じじぃの「人の生きざま_599_桂・小金治(落語家)」

「それは秘密です」の桂小金治さん死去 2014年11月6日 nikkansports.com
ワイドショーの司会で知られる落語家桂小金治さん(かつら・こきんじ、本名・田辺幹男=たなべ・みきお)が3日午後4時45分、肺炎のため川崎市内の病院で亡くなった。88歳だった。
俳優としても活躍し、司会を務めた「桂小金治アフタヌーンショー」は8年も続く人気番組だった。バラエティー番組「それは秘密です!!」の司会も務め、涙もろいことから「泣きの小金治」とも呼ばれた。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20141106-1392453.html
日本テレビ「それは秘密です!!」1976.10.12放送(音声のみ) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CbYf-IpWAhU
桂小金治

爆報THEフライデー 2016年3月11日 TBS
【司会】爆笑問題 【出演者】田原俊彦アンガールズオリエンタルラジオ友近テリー伊藤、その他
認知症の症状やボケ日記の内容と妻への最後のメッセージが感動!
生前の日記には認知症と向き合った苦悩が綴られていた。
認知症患者が陥りがちな、細菌が唾液や胃液と共に肺に流れ込んで生じる誤嚥性肺炎で、緊急入院した。
症状は回復することなく、言葉もしゃべれなくなります。
妻への最後のメッセージは指で39(サンキュー)を残し、息を引き取りました。
http://www.tbs.co.jp/bakuhou/
文藝春秋 2015年1月号
蓋棺録 「桂小金治(かつらこきんじ)」 (一部抜粋しています)
落語家でタレントの桂小金治(本名・田辺幹男)は、映画やテレビで役者として活躍し、ワイドショーの司会者でも人気を誇った。
1926(大正15)年、東京の杉並に生まれる。生家は魚屋「天勇」。父は「良いことは他人様のお蔭。悪いこと自分のせい」と教えたという。戦後、「身ひとつで食べていきたい」と師匠なしのまま新宿末廣亭で見習いを始める。
しばらくしたころ、桂小文治が「よく働くやっちゃ」と弟子にしてくれ桂小竹の名で高座にあがった。しかし、上方落語の小文治は江戸落語の稽古をつけられない。柳家小三治(後の小さん)に弟子入りしたいというと、小文治はすぐ電話で頼んでくれた。
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65(昭和40)年、子供が交通事故に遭うのを目撃し、交通安全を訴えたいとテレビに出演したが感極まって泣き出してしまった。このときテレビ局の幹部が、小金治に司会をさせてみようと思いついたことから、20年を超える司会業時代が始まった。
翌年からの『桂小金治アフタヌーン』では怒りを露わにして「怒りの小金治」と呼ばれ、75年開始の『それは秘密です!!』ではもらい泣きして「泣きの桂小金治」と称された。いずれでもしばしば発言が問題になった。
81年からは古典落語に復帰する。タレント業が忙しくなったとき、小文治に「小金治をお返ししたい」と申し出たところ怒鳴られ、「名を汚さんように精進せい」といわれた。その思いやりに遅ればせながら応えたかった。
小金治は二つ目のまま『芝浜』『饅頭怖い』『粗忽の使者』などを高座で演じ「本物の江戸前の口調」と讃えられる。「やっぱり、落語が私の柱だったんです」。88歳で逝去。