NHKスペシャル 「ドナルド・キーン 10月10日」 バラエティ動画 fc2
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-77195.html
キーン・ドナルド 90歳を生きる 石川啄木を語る 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=71IAUoWY2cw
ドナルド・キーン
天国の一年と地獄の三年 『日本人の戦争――作家の日記を読む』(ドナルド・キーン 著) 本の話WEB
真珠湾攻撃の昭和十六年末から占領期の最初の一年を含む五年間を、もっぱら作家の日記を通して浮き彫りにしようと試みたのが、新著『日本人の戦争――作家の日記を読む』である。
登場する日記作者は永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、内田百輭、渡辺一夫、清沢洌(きよし)、徳川夢声、古川ロッパ等々、作家のみならずジャーナリスト、学者、漫談家、喜劇俳優まで多岐にわたる。キーンさんはこれら複数の日記から関心の趣くまま自在に引用しては、戦時から終戦直後の日本人の日々を描き出していく。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/283
クローズアップ現代 「我が愛する日本へ 〜ドナルド・キーン89歳の決断〜」 2011.6.29 NHK
【キャスター】国谷裕子 【ゲスト】コロンビア大学名誉教授・日本文学研究者 ドナルド・キーン
70年近くにわたり日本文学を幅広く研究し、世界に広めた功労者、アメリカ・コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんが、東日本大震災後、日本国籍を取得し日本に永住することを表明した。きっかけは、大震災による大きな打撃に苦しむ日本人と共に生きることで、これまでの日本への感謝を心から示したいのだと言う。その決意に、多くの日本人が勇気づけられた。18歳で「源氏物語」と出会い、その後、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫といった名だたる文豪とも親交を結び、日本文学に情熱を注ぎ続けたキーンさん。番組では、大震災後に日本各地の人たちからキーンさんに寄せられた感謝や激励の手紙を紹介しながら、日本を愛してやまないキーンさんの半生や、キーンさんをとらえて離さない日本の美しさとは何かに迫る。
日本人とは何か。キーンさんはその謎を解く手がかりとして、戦中戦後の作家の日記に注目しました。永井荷風や伊藤整、山田風太郎など、およそ30人の作家の日記。中でもキーンさんが共感したのは、もとプロレタリア作家で戦中に言論統制のもと、転向を余儀なくされた、高見順の日記でした。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3065
NHKスペシャル 「私が愛する日本人へ 〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」 2015年10月10日
【ナビゲーター】渡辺謙 【ドラマ出演】川平慈英、篠井英介、斉藤由貴、南野陽子
「日本人と共に生き、共に死にたい」大震災の直後、日本国籍を取得したアメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん93歳。
キーンさんは戦後70年に渡って、日本の文学の魅力を世界に伝え続け、「日本人よりも日本を知る男」とも呼ばれる。
番組では、ドラマとドキュメンタリーを交差させながら、その波乱に満ちた歩みを描く。最初の玉砕となったアッツ島の戦い(1943年5月)に参加し、手りゅう弾を胸で破裂させて自決した日本兵の遺体を目にした。
アッツ島の日本兵士が残した日記に、戦地での正月では13粒の豆を7人で分け合って祝ったことが書かれていた。
石川啄木が残した日記や手紙を読み進めたが、26歳で亡くなった若者がなぜ気高い思想と芸術を獲得できたのか、という疑問は解けないままだった。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586635/index.html
『知らないほうが幸せでした。』 博学こだわり倶楽部/編 KAWADE夢文庫 2014年発行
松尾芭蕉は旅の合間に俳句講師のアルバイトをしていた。 より
芸術の道で生計を立てていくことは、現在でも江戸時代でもむずかしい。『奥の細道』などの紀行文を残した、かの有名な松尾芭蕉も、それは同じだったようだ。
芭蕉は、江戸で職業的な俳諧師としても活躍しており、作句の会で司会者として進行を取りしきったり、各人の作句を批評することで指導料をもらっていた。現在の金額にすると、1日1万5000円程度だったが、毎月仕事があるわけではなく、生活は豊かではなかったようだ。
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どうでもいい、じじぃの日記。
10月10日、NHKスペシャル 「私が愛する日本人へ 〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」を観た。
ドナルド・キーンは、なぜ日本人に魅せられたのか。
最初に出会ったのはアッツ島の戦いで、玉砕したおびただしい数の日本兵の死体であった。
そこの日本兵士が残した日記には、戦地での正月では13粒の豆を7人で分け合って祝ったことが書かれていた。
番組では、高見順、伊藤整、松尾芭蕉、石川啄木等の日記を読み解くことで、日本人の豊かな感性が分かると言う。