じじぃの「人の死にざま_1115_古今亭・志ん生(5代目)」

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五代目古今亭志ん生 - 風呂敷 動画 YouTube
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5代目古今亭志ん生『うなぎ屋』-rakugo- 動画 YouTube
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古今亭志ん生 (5代目) ウィキペディアWikipedia)より
5代目古今亭志ん生は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名、美濃部孝蔵。生前は落語協会所属。出囃子は『一丁入り』。20世紀の落語界を代表する名人と称される。
長男は10代目金原亭馬生(初代古今亭志ん朝)、次男は3代目古今亭志ん朝。女優の池波志乃は10代目馬生の娘で、5代目志ん生の孫。俳優の中尾彬は池波の夫で、5代目志ん生の義孫。子役の山田清貴は曾孫に当たる。
【事実上の高座引退】
1968年(昭和43年)、上野鈴本演芸場初席に出演。これが最後の寄席出演となった。同年10月9日、精選落語会に出演。これが最後の高座になる。この時、『二階ぞめき』を演じていたはずが途中で『王子の狐』に変わってしまったことをマネージャーである長女に指摘されたため、以降高座に上がらなくなった。ただし、高座に上がる気持ちは持っていたとされる。
1971年(昭和46年)12月9日、妻・りん逝去。12月11日に葬儀が行われる。その翌日には8代目文楽が逝去。晩年の文楽は寄席や落語会に出演せず引退同様の状態であったが、高座に上がる気持は持ち続けていた。この年、すでに高座を去っていた文楽ウイスキーを土産に志ん生を訪ねて歓談し、別れ際に「二人会の相談をしよう」と呼びかけていたと家族が証言している。妻の葬儀でさえ涙を見せなかった志ん生だが、文楽の訃報を聞いて「皆、いなくなってしまった」と号泣した。
1973年(昭和48年)9月21日、自宅で逝去。享年83。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
5代目 古今亭志ん生(ここんていしんしょう) (1890-1973) 83歳で死亡。 (一部抜粋しています)
昭和36年12月15日、71歳の志ん生は、高輪プリンスホテルでの巨人軍優勝祝賀会の余興を依頼され、飲み食いの始まる前ならという条件で承知したが、川上監督の到着が遅れて、1時間も開会が遅くなり、志ん生が口座に上ったときは、出席者はみんなもう飲み食いを始めていた。志ん生は気分を悪くし、しかし努めて一席やっているうちに、脳出血で人事不省になった。
それ以来、彼は右半身不随となり、呂律(ろれつ)もよくまわらないようになり、その病状はよくなったり悪くなったりした。悪くても彼は酒を飲みたがり、よくなれば口座に出たがった。
42年に勲四等瑞宝章を授与するという内示が役所から伝えられたとき、志ん生は「そうかい、ありがとう。けどネ、おれもこんな身体になっちまって、そっちにとりにゆけねえんだ。すまないけど、とどけておくれよ」といった。
43年10月9日、彼は78で霞が関イイノホールの「精選落語会」に「二階ぞめき」をやって、それが最後の出演となった。ただし「二階ぞめき」のはずが、途中で「王子の狐」に変わってしまった。
寝たきりになってから、弟子がパジャマを買って来てやったが、志ん生は着るのをいやがった、それを無理に着せ、無理に鏡を見させると、「見ろ、西部劇の鍛冶屋だ、まるで」といった。
46年にはこんなことをいった。
「ことしはなに年? 亥(いのしし)かい。81ンなるんです、あたし。やんなっちゃうね。どうしようかと思っちゃう。ほんとに。80ンなったとき、これから、なにやろうと思っちゃって、なにしろあなた、80ってば、こりゃあ、もう……おじいさんですからね。 いままでひとの年齢(とし)きいて、80なんていわれると、へえっと思ったもんだけど、こんだ自分でね。その80ンなっちまって、80になりゃ、たいてい参っちまうもんだけど、参らないから、まごまごすると90まで生きちまうかも知れない。 でもね、最近はよく、冥土へ行った夢を見るんです。ええと、ここが冥土なんだなって、そんな夢を見てる。じっさい、ここまでくると、どこまで生きりゃいいんだて、いいたくなっちまう。ねえ、つまんないもの。いつもそう、なんかがあると、ああ面倒くせえ、はやく参っちめいてえなって。けど、こればかりはね、まさか、刀持ち出して腹ァ切るわけにもいかないし。だいいち、そのう、ああいうことはやりつけないから、上手(うま)くいく気づかいがない」 (「文藝春秋」昭和46年1月号「こうなりゃ九十まで生きる」より抜粋)
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生涯飲む打つ買うの道楽をやりつくして、しかも極楽往生をとげた人間の見本がここにある。しかし志ん生にその幸福を与えたのは、道楽の間も忘れなかった芸への執念の、細いが強靭な糸であった。

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古今亭志ん生 (5代目) Google 検索
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