じじぃの「アリューシャン諸島のキスカ島・同士討ちが行なわれていた?失敗の世界史」

Japanese forces landing on Kiska, Aleutian Islands, during World War II HD Stock Footage

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_xlsnhYbMZA

ドナルド・キーン氏とキスカ

2019/02/25 Saburo(辻 明人)
昨日、ドナルド・キーン氏が死去した。
日本人以上に日本と日本文化を愛してくれた人である。
そんなキーン氏は若い頃、太平洋戦争のキスカ島作戦に参加していた。
https://note.mu/takamushi1966/n/naa907714daf3

コテージ作戦

ウィキペディアWikipedia) より
コテージ作戦は、太平洋戦争中の1943年8月に行われた、アメリカ軍などによるアリューシャン諸島のキスカ島への上陸作戦である。
同士討ちによる死者数100人余り、負傷者が数十名という数字からアメリカ軍のパニックが推測できる。
当時アメリカ軍は前例(アッツ島での玉砕)により、「撤退作戦の失敗が重なれば日本軍は直に徹底抗戦に出るだろう」と考えていたことに加え、撤退作戦前日にレーダーの誤認を日本軍の艦艇と勘違いし砲撃し、撃退したと思い込んでいた。
その後、弾薬補給のため2日間だけ警備ががら空きになっていた日に、(アメリカ軍の事情はもちろん知る由もない)日本海軍が救出作戦を行っていたため、アメリカ軍としては「前日に日本軍艦を砲撃し、撃退した」ので、次の日も日本軍が救出作戦を試みるなど、予想が出来なかったのである。もちろん弾薬補給の後、アメリカ軍は翌日には海上封鎖を再開していた。

アメリカ軍はもちろん日本軍が撤退したとは知らなかったため、通常通り艦砲射撃を行い、上陸作戦を行った。そのため上陸後、周囲を警戒するが、「いるはずの日本軍」が一向に攻撃を仕掛けてこないので兵士たちは疑心暗鬼に陥ってしまった。「いつ不意を付かれて襲われるか分からない」と更に兵士達の緊張状態が高まった結果、動く物を無差別に日本軍兵士と勘違いし同士討ちが起きたのである。

アメリカ軍は前述の通り日本軍の撤退を知らなかったため、同士討ちが起きても仕方ない状況だったと言える。

                    • -

『とてつもない失敗の世界史』

トム・フィリップス/著、禰冝田亜希/訳 河出書房新社 2019年発行

人類の戦争好きは下手の横好き より

(ドイツがロシアに侵攻したが寒さのため撤退した)これには余談があって、当時ドイツと同盟を組んでいた日本も、独自の詰めの甘い杜撰な発想で真珠湾攻撃に乗り出し、せっかく戦争にかかわらないように身を引いていた超大国を、わざわざ不必要に戦争に引きずり込んでいた。ドイツと日本のこの2つのはなはだ残念な選択がなかったら、ややもすると枢軸国側が戦争に勝っていたかもしれない。考えようによっては、人類の決断能力が目も当てられないほど残念なおかげで、長い目で見たら最良の結果になる場合もある。少なくとも、あなたがヒトラー総統の崇拝者でないと過程しての話だが。
それで、アメリカと日本は太平洋で戦うことになった。戦争の霧には「不透明」という隠喩的な意味があるだけでなく、本当に霧がかかわることもある。それがキスカ島の例だ。キスカ島はだいたい日本とアラスカの中間地点(実際はちょうどアラスカ州の端のほう)に位置する何もない無人島だが、戦略的には重要な島である。これは第二次世界大戦たけなわの1942年に日本が占領した2島のうちの1つだった。このことがアメリカを戦慄させた。たとえ島が極端に小さく、アメリカ本土から遠く離れていても、自国の領土が占領されたのは1812年英米戦争以来、初めてのことだったからだ。
1943年の夏、3万4000人のアメリカとカナダの連合部隊が、キスカ島を奪還する作戦に備えていた。彼らはまだ、キスカ島付近で起こったアッツ島奪還の戦いで受けた傷が癒えず、疲れ切っていた。それは過酷で血なまぐさい戦いで、日本軍は全滅するまで戦った。作戦の指揮官たちは、キスカ島での戦いがアッツ島と同じくらい過酷なものになると確信していた。連合軍が8月15日に上陸したとき、キスカ島は凍てつく濃霧が垂れ込めていた。兵士たちは酷寒のなか風雨が吹き荒れて視界ゼロという地獄じみた状況で、岩だらけの島を地雷やブービートラップを慎重に避けながら、一歩また一歩と足の感覚だけを頼りに踏みしめていた。そのとき、目に見えない敵からの銃撃の炸裂がまわりの霧の間を照らした。兵士たちは24時間ずっと狙撃兵による砲火をよけ続け、島の中心に向かう上り坂を重い足取りで少しずつのぼっていた。そのとき、大砲のくぐもった爆発音が響きわたり、早いピッチの銃撃戦の音が間近で聞こえた。誰かが命令か噂を伝えようとして、聞き取りにくい声で「日本軍がそばにいるぞ」と叫んだ。

                    • -

どうでもいい、じじぃの日記。
「連合軍が8月15日に上陸したとき、キスカ島は凍てつく濃霧が垂れ込めていた」
アリューシャン諸島のキスカ島で、アメリカとカナダの連合軍は味方同士で撃ち合っていたのだそうだ。
そういえば、日本と中国との間で起きた日中戦争
北京の南西郊外にある盧溝橋付近で1937年(昭和12年)7月7日夜、日本軍が夜間軍事演習中に中国軍から発砲があったとして攻撃した事件である。
日本軍と中国軍のどちらが先に発砲したのか、真相はいまだにわかっていない。
のだとか。