じじぃの「人の死にざま_1256_子母沢・寛」

子母沢寛 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%AD%90%E6%AF%8D%E6%B2%A2%E5%AF%9B/1495617
7 Zatoichi's Flashing Sword 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4yYvy8p5GFc
子母澤寛の『厚田日記』 2012/12/26(3分34秒) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3Wr9bREI4D4
映画 「座頭市」の勝新太郎と万里昌代

石狩市−厚田ゆかりの著名人 子母沢 寛
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/profile/a-chiikis00024.html
子母澤寛 ウィキペディアWikipedia)より
子母澤寛は日本の小説家。北海道厚田郡厚田村(現・石狩市)出身。本名・梅谷 松太郎。洋画家の三岸好太郎は異父弟。
代表作に『勝海舟』(大河ドラマ勝海舟』原作)等。随筆に『座頭市』のもととなった『ふところ手帖』がある。1962年第10回菊池寛賞

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
子母沢寛(しもざわかん) (1892 - 1968) 76歳で死亡。 (一部抜粋しています)
『弥太郎笠』や『父子鷹』の作者、というより『座頭市』の生みの親として知られる子母沢寛は、昭和41年11月、妻たまを喪(うしな)ったとき、かっとむいた眼から滝のように涙を流しつづけ、はては涙も涸(か)れつくして、ただのどの奥から嗚咽(おえつ)の声をもたらすのみといった状態で悲しんだが、それ以来めっきり弱った。翌々年の43年7月19日、心筋梗塞で死んだ。
お手伝いの辻口外子は語る。
「おひるちょっと前でした。心臓がまた痛み出したといわれるので、いつものように首すじを指で押さえてあげたんですが、つぼがなかなか見つからないうちに変になられたんです。 先生はまたふざけているのかなって、最初は思ったんです。いつも変な風に眼をひらいて、死ぬまねばからしていらっしゃったから。 お医者さんもまに会わないほど急でした」
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なお有名な座頭市の原作『座頭市物語』は400字詰原稿にして15、6枚の短編に過ぎない。