じじぃの「科学・芸術_256_自然災害・地震」

「今、蘇る寺田寅彦 −天災は忘れた頃に−」池内 了(総合研究大学院大学 理事):平成25年度 軽井沢土曜懇話会 第1回 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=HYv9aZqWDuo
寺田寅彦

寺田寅彦 :池内 了 河出書房新社
天災は忘れた頃にやって来る
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309740416/
寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて』 池内了/著 みすず書房 2005年発行
自然災害の科学 (一部抜粋しています)
寺田寅彦が言ったとされる、五七五調の「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は、彼が書き残した文章の何れにも発見できない。ただ、それに近い表現をしているのが、「天災と国防」(昭和9年11月)にある。
 畢竟そういう天災が極めて稀にしか起こらないで、ちょうど人間が前車の 顛覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう
という文章である。これを約めると先の言葉になる。台風は毎年のようにやってくるが、暴風雨に直撃される確率は、(沖縄を除いて)比較的小さく、数年に1回である。津波や火山や地震は、数十年で繰り返されることはあるが、人の一生の間に1回も来ない場合もある。一度天災で苦難に遭ったとしても、次のときには世代が替わり、ほとんど忘れられてしまうのが現実なのである。その意味で、「天災は忘れた頃にやってくる」は、真実を穿った言葉ということができる。(例外的なのが北海道の有珠山で、17年から30年の間隔で爆発を繰り返しており、其の度に洞爺湖温泉は大きな被害を受けているが、集団疎開をしようとはしていない。むしろ、旅館などの設備更新の機会と捉えられている。)
実は、この文章で寺田寅彦が強調したかったことは、
 文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増すという事実
であった。人間が自然に従順であった時代は、地震が起こっても、暴風雨に襲われても、被害はほとんどなかった。被害を受けるべき造営物がなかったためである。
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「再び、地震予報について」
寺田寅彦は、関東大地震の後、「地震雑感」(大正13年5月)を執筆している。おそらく、地震に関する総論を書くよう依頼されたのだろう。ここでは、地震の概念、震源地震の原因を丁寧に解説した上で、再び地震の予報について論じている。結論は、
 方数十里の地域に起るべき大地震の期日を、数年範囲の間に限定して予知し得るだけの科学的根拠が得られるか否かについては、私は根本的の疑いを懐(いだ)いている
というものである。「いつ(期日数年)」、「どこで(方十里)、「どの規模で(大地震)」の3点セットで予知することに、根本的な疑いを抱いていると言っているのだ。
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そう言った上で、寺田寅彦は論を変え、
 要は、予報の問題とは独立に、地震の災害を予防する事にある
と断言する。地震学の知見を防災に活かすべきだと言うのだ。地殻の構造から考えて、起こるべき地震には最大規模が存在することは確実である(地震学の知見)。そうだとすると、この最大規模の地震に耐えうるような施設としておけば安全ということになる(災害の予防)。
 そういう設備の可能性は、少なくとも予報の可能性よりは大きい。
と言い得る。っこにおいて、寺田寅彦は、地震予報より防災に重点をおくべきだとはっきり主張するようになった。もっとも、100年に1回あるかどうかの地震に備えるために、特別に設計された施設を用意することは問題になるかもしれない。そこで、寺田は、
 これは実に容易ならぬ問題である。この問題に対する国民や為政者の態度はまた、その国家の将来を決定するすべての重大なる問題に対するその態度を覗わしむる目標である
と述べ、国民や政治家の国家100年の計が問われる問題であると力説する。(為政者はそこまで考えて国の目標を建てるべき、という意見を内に秘めているようだ。)