じじぃの「人の生きざま_316_森本・哲郎」

評論家の森本哲郎さん死去 88歳 2014年1月10日 朝日新聞デジタル
世界各地を旅しながら文明や歴史を考察した評論家で元朝日新聞編集委員森本哲郎(もりもと・てつろう)さんが5日、虚血性心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は長男進さん。
http://www.asahi.com/articles/ASG1952LBG19UCLV00H.html?iref=com_top6_06
森本哲郎/著 「血ぬられた神話―古代地中海」

文明の旅―歴史の光と影 (1967年) (新潮選書) 感想 森本 哲郎 読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/b/B000JA8T2W
森本哲郎 ウィキペディアWikipedia)より
森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年10月13日 - 2014年1月5日)は、評論家。東京都出身。
【人物】
日本の文明批評の第一人者として知られており、フリーアナウンサー森本毅郎の兄としても有名。
毅郎がNHKを退局してフリーになった際「組織に収まりきれないのが森本家の血筋」とコメントした。哲郎自身も東京新聞記者、朝日新聞記者、フリーの批評家、情報番組のキャスター、大学教授、再びフリーと転身している。

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『旅の半空』 森本哲郎/著 新潮社 1997年発行
旅の半空(なかぞら) (一部抜粋しています)
 京まではまだ半空や雪の雲    芭蕉
貞享4年(1687)10月末、芭蕉は江戸の芭蕉庵を出て郷里、伊賀上野へ向かった。彼の心には、また旅への思いが、しきりにうずまいていたのである。いったんは故郷へ帰っても、そこからまた伊勢、大和、紀伊、摂津、播磨から、さらに西国をめざそうと、彼は期していた。秋も暮れようとするころ、一人で旅に出る44歳の胸中は、さすがに不安であったろう。「空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して」(『笈の小文』)と記している。
出発に先立って、其角亭で送別の句会が開かれた。その席上、芭蕉が詠んだ発句が前にも紹介した「旅人と我名よばれん初しぐれ」である。それに弟子の由之が、「亦さざん花を宿々にして」と、ゆかしい脇句をつけている。しぐれ降るこの季節、泊りを重ねる宿々には、さだめし山茶花が白く咲いていることでしょう、うらやましい風雅の旅、お元気で、という挨拶をこめたものだ。
こうして、芭蕉東海道を西へ向い、11月初め、鳴海に着き、尾張の門人、知足の家に草鞋(わらじ)を脱いだ。そのときも当地の弟子たちが歓待してくれ、句会が開かれたが、「京までは」の句は、門人のひとり樸言亭における俳席での吟である。句意は説明するまでもあるまい。江戸から、はるばる鳴海までやってきたが、洛(みやこ)の京までは、まだ道半ばにすぎない、見上げると、空には雪雲がたれこめており、旅の行末(ゆくすえ)が思いやられる、というのである。
むろん、この句には、それなりの背景がある。何年か前、歌人として知られる飛鳥井雅章公(権大納言)が江戸に下るとき、このおなじ樸言亭に泊り、「うちひさす都も遠くなるみがた はるけき海を中にへだてて」と詠まれた、ときいて、芭蕉は、それとは反対に、自分は、そのはるけき京をめざしているのだが、道はまだ、ようやく半ばにさしかかったにすぎない、と旅の行方を思いやったのだ。
ほくは、いささか長く芭蕉の句にこだわったが、それというのも、この句に使われている「半空(なかぞら)」という言葉に、強く心ひかれたからである。「半空」とは「半空(なかぞら)」であり、「空の中ほど」、あるいは「空」そのものをいう。が、また「道の途中」をも意味し(岩波版『古語辞典』)、その「中途で浮いているの意」ともある。すなわち、「うわの空」といった心の状態もさしているのだ。なんと含蓄ある言葉ではないか。芭蕉は、鳴海にたどりついたときの心境を、まさに、この2字に託したのだった。
ぼくが、この「半(なか) 中 空(ぞら)」なる語に心打たれたのは、そもそも、旅とは「半空」そのものだからである。目的地に着き、そこで終わってしまうのは旅ではない。たんなる旅行に過ぎない。真の旅とは、死ぬまで終わらないものだ。だから時間の旅である人生は、つねに「半空」にある、と言っていい。そこで芭蕉の句は人生の旅に引きうつして、こう詠みかえることもできよう。
 死ぬまではまだ半空や雪の雲
旅に限りはない。ぼくはこの2年、あらためて日本のあちこちを旅してきたが、旅をすればするほど、もっと先に行ってみたくなった。旅が、つぎの旅を、さらにつぎの旅を誘発するのである。その「半空」で、ぼくがつくづく思い知ったのは、日本が途方もなく広い、ということであった。ぼくが歩いたのは、この国のほんの一部、いや、毛筋ほどの地域にすぎない。ぼくも雪雲の下で、途方に暮れざるを得なかった。
しかも、旅とは、ただ空間を移動することだけでなく、同時に、時間を歩むことである。旅の空で、わが思いは、いつしか「蜘蛛手(くもで)」に分かれて、時をさまよい、過去をさかのぼり、来し方の月日、そこに堆積している人間のいとなみ、そして自分に戻って、わが身の生きていることの不思議をかみしめる。旅の魅力、いや、魔力は、そこにあるのだ。

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