女が心中した実話を題材にしている。
作中に近松はふたりの登場人物を作りあげ、ウイリアムシェイクスピアの劇のロミオとジュリエットの場合と同様に、このふたりは不幸な運命の恋人たちの代名詞となった。若い徳兵衛は、家族が結納金を受けとったにもかかわらず、決められた縁談をことわるが、それは遊女のお初に惚れこんでいるからである。お初に気がある男が、徳兵衛を盗っ人呼ばわりしてやると脅かす。徳兵衛は家族への本分を果たせなくなり、みづからの汚名を晴らすこともできず、お初との将来も望めず、そこでふたりはいっしょに死のうと決める。この戯曲や類似の作品がきっかけで摸倣心中が流行し、1723年からの一時期。こうした心中物が禁止される事態になった。けれども、この『曽根崎心中』の詞章は、いまも日本文学屈指の美文とされている。