世界遺産 「クスコ市街」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jDn0TauEeTM
マンコ・カパック、ティティカカ湖から来た男 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FuabjNqCOSQ
インカ帝国 クスコの石組み
日本人が黒潮に乗って太平洋を渡った
Anecdotas de Moleskine®: ¿FUERON JAPONESES LOS INCAS? (I)
http://anecdotasmoleskine.blogspot.jp/2009/02/fueron-japoneses-los-incas-i.html
縄文人は海を渡っていた? 2013-04-19 OKWave
縄文土器を「日本人?」が作ったかどうかは分かっていませんが、縄文時代の人がアリューシャン経由や太平洋を船で渡ったとか、日本から南下してフィリピン等を経由して南米に渡ったとの文献も有ります。
http://okwave.jp/qa/q8050492.html
2012人類の終焉 こぼれ話
縄文日本人が、北米および南米インディオの祖先だということを証明してくれる小さな証人がいます。
ATLウィルスの他に、ズビニ鉤虫という寄生虫が、それを証明してくれました。
それまでは、アメリカインディアンの祖先は、モンゴロイドではないかという説が有力でした。
モンゴロイドたちは、ベーリング海峡が氷河で繋がっている時に、ユーラシア大陸から、北米大陸に、歩いて渡って行ったに違いないと考えられたのです。
そうした考え方と共に、日本のような小さな島国から、日本人が、太平洋を越えて、移動できるはずがないという考え方が有力でした。
ところが、約3500年前の南米インディアのミイラの体内から「ズビニ鉤虫」という寄生虫の卵が検出されました。
「ズビニ鉤虫」は、5℃以下で、2年間暮らすと体内で死滅してしまうという特徴があります。
したがって、アジア・ユーラシア大陸に住むモンゴロイドたちが、氷河期に、凍りついたベーリング海峡を、歩いて移住したという説が誤りであることが証明されました。
こうして、やっと縄文日本人が、アメリカインディアンのルーツだということが証明されたのです。
http://2012jinrui.jp/faq/?division_id=24&PHPSESSID=gfc1vca2gskn91nmvh67dnk3i7
世界遺産ライブラリー [クスコ市街] NHK世界遺産
標高3400メートル。アンデスの懐に抱かれた街、クスコは、太陽を崇拝し、高度な文明を築いたインカ帝国の都でした。クスコとはケチュア語(インカの公用語)で「ヘソ」の意味。インカの人々にとって、クスコは世界の中心だったのです。「黄金の輝きは太陽の輝き、金は太陽の涙」と考えた人々は、神殿や宮殿を黄金で華やかに彩りました。しかし、皮肉なことに、その豊富な黄金を狙ったスペイン人によって、1533年、帝国は滅ぼされます。
「シリーズ世界遺産100」では、インカ帝国の面影を探して、クスコの街を歩きます。自然を愛したインカの人々は、コンドルや蛇、ピューマを守り神として崇めましたが、クスコの街は、そのピューマをかたどって作られた、と言われています。カメラはピューマの体内を探検する形で街を巡ります。「心臓」とされるアルマス広場から、お腹や子宮、背中とされる地を訪ねて、最後は頭であるサクサイワマン遺跡へ。それぞれの場所は、スペイン人による略奪と破壊で、その姿を大きく変えてしまいましたが、インカの香りはしっかりと残っていました。
https://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards318.html
世界遺産 “三大迷宮”ミステリーIII 2014年3月28日 テレビ東京
【出演者】黒木瞳、草刈正雄
▽世界遺産2 【ペルー:リマ、クスコ】
<インカ帝国を作ったのは日本人だった!?>
突如現れた後、瞬く間に広大な領土を支配し、高度な文明国家を築いた謎の民インカ。
最近の研究でミイラに残されたウィルスのDNAや寄生虫が日本の九州に住む人と酷似していることが判明した。神話や風習など、インカ帝国と日本に残る数々の共通点。果たしてインカ帝国を作ったのは日本人なのか!?
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/22685_201403282054.html
どうでもいい、じじいの日記。
3/28、テレビ東京 「世界遺産 “三大迷宮”ミステリーIII」を観た。
こんなことを言っていた。
【世界遺産2 リマ、クスコ】
インカ帝国は日本人が作った?
ペルーの首都「リマ」。世界遺産でもあるリマ、クスコを制圧したフランシスコ・ピサロがスペインとの交易の利便性を考え1535年に築かれた。
ペルーの元国立記念碑文化遺産庁長官 フェデリコ・カウフマン・ドイグさんは語る。
「インカ帝国を作ったのは少数のグループだったそうです。彼らは13世紀から14世紀頃、のちに帝国の首都となるクスコから領土拡張を開始したと言われています。しかし、その人たちがどこから来たのかは文献が残っていないため、詳細がわかっていません」
伝説によれば、インカ初代皇帝マンコ・カパックはチチカカ湖に降臨したと言われている。しかし、文字を持たなかった彼らの起源は歴史的・科学的に証明されていない。
「学生の頃、日本人ルーツ説をよく聞きました。多くのペルー人がインカ帝国の皇帝は日本人だと思っていたのです」
元日本駐在ペルー大使 フランシスコ・ロワイサ(1912年から10年間日本滞在)は帰国後本『Manko Kapa』を執筆 。
本の表紙には日の丸が描かれており、サブタイトルは「インカ帝国を作ったのは日本人だった」が書かれている。
そして、インカの皇帝が降臨した湖の名前「チチカカ」。チチ=父、カカ=母、だと書かれている。
さらには、日本人が黒潮に乗って太平洋を渡ったというルートまで描かれている。
この本の中にはインカの人々は日本人の末裔だった、とするさまざまな根拠が書かれていた。
ペルーで見つかった約1000年前のミイラの便から、「ズビニ鉤虫」が大量に発見された。
順天堂大学の奈良准教授によると、ズビニ鉤虫は寒さに弱いため、ベーリング海峡を渡り南米に到達したとする北方ルートは考えにくい。さらに去年発表された論文では、南米沿岸部の人たちは日本人とDNAが似ているという。
さらに、我々は世界遺産の街、クスコに向かいました。
13世紀からおよそ300年間、インカ帝国の首都として栄えた都市 クスコ。
標高約3400mにあり、インカ時代の街並は力強さを象徴する聖なる動物ピューマをかたどったとも言われている。
16世紀、この街はスペイン軍に制圧され、建物は次々に破壊された。しかし、精巧なインカの石組みは壊されることがなく、その上にスペインの教会や住宅などが建てられていった。
今に残るインカ時代の堅牢な石組みと、スペイン風な建物が融合する独特な街並。インカの言葉で「ヘソ」という意味のこの都市はその名の通り、帝国の中心地として賑わいをみせていた。
人類の歴史上、重要な時代であることを示す建築物群や建築様式。その景観が評価されたクスコ市内はその美しい街全体が1983年にユネスコの世界文化遺産として登録された。
じじぃの感想
「さらには、日本人が黒潮に乗って太平洋を渡ったというルートまで描かれている」
黒潮に乗って太平洋を渡ったのは何も日本人でなくても、フィリピン人かもしれないし、台湾人かもしれない。