じじぃの「人の死にざま_1121_菱田・春草」

菱田春草 - あのひと検索 SPYSEE
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落葉 画像
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黒き猫 画像
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コレクションの紹介 「落葉」菱田春草 
http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/archive/collection/nihonga/hishida/02.html
菱田春草 ウィキペディアWikipedia)より
菱田春草は、明治期の日本画家。横山大観、下村観山とともに岡倉天心の門下で、明治期の日本画の革新に貢献した。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
菱田春草(ひしだしゅんそう) (1874-1911) 37歳で死亡。 (一部抜粋しています)
岡倉天心門下の逸材として「落葉」「黒き猫」など不朽の名作を描きながら、いわゆる朦朧体(もうろうたい)といわれるその画法が当時の世にいれられず、菱田春草は同志横山大観とともに、その生活は一時は乞食に近い状態までおちいり、貧苦は一生つづいた。
33歳になった明治40年ごろ、彼は目が霞んだり、ものが歪(ゆが)んで見えたりする症状を発して苦しんだが、このときは1年ばかりで平癒した。
それが44年ごろに再発した。眼中に白斑を生じ、視野に閃輝(せんき)や欠損が生じるようになった。放ってはいけない状態となって医者にかかった結果、腎炎性網膜炎という診断を受けた。眼疾の原因は腎臓病にあったのだ。彼を医者に連れていった横山大観は、医者から梅毒によるものだという診断を受けた、といっている。
8月には完全に失明した。
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そして 9月16日に死亡した。
その直後の11月、前年に春草の絵を見て感心した明治天皇から特に名ざしで彼の絵を求められ、「樹下苦行の図」が千円で買いあげられたことから、春草の絵が暴騰しはじめた。

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菱田春草 Google 検索
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