じじぃの「歴史・思想_145_韓国・堕落の歴史・西洋文明との出会い」

パンソリ(春香伝) Korean traditional performance

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5ZOzZSrpnFw

Matteo Ricci

『韓国 堕落の2000年史』

崔基鎬/著 祥伝社新書 2019年発行

血と涙と、号哭(ごうこく)の声――圧政下に咲いた民衆文化の精華 より

西洋文明との出会いに見る、日本と中韓の違い

李氏朝鮮と西洋との最初の出会いは、1601年にイエズス会のマリオ・リッチが、西洋人の宣教師としてはじめて北京に入ったことから始まった。
イエズス会は1534年に、フランシスコ・ザビエルを含む7人の修道士によって結成された。リッチは中国では利瑪竇(りまとう)として知られたが、北京に滞在した間に口述による多くの著作を刊行して、天主教と呼ばれたキリスト教はもちろん、西洋の暦学、天文学をはじめとする科学や、知識を紹介した。
リッチは世界地図を中国へはじめてもたらしたが、それまでの中国の地図は尊華卑夷(そんかひい)に基づいて、中国を世界の中心に置いて、せいぜいインドぐらいまでしか記されていなかった。リッチの五洲を描いた世界地図は、中国のまわりを東夷、西戎、南蛮、北狄の蛮族が囲んでいるという儒教的な華夷秩序を覆す力を持っていた。
1603年、李朝の使臣が北京から、ロッチによる「欧羅巴(ヨーロッパ)国輿地図一件六幅」を宮廷に持ち帰ったのをきっかけとして、李氏朝鮮に西学の書籍が流れ込むようになった。許+「竹かんむりに均」(きょきん、朝鮮最初の陽明学者)も北京でこれらの書籍に接したが、他の使節が伝えたものを閲覧したのだろう。しかし、李氏朝鮮儒教によって呪縛されていたから、このような新しい知識の流入を拒(こば)み、異端として排斥した。
日本は安土桃山時代になって、ザビエルをはじめとする南蛮の宣教師が到来すると、幼児のように旺盛な好奇心を持って、新しい知識や品々に接した。1543年に南蛮船が種子島に漂着して、はじめて鉄砲を伝えると、短期間でその技術を吸収して、4、50年には世界で最大の鉄砲保有国となった。
これは李氏朝鮮儒教の教えを崇(あが)めて、匠や、実学である技術を末技として賤視したのと大きく違っていた。日本では、李朝で西学とよばれた洋学に拒否反応を示すことがなかった。
夜郎自大(やろうじだい)」という表現は、中国の西南部にいた夜郎という野蛮人の小国が、漢の強大さを知らなかったために、漢の使者に対して尊大に振る舞ったことを嘲笑(あざけ)る言葉である。しかし、中国も李氏朝鮮も、まさに夜郎だった。そのために、19世紀に入って西洋の脅威に曝(さら)されると、近代化することができず、国を滅ぼした。

春香伝』と『忠臣蔵』の違いとは?

洪吉童伝』は4章で紹介した『春香伝』と並んで、韓国民にもっとも親しまれ、人気が高い作品である。
春香伝』は李氏朝鮮の小説だが、『洪吉童伝』と違って作者が不詳である。17世紀末から18世紀初期にかけて、長い物語に節をつけて、しぐさを織り交ぜながら歌うパンソリの歌い手によって作られたといわれる。
洪吉童伝』と『春香伝』は、ともに両班による民衆に対する過酷な搾取をテーマにしている。たしかに『春香伝』は、両班の嫡子と妓生(キーセン)あがりの退妓の娘が相思相愛の間柄になり、階級の絶対的なタブーを超えて結ばれる恋の物語である。
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日本で『洪吉童伝』や『春香伝』と同じように、国民によってもっとも愛され、人気が高い歴史的な作品といえば、何といっても47人の赤穂浪士による仇討ち劇である『忠臣蔵』であろう。藩主が江戸城内で刃傷沙汰(にんじょうざた)に及んだために、切腹を申し付けられ、取り潰された赤穂藩の浪士が、家老の大石良雄に率いられて艱難辛苦(かんなんしんく)を重ねた末に、見事、主君の遺恨を晴らしたという史実に基づいている。
私は、ここにも李氏朝鮮と江戸時代の日本とを分かつ際立った違いがみられると思う。
洪吉童伝』と『春香伝』が李朝苛斂誅求な暗い社会を主題としているのに対して、『忠臣蔵』のほうは武士の主君への、ひたむきで純粋な忠誠心をテーマとしている。
つまり日本は、李氏朝鮮を通じて儒教を吸収したが、儒教をすっかり浄化して、忠をもっとも重要な価値とする日本型の儒教に作り変えたのだった。「忠」という概念を行動哲学の中心に据える考え方は、中国にも韓国にも生まれなかった。
江戸時代の日本文学は、日本のシェークスピア(1564-1616年)として知られる近松門左衛門(1653-1724年)の『曾根崎心中』のように、大きな商家や、その手代を主人公にしたものが多く、日本の町人が豊かな消費生活を営み、庶民が今日の日本と同じように享楽的で、旺盛な物欲を持っていたことを示している。
シェークスピアの戯曲が、王侯貴族を主人公としているのと対照的である。近松は大石や赤穂浪士と同じ時代に活躍したが、李氏朝鮮では李氏中期に当った。江戸時代の日本ほど、庶民が自由で豊かな生活を享受していた国は、世界になかった。
元禄時代は日本の経済力が急速に増し、町民が贅沢に耽(ふけ)ったことから、幕府が民衆に対して奢侈(しゃし)を禁止する令を出したほどだった。