じじぃの「かわいいおじさん永六輔・小沢昭一・渥美清・中村八大など盟友たち!徹子の部屋」

永六輔のガールフレンド黒柳徹子

黒柳徹子 画像
http://www.inv.co.jp/~tagawa/totto/image/vol26.jpg
渥美清 画像
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井上ひさし 画像
http://www.kakusinkon.org/inoue.bmp
中村八大 画像
http://i.yimg.jp/images/evt/sukiyaki/biography/sukiyaki_sm_001.jpg
宇野誠一郎 画像
http://art42.photozou.jp/pub/940/807940/photo/79828006_org.jpg
黒柳徹子永六輔さん「ありがとう」 『徹子の部屋』急きょ追悼番組に変更 2016-07-11 ORICON STYLE
タレントの永六輔さん(享年83)の訃報を受け、長年親交があった黒柳徹子(82)が11日、コメントを発表した。
 また、あす12日放送のテレビ朝日徹子の部屋』(月〜金 正午)は、番組最多タイとなる39回出演した永さんの追悼番組として放送。14年半前に亡くなった愛妻・昌子さんとの夫婦秘話や、娘との心温まる書簡など、親交の深い2人だからこそ聞けた名場面を集め追悼する。
http://www.oricon.co.jp/news/2074894/full/
ステージ101 スタッフデータ
末盛憲彦 (1929-1983)・・・昭和36年4月より、音楽バラエティーショーのさきがけ『夢で逢いましょう』(昭和36年4月〜昭和41年3月放送)の演出を手がけ、テレビバラエティ演出家として、その名を不動のものにする。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Stage/4844/staff.html
徹子の部屋 「永六輔 現役続行の勇気をくれた盟友の激励」 2013年3月21日 テレビ朝日
現在パーキンソン病を患いながらも精力的にラジオ番組や講演活動を続ける永六輔さんを迎える。懸命にリハビリをこなして病気と闘う日々のエピソードを明かして黒柳を笑わせる。永さんと黒柳の出会いは今から60年ほど前に遡る。今日は2人に共通する盟友たちの秘話が次々と。渥美清さん、小沢昭一さん、井上ひさしさん等の素晴らしい人柄が浮き彫りに…。
☆本
永六輔のお話し供養」 小学館
「無名人のひとりごと」 (株)金曜日
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130321.html
どうでもいい、じじぃの日記。
3/21、テレビ朝日徹子の部屋』を観た。
こんなことを言っていた。
永六輔 「現役続行の勇気をくれた盟友の激励」
黒柳 今日のお客様は永六輔さん。作詞家でいらっしゃり、作家でもいらっしゃる。また、ラジオのタレントといいますか、いろいろ講演もなさったり。パーキンソン病におなりになったのですけど、大変お元気で。
  なるほど、そういう紹介の仕方するんだ。
黒柳 そうよ、なんだと思ったの。
  パーキンソンって。他人行儀じゃない?
黒柳 パーキンソンって、ちょっと言っといた方がいいんでしょ?
  パーキンソンとかアルツハイマー、全部人の名前。
黒柳 あなた、NHKに「テレビ60年」で行ったら、「誰? このおじさん」て言われたんだって?
  「このかわいいおじさん、誰」って。
黒柳 あれ以来、テレビの場合、めったに出ません。
  もう、おじいちゃんですよ。80ですよ。
黒柳 でも、よくおしゃべりになって。
  ラジオの仕事で、一時本当に何言ってるかわからないと言われた時期があって。やめるべきだって世論があった。その時、小沢昭一さんが「あなたラジオの前にいるだけでいいから、やめるな」って言ってくれて。「しゃべれなかろうが、ろれつが回らなかろうがそんなこと関係ない。永六輔はラジオの前にいればいいのだから、絶対やめるな」って。
黒柳 猿まわしの村崎太郎さんに反省ザルのところへ行きなさいと言ったのは小沢さんなんだってね。
  猿まわしだけじゃなくて、小沢さんが育てる、残すってのは、もっと身内でいうとね、落研、大学の落語研究会
黒柳 落研を作ったのは小沢さんなんだとか。
  僕は早稲田の高校生で、中村八大さんが、クラシックのコンサートやるっていうので早稲田の講堂に聴きにいったんです。音楽講堂の下に小講堂があって、そこで落語やってますと。それが小沢さんと初めて会った学校なの。
黒柳 あなた、高校生だったのね。
  落研加藤武さんとか。小沢さんには最後の最後までお世話になりました。パーキンソンになって歩けないから、小沢さんが代わりにやってくれたのが最後になった。早稲田の落研は自分が作ったなんて言わない。
黒柳 落研がなければ、落語がこんなにはなっていないかもしれない。
  そういう意味で言うと、小沢さんがいたから僕がいるんで。
黒柳 話は違うけど、NHKでパーキンソンだと、愛嬌が悪いって言われちゃうんですって?
  パーキンソンって難しい病気でね。病状が自分で把握できないひどい日もあるし、どこが悪いのって言われるぐらい調子のいい日もある。いきなり、くるんです。
黒柳 いきなり!
  いきなりくるんですよ。スタスタ歩けると思うと、車椅子でなきゃ動けないっていう時が。
黒柳 私ね、パリにパーキンソンのお友達がいて、一緒にご飯食べてて帰るって時にお盆持ってガチャン、ガチャン、ドタンって、ラセン階段から落っこちたの。わかった、パーキンソンってこれなんだって。
  だから、介護は難しい。つまづいて転ぶようになったら、パーキンソンだって、注意してください。
黒柳 転ばないように、手すりにつかまる。
  手すりがあったら、ほっとする。今度は2人で歩いているときは近寄るか。
黒柳 あなたはお寺の子どもだから、供養って言葉を。「永六輔のお話し供養」という本をお書きになっています。お亡くなった場合は、その人の話をするのが供養だと。
  悪口でもいいから、その人の話をしてあげるのが供養なんです。
黒柳 渥美清さんを終戦直後から知ってたんだって?
  上野界隈では有名なボスでした。戦災孤児がたくさんいて、都内の焼け跡から金めのものとそうでないものとに分けて、お金に替えるのが我々子どもたちの仕事。そこから我々にお小遣いをくれるのが渥美ちゃんの仕事だったの。
黒柳 浅草界隈で。そのとき、面白い顔の人だなぁとか思わなかったの?
  こっちも古い寺ですから、あんな人と付き合っちゃダメとか、言われるんです。渥美ちゃん、田所康夫さんが捕まったとき、おまわりさんが「お前みたいな特徴のある顔は、悪いことするには似合わないぞ」と。芸人だったらすぐ覚えるからいいけど、悪人なったらすぐ捕まるぞ、と。それで浅草のストリップ劇場に行ったら、舞台監督で井上ひさしがいるんですよ。
黒柳 フランス座に行け、っておまわりさんが言った。
  そこに、井上ひさしがいるんです。
黒柳 土管とか鉄パイプを分けていて、それがこんなことに。
  僕はクラブ活動で言うと、短歌。短歌は寺山修司だったの。八大さんはピアノのコンチェルトやってた。俳句研究会の会長は大橋巨泉だったんですよ。学生の時からえばってるの、あいつは。
黒柳 来てやったっていう感じだからね。
  それから、NHKに行ってあなたに出会うわけです。
黒柳 NHKに入ってすぐディズニーのオーディションやって、最後まで残って落ちたら、ミスター・カッティングって人が私に「残念だったから赤いハンドバッグ渡してくれ」って、あなたに言づけたのね。
  それが初対面だもんね。
黒柳 それが60年前ですから。
永六輔、大声で笑う)
  私たちは60年前からの知り合いということになるのね。そうすると、最初に出会った時、それから最後に別れた時っていうのは、その人の一生を、一緒にいるようなもんじゃないですか。だから、あなたが元気でいてくれると、僕は、すごくうれしいの。
黒柳 あなた、私が元気でいると泣くのね。
  芝居観に行って、喜劇なのに、元気で活躍しているとうれしくなって。
黒柳 中村八大さんは、あなたと、いつも月謝を払ってないので、月謝を払ってない人、払ってくださいっていう時に、いつも、あなたと八大さんの名前、出てたんだって?
  「払わないと退学処分にする」っていうのが、2人並んでたの。
黒柳 レコード大賞、「黒い花びら」。あの黒い花びらで、みんなレコード大賞っていうのがあるって知ったぐらいだもんね。だから、作詞が永さんで、作曲が中村八大さん、水原弘さんがお歌いになった黒い花びらなんですけど。それで、今度、だんだん仕事をやっていくうちに、渥美さんも中村八大さんも、みんな一緒になって、だんだん仕事をやっていくようになって。フランス座であなたが、そこ行った時に、井上ひさしさんも、そこにいて。幕引きとかやってたんだってね? 井上ひさしさん。
  井上さんは東北の人で。「ひょっこりひょうたん島」っていうのも、東北の島なんですよ。ひょっこりひょうたん島で、小沢昭一さんも、そこでつながってくるんだけど。この間ね、被災地、東北の被災地の子どもたちに絵本を贈る会をちょっと手伝ったの。それしたら、その時に、そのスタッフが「こういう校歌、ご存じですか?」って。海岸べりに、三陸の。その釜石小学校の校歌が、井上ひさしさんなの。
黒柳 ビックリしました。しかも、井上ひさしさんの芝居、全部作曲した宇野誠一郎さんが作曲してるんです。子どもたち、それを歌いながら逃げたんだってね。なんて、いい校歌だろうと思いますので、ちょっと朗読いたします。
(黒柳さんが校歌を朗読する)
  学校の名前が入っていない。町の名前が入ってない。
黒柳 ちょっと聴いてみますね。
(「題名のない音楽会」 歌:釜石小学校の子どもたち)
黒柳 井上さんだって、まさか、そんな事があるなんて思いもしないで、この作詞なさったんだろうけど。
  こういう校歌があるのをご存じですかって教えてくれたのは、盛岡の子どもたちに対する施設なの。そこで、被災地の子どもたちに絵本を贈る運動をしている人がいる。その人が末盛さんの奥さん。
黒柳 末盛さんの奥さん。末盛さんっていう方は「夢で逢いましょう」のディレクターで、若くして亡くなってしまったんですけど、その奥さま。
  生きてると、人間っていろんな風につながりがある。
黒柳 宇野さんも去年亡くなったんですけど、宇野誠一郎さんという人は、「チロリン村とくるみの木」とか、それから「波をちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ」。「ひょっこりひょうたん島」とか、いろんなものをお作りになった方なので。私のお友達だし、私が「ヤン坊ニン坊トン坊」ってやってた時の、里見京子さんっていう、ヤン坊をやった人の旦那さんでもあったんです。
  転ばないようにするのは、パーキンソンにとって大事なんだけど、そこで、介護するのが難しいっていう話をしましたよね。僕のリハビリをしてくれてる人も、ジャカルタから来てる若者で、その若者が日本語を勉強していて、「歌を歌いましょう」って。嫌な予感がした。「『上を向いて歩こう』を一緒に歌いましょう」って言うです。「知らないと」言って嘘をついた。「誰もが知ってるのに知らないんですか?」って。その後に、「あの歌は僕が作ったんだ」って言ったら、「また、嘘ついてる」って。
(会場、爆笑)
黒柳 あなたは恥ずかしがり屋なところもあるし、そういう風に威張りたがらないから自分の作詞だよなんて言わないんだけど、その人は知らないからね。でも後で本当にわかったら、すごく驚いたでしょう。
  僕は割といい加減な人間なんだけど、リハビリは頑張ったんですよ。
黒柳 永さんもリハビリをやってらっしゃるんですから、みなさんもリハビリを頑張りましょう。
  小沢さんは、もうそんなに長くないっていう時に、家へ帰りたいって言って家に帰ってるんです。
黒柳 小沢さんって、在宅で1ヵ月ぐらいで亡くなったのでびっくりした。
  仲のいい友達、先輩が亡くなる。こういう風に死ねばいいのかと非常に勉強になる。
黒柳 どういう風な死に方がいいかなって、母に聞いたの。母は96で死んだんですけど、「ママはどういう死に方がいい?」って言ったら、「そりゃ、決まってるじゃない。寝ながら死ぬのが一番いいわ」って言ったの。そしたらね、本当に母は寝ながら死にました。考えごとしながら。
  明治生まれの女性って強いよね。
黒柳 自分で決めるんだなって、思いました。
  僕の母は亡くなった時、家族全員に手紙を書いて亡くなってるんですよ。
黒柳 そういうのって、分かることがあるのね。きっと。
  元気さと落ち着きですね。
黒柳 冷静さ。
  渥美ちゃんと最後の「寅さん」が終わって、もう、「寅さん」無理だなっていう時に、話しした事があるの。渥美ちゃんが最後に「永ちゃん、タオル投げてね」って言ったんですよ。
黒柳 あなたはまだ大丈夫でしょう。
  小沢さんが「絶対やめないでくれ。絶対、あなたはラジオを続けてくれ」って。
黒柳 まだ、大丈夫ですよ、全然ね。
  あなたは、元気な徹子さんでいてくれないと困るの。
黒柳 元気でいようとは思ってますけど。
  本当に元気だね、あなた!
黒柳 割と元気です。まあ、今でも大食いしてますけど。
永六輔、大声で笑う)
黒柳 渥美さんは、終戦直後からあなたと知り合いだったというのはわかったんだけど、その後あなたの家に転がり込んでた時期もあったんですってね。
  うちで飯食って、撮影所行って。
黒柳 あなたが新婚旅行に行く時に、渥美さんも一緒に行って、3人で行ったでしょ、新婚旅行に。あれ、分かんないの。ニューヨークかなんかから渥美さんから、はがきもらって。
  チラッと見るじゃない。そしたら、渥美ちゃんが毎日、「今、ロサンゼルスです」、「今、シカゴです」っていうのを書いている中で、文章が1つしかないの。それは「母ちゃん、俺、元気」。他、なんにもないんですよ。だから、はがきを書くたびに渥美ちゃんのを思い出しますね。
黒柳 今度、あなたに出そうかな。私も短くね。でも、永さん、元気でよかった。
じじぃの感想
さすがは、トークの名人、永六輔さん、黒柳徹子さんでした。