じじぃの「人の生きざま_61_ドナルド・キーン」

ドナルド・ローレンス・キーン - あのひと検索 SPYSEE
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NHKスペシャル 「ドナルド・キーン 10月10日」 バラエティ動画 fc2
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-77195.html
Donald Keene Close-up interview Pt. 2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=H7bt_XXgTSA&feature=related
ドナルド・キーン博士講演 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bfdqB0R2gSQ
ドナルド・キーン

励ますため…ドナルド・キーン氏日本永住へ 2011年4月27日 日テレNEWS24
アメリカの日本文学研究の第一人者であるコロンビア大学名誉教授のドナルド・キーン氏(88)が、日本への永住を決め、26日に最後の授業を行った。
http://news24.jp/articles/2011/04/27/10181731.html
NHKスペシャル 「私が愛する日本人へ 〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」 2015年10月10日
【ナビゲーター】渡辺謙 【ドラマ出演】川平慈英篠井英介斉藤由貴南野陽子
「日本人と共に生き、共に死にたい」大震災の直後、日本国籍を取得したアメリカ生まれの日本文学研究者、ドナルド・キーンさん93歳。
キーンさんは戦後70年に渡って、日本の文学の魅力を世界に伝え続け、「日本人よりも日本を知る男」とも呼ばれる。
番組では、ドラマとドキュメンタリーを交差させながら、その波乱に満ちた歩みを描く。最初の玉砕となったアッツ島の戦い(1943年5月)に参加し、手りゅう弾を胸で破裂させて自決した日本兵の遺体を目にした。
伊藤整の「太平洋戦争日記」には、戦争への賛美と必勝の信念が書き綴られている。作家という知識階級に属していても、いかに日本人が西洋人に対して異常なまでの敵意を抱き、戦争によって今までの屈辱を晴らそうとしていたかを推測することができる。
アッツ島日本兵士が残した日記に、戦地での正月では13粒の豆を7人で分け合って祝ったことが書かれていた。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586635/index.html
ドナルド・キーン ウィキペディアWikipedia) より
ドナルド・ローレンス・キーン(1922年6月18日 - )は、アメリカの日本文学研究者、文芸評論家。勲等は勲二等。2008年に文化勲章受章。コロンビア大学名誉教授。日本文化を欧米へ紹介して数多くの業績を残した。称号は東京都北区名誉区民、ケンブリッジ大学東北大学ほかから名誉博士。賞歴には全米文芸評論家賞受賞など。
【来歴・人物】
ニューヨーク市ブルックリンで貿易商の家庭に生まれる。
1938年、16歳でコロンビア大学文学部に入学。同校でマーク・ヴァン・ドーレンやライオネル・トリリングの薫陶を受ける。同じ頃、ヴァン・ドーレンの講義で中国人学生と親しくなり、そのことがきっかけで中国語特に漢字の学習に惹かれるに至る。1940年、厚さに比して安価だったというだけの理由で49セントで購入したアーサー・ウェイリー訳『源氏物語』に感動。漢字への興味の延長線上で日本語を学び始めると共に、角田柳作のもとで日本思想史を学び、日本研究の道に入る。コロンビア大学にて、1942年に学士号を取得。日米開戦に伴って米海軍日本語学校に入学し、日本語の訓練を積んだのち情報士官として海軍に勤務し、太平洋戦線で日本語の通訳官を務めた。通訳時代の友人にオーティス・ケーリ(のち同志社大学名誉教授)がいる。
1953年京都大学大学院に留学。京都市東山区今熊野の下宿にて永井道雄と知り合い、生涯の友となり、その後は永井の紹介で嶋中鵬二とも生涯の友となった。1955年からコロンビア大学助教授、のちに教授を経て、同大学名誉教授となった。
1982年から1992年まで朝日新聞社客員編集委員。1986年には「ドナルド・キーン日本文化センター」を設立した。1999年から「ドナルド・キーン財団」理事長。2006年11月1日源氏物語千年紀のよびかけ人となる。
日本に関する著作は、日本語のものが30点、英語のものもおよそ25点ほど出版されている。近松門左衛門松尾芭蕉三島由紀夫など古典から現代文学まで研究対象の幅は広く、主に英語圏への日本文化の紹介・解説者として果たした役割も大きい。英語版の万葉集や19世紀日本文学、中国文学のアンソロジーの編纂にも関わった。
1976年には、日本語版、英語版それぞれの『日本文学史』の刊行が開始された。近世、近代・現代、古代・中世の三部に大きく分かれる。
2011年3月11日発生の東日本大震災を契機に、コロンビア大学を退職した後、日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明した。
主に交流のある作家は三島由紀夫谷崎潤一郎川端康成吉田健一石川淳安部公房など。

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週刊朝日 2011年5月6・13日号
それでも私は日本に永住します。身も心も日本人だから 日本文学研究者 ドナルド・キーン (一部抜粋しています)
この4月26日を最後に、50年間教壇に立ち続けたコロンビア大学を去ります。4月半ばの授業には、はるか昔の教え子や友人の研究者など数百人が集まってくれました。6月には日本にある住まいに戻り、そのあと日本国籍を申請したいと思っています。
日本の震災について、米国人の関心は高い。人と会えばその話題になるし、ニューヨークのタイムズスクエアでは日本語で「がんばれ!」と書かれたメッセージを見かけます。
何よりの日本そのものが、復興への強い意志を発信し続けています。例えば、震災発生からまもない3月16日に天皇陛下がメッセージを出しました。この一節は、特に印象深い。
 <海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています>
震災発生直後から、外国人が先を争うようにして日本を出国し、日本は地震と希望を失いかけていました。だからこそ天皇陛下は、「恥」というものを深く考える日本人の美点に言及し、励ましのメッセージとしたのではないでしょうか。
千差万別の個性を持つ日本人をひとつの論でくくることに、私は賛成しません。しかし震災に辛抱強く耐え、復興に励む特性は、東北という地における共同体意識の強さが生み出した結果ではないでしょうか。
56年前、私は松尾芭蕉と同じ目線で「奥の細道」をたどる旅をしていました。
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命の復興とともに、日本が持つ歴史と伝統という財産の復興も、心から願うばかりです。
私が身も心も日本人となる決意をしたきっかけは、この1月に体調を崩し、東京で2週間入院したことでした。それまでは多忙な生活でしたから、この入院で、これからの人生をゆっくり考える時間ができました。
日本や米国の友人に「日本国籍を申請しようかと思っている」と相談すると、みんな心から賛成してくれた。友人たちの祝福の気持ちは震災後も変わりません。私自身、東京への定住に不安がなかったわけではありません。しかし、出国する外国人とまるで逆をゆく私の決断が日本への応援メッセージになれば、と強く感じています。
第2次大戦中、私は海軍の将校として日本人捕虜の通訳の仕事をしていました。
そして日本の地を踏みたいと願った私は、昭和20年12月に厚木の空港に降り立ちました。車で空港から東京の中心街へ進むに従い、目に飛び込んできたのは破壊され尽くした瓦礫の残骸だけでした。日本はもうおしまいだとしか思えなかった。しかし、それから日本は見事に復興をとげました。新東京が再建されたように、新東北も必ず生み出せるはずです。

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