じじぃの「科学・芸術_265_紀行と俳文『おくのほそ道』」

奥の細道冒頭部朗読 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=9TFtUSAmads
EASTERN PHILOSOPHY - Matsuo Basho 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=90-2Dg2CJdw

松尾芭蕉の旅 おくのほそ道
  月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。
  舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。
  古人も多く旅に死せるあり。
古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。
http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Okunohosomichi_01.htm
『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
蛤(はまぐり)のふたみに別れ行く秋ぞ 『おくのほそ道』(1702年) 松尾芭蕉 より
松尾芭蕉(1644年ごろ〜94年)は江戸(現在の東京)で活躍した俳句の第一人者であり、俳句とは日本の短い韻文形式である。俳句はほんの一瞬の出来事をとらえるもので、鋭い観察とともに大きな感動をもたらすことも多い。だが芭蕉の最もすぐれた作品は俳文で、これは散文の語りのなかに俳句を配した形態である。
『おくのほそ道』で芭蕉が目的としたのは、禅の精神をまとって北国へ向かった漂泊の旅を記録して、かつての旅をした先人を偲ぶことだった。道中で山川草木にじかにふれ、文人たちと親交を深め、神社に詣でた芭蕉は、確実に我執から解き放されていく。句と文章は完璧な釣り合いを生み、向かい合わせにした2枚の鏡のように互いをくっきり浮かびあがらせる。
大半を徒歩で旅し、何百里も進むあいだ、芭蕉は道理を追い求め、みずからが見いだすものを文章で語る。その記述は生気にあふれ、しばしば哀調を帯びた物思いに染まる――「松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて、屈曲おのづから矯めたるがごとし」と語るさますらも厳粛で諦念を帯びている。芭蕉の俳句が達したのは「見性(けんしょう)」という境地だが、これは一瞬にて悟りを得ること、すなわち真理に目覚めることである。