じじぃの「科学・芸術_262_小説『吾輩は猫である』」

【朗読】夏目漱石吾輩は猫である』(196) 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=tyRt_XmiT1Q

夏目漱石、訪ねてきた寺田寅彦を愛猫の墓に案内する。【日めくり漱石/9月27日】 2016年09月27日 サライ
今から106年前の今日、すなわち明治41年(1908)9月27日、41歳の漱石は東京・早稲田南町の自宅を訪問してきた門弟の寺田寅彦を、北側の裏庭へと案内した。そこには白木の角材が立っていて、漱石の自筆で「猫の墓」と書いてある。花も手向けてある。
それは、『吾輩は猫である』のモデルともなった夏目家の猫の墓標であった。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。」(『吾輩は猫である』より)
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『世界文学大図鑑』 ジェイムズ・キャントンほか/著、沼野充義/監修 三省堂 2017年発行
吾輩は猫である。名前はまだ無い。 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。 『吾輩は猫である』(1911年) 夏目漱石 より
20世紀初頭の日本では「私小説」が盛んになり、1920年ごろからは文壇の主要な潮流のひとつとなった。これは西洋からはいってきた自然主義文学の影響下に興った日本独自の小説ジャンルであり、作者自身と思わせる人物を主人公として、その実際の体験をありのままに、虚構を交えずに描くとされる。しかし、これは単なる告白や自伝小説ではない。その上、一人称で語られないものも多く、虚構を多分に含む場合も珍しくない。
視点が主人公の身辺や心境に限定され、社会的なひろがりを持たないため、西洋の「本格小説」に比べて劣るものとしてしばしば批判されたが、現代の日本でもいまだに有力なジャンルでありつづけている。日本人が古来育んできた日記文学や随筆の感性が、近代小説の中に溶け込んで、特異な発展を遂げたものと考えられる。
自然主義や「私小説」が勃興してきた時代に、そういった流れから超然と立ち、「私小説」とは異なった次元ですぐれた小説を次々に生み出したのが、森鴎外夏目漱石のふたりだった。『吾輩は猫である』は漱石の小説家としてのデビュー作である。「私小説」というジャンルを笑い飛ばすかのように、猫の一人称で語られるこの愉快な小説は、漱石自身を多分に思わせる猫の飼い主をはじめとして実在のモデルを多数使っているが、すべては猫の目を通しての痛快な人生・文明批評になっている。