じじぃの「人の死にざま_1323_江戸家・猫八(3代目)」

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お笑い三人組 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JnMEMSEx9qE
江戸家猫八「動物鳴き真似」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ECDJRE5Jz_Y
江戸家猫八 (3代目) ウィキペディアWikipedia)より
3代目江戸家猫八1921年10月1日 - 2001年12月10日)は、物真似師、俳優。落語芸術協会に所属していた。本名は岡田六郎(六男だったため、六郎と名付けられる)。愛称は江戸猫。
【広島での被爆
広島に原爆が投下された1945年8月6日当時、23歳の猫八は同市内宇品(現・広島市南区)に駐屯する陸軍船舶砲兵第1連隊(暁2953部隊)の「岡田六郎兵長」として軍務に従事していた。
被爆時の従軍経験は猫八にとってトラウマとなるほど忌まわしいものであったため、長い間この体験は語られなかったが、後年「兵隊ぐらしとピカドン」「キノコ雲から這い出した猫」を著して自らの被爆当時を記している(同様に暁部隊の一員として被爆した人物には、司令部付きの兵卒であった思想史家・丸山真男がいる)。

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『逢えてよかった!』 永六輔/著 朝日新聞社 1995年発行
江戸家猫八さん――原爆体験を語りつぐ猫八話芸 (一部抜粋しています)
かってNHKに『お笑い三人組』という人気番組があって、江戸家猫八三遊亭小金馬(現・金馬)、一竜斎貞鳳(今泉正二)のトリオが活躍した。
このトリオがNHKに行く前、開局当時の日本テレビで『青春カレンダー』という番組があり、作者が僕だった。
ここで講談、落語、ものまねという寄席の若手3人のトリオが生れるのである。
民放からそのままNHKに移り、NHKでは名和青朗さんが台本を書いて人気番組になる。
僕は日本テレビに残って『光子の窓』(草笛光子)を担当するが、猫八さんとのおつきあいは続いている。
実は僕の父が初代猫八とつきあいがあり、親子2代にわたる80年。今は、子猫、まねき猫、猫ハッピーと3代になる。
「ものまね」という江戸以来の古典芸能から、猫八話芸という世界で、広島での原爆体験を語りつく高座は注目されている。つまり美輪明宏さんと同じで、被爆者である。
「ものまね」という芸を子供たちに渡して、猫八さんは原爆を語りつぐ話芸を完成させた。悲惨な現場を上質な笑いを誘う高座の芸にする努力は、役者である猫八さんの表現力があってこそだ。
笑うことで悲惨さが浮きあがってくる見事さ。
テレビで人気の「ものまね芸」に背を向けて、鳥や虫の声を鳴いてみせる江戸屋の芸は、もう無形文化財の世界である。

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江戸家猫八 六郎 Google 検索
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