じじぃの「歴史・思想_44_世界史を変えた指導者・ジョージ・ワシントン」

History Brief: Victories at Trenton and Princeton

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Z35pIUJsshI

December 26, 1776, General George Washington

Wins Battle of Trenton

『図説 世界史を変えた50の指導者』

チャールズ・フィリップス/著、月谷真紀/訳 原書房 2016年発行

ジョージ・ワシントン アメリカを統一し独立に導いたカリスマりーだー より

アメリカ独立戦争大陸軍の総司令官をつとめ、初代アメリカ大統領となったジョージ・ワシントンは、アメリカ建国の父とたたえられ、あらゆる時代を通じリーダーのロールモデルとなっている。

1781年10月19日、ヨークタウンでジョージ・ワシントン率いる大陸軍は、イギリス軍のコーンウォリス将軍に降伏を迫った。アメリカ独立戦争の行方を決定した瞬間だった。勇敢かつ高潔で自制心に富み、愛国心の強かったこのリーダーは、ともすれば崩壊しそうになる、装備も貧弱なアメリカ軍をみごとにまとめあげ鼓舞して、強大なイギリス軍に対する勝利に導いた。1789~97年まで初代アメリカ大統領という最高の栄誉をつとめ上げると、ワシントンの名声はさらに高まった。
1781年の夏、ワシントンはニューヨーク州ドブス・フェリーで1778年春から連盟していたフランス軍と、マンハッタン島のイギリス軍に対する攻撃計画を練っていた。フランソワ・ジョセフ・ポール・ド・グラス率いるフランス艦隊が、ヴァージニアにいたコーンウォリス伯率いる別のイギリス軍への攻撃を支援できるという一報を受けると、ワシントンはすぐさま南に行軍し、兵士たちをド・グラスの戦艦に乗せてチェサピーク湾を横断させ、ウイリアムズバーグに上陸させた。
ヴァージニア州ヨークタウンにいたコーンウォリス軍の包囲は9月28日にはじまった。ワシントン率いる5500の大陸軍は、5000のフランス軍と3500のヴァージニアの民兵団の支援を受けた。コーンウォリスは援軍を期待してできるかぎりもちこたえたが、ワシントン軍は陣地を一つひとつ奪っていき、ついにイギリス軍の将軍は降伏を強いられ、8000の将兵と240の銃がアメリカ側の手に落ちた。アメリカ独立戦争の全面勝利だった。1782年4月に和平交渉がはじまり、1783年9月3日にパリ条約が調印された。

集団をまとめるに長けた、規律の人

初期の英雄的活躍によってワシントンの軍人としての名声は不動のものとなり、それが1775年に大陸軍の総司令官に選出された理由のひとつともなった。植民地のイギリス軍に従軍した経験も、独立戦争を指揮するうえで役に立った。戦時中は、集団をまとめる彼の能力が大きな強みになった。まさかの敗北が現実の可能性として迫ることもたびたびあった5年にわたる戦いをとおして、軍と国民を団結させたのである。
ワシントンは厳格な規律の人で、報酬がわずかで食糧も不充分なうえ装備がおとっていても、将兵は気骨をもつべきだと考えていた。非効率と規律違反、とりわけ部隊間の内紛は厳しく取り締まった。その反面、兵士の待遇と食事の改善を議会に熱心に訴えて、兵士にしたわれた。

障害をものともせず

まったく勝算のない状況で、ワシントンが軍を大勝利に導いたり部隊の士気を維持したりしたことは一度や二度ではない。1776年末から77年初めにかけて、戦況がどん底にあったときにワシントンがトレントンプリンストンの戦いで勝利したことは国民を元気づけ、志願兵が続々と参加した。1777年9月にイギリス軍がフィラデルフィアを占領すると、見通しにはふたたび暗雲が立ちこめるが、ワシントンはヴァレーフォージの凍える寒さのなか、飢えに苦しむ疲弊した軍の結束を維持した。