じじぃの「人の生きざま_170_江崎・玲於奈」

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#150dノーベル物理学賞 江崎玲於奈 基調講演 動画 YouTube
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『新説、受験戦争は解決可能である!』江崎玲於奈 動画 YouTube
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江崎玲於奈 ウィキペディアWikipedia)より
江崎玲於奈(えさきれおな、男性、1925年3月12日 - )は、日本の物理学者である。
【経歴】
建築技師である江崎壮一郎の長男として大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)にて誕生。1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在の富士通テン)に入社。真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。1956年、東京通信工業株式会社(現在のソニー)に移籍。半導体研究室の主任研究員として、PN接合ダイオードの研究に着手。約1年間の試行錯誤の後、ゲルマニウムのPN接合幅を薄くすると、その電流電圧特性はトンネル効果による影響が支配的となり、電圧を大きくするほど逆に電流が減少するという負性抵抗を示すことを発見した。
この発見は、物理学において固体でのトンネル効果を初めて実証した例であり、かつ電子工学においてトンネルダイオード(またはエサキダイオード)という新しい電子デバイスの誕生であった。この成果により、1959年に東京大学から博士の学位を授与されている。また、1973年には、超伝導体内での同じくトンネル効果について功績のあったアイヴァー・ジェーバーと共にノーベル物理学賞を受賞した。同年の物理学賞はジョセフソン効果のブライアン・ジョゼフソンにも与えられている。国外においては「レオ・エサキ(Leo Esaki)」の名で知られる。
1960年、米国IBM トーマス・J・ワトソン研究所に移籍。磁場と電場の下における新しいタイプの電子−フォノン相互作用や、トンネル分光の研究を行った。更に分子線エピタキシー法を開発し、これを用いて半導体超格子構造をつくることに成功した。
こころ ウィキペディアWikipedia)より
『こころ』(こゝろ)とは、夏目漱石の代表作となる長編小説。友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人より、恋人を取ったために罪悪感に苛まれた「先生」からの遺書を通して、明治高等遊民の利己を書く。

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文藝春秋』 特集 「名著再発見 60歳になったら読み返したい41冊」 2012年11月号
「こころ」 夏目漱石 【執筆者】江崎玲於奈(物理学者) (一部抜粋しています)
私が、当時、難関とされた第三高等学校(現在は京都大学の一部)に入学したのは、ちょうど17歳になったばかりの頃である。ここに2年半在学した後(通常は3年、戦時中のため半年短縮された)、東京帝国大学で物理学を専攻したのが私の学歴である。考えてみれば、私の人生で最も自由奔放に生きることができたこの高校時代が、実は私のハート(情)とマインド(知)の成長も極めて著しい時期でもあった。その理由は内外の本を読みあさったためであることは疑いない。私の心を動かしたものに夏目漱石の小説がある。中でも、最も感銘を受けたのは、自我に潜むエゴイズムの深淵に臨み、自己否定の自殺にまでたどり着く『こころ』という作品であった。漱石に引かれたもう1つの理由は、物事を解析的(analytical)に捉える傾向が強く、論理性もよく保っているので、充実感をもたらしたということである。
彼は超一流のサイエンス研究者になる資質を備えていた。一般に、日本人の作家には全体を1つにまとめて(holistic)把握することが巧みな人が多いように思われる。
夏目漱石と私に共通するところがあるとすれば、2人とも、東京帝国大学卒業(彼は1893年卒、私は1947年卒、東京帝国大学最後の卒業生)。そして彼は1900年、33歳の時に渡欧し、パリの万国博覧会を見ている。私は1958年、同じく33歳の時、ブリュッセル万国博覧会を見て、偉大な西欧文明に感動した。彼は2年間、ロンドンで英文学を学んで帰国したが、私は32年間、ニューヨークで物理学の研究をしたのち帰国した。両人とも30代に多かれ少なかれ西欧文化の洗礼を現地で受けているのである。
夏目漱石は、異質な文学風土に育った英文学には内在する文学性そのものの質が違うので、研究者の優劣にかかわらず、日本人にとってつねに了解不能の部分が残り続けると気がかりなことを言っている。しかし、サイエンスにおいては、日本人にとって了解不能の部分はあまりないであろう。というのは「こころ」にはハートとマインドがあり、文学は個性的なハートを、一方サイエンスは普遍的なマインドを基盤にしているからである。
さて、今回、文藝春秋からの話があったので、もう一度『こころ』に目を通してみた。最初読んだときから実に70年も経過している。この間、私も喜怒哀楽を伴うさまざまな「宿命的な出合い」を経験しただけに、漱石の鋭い心理描写には一層「こころ」が奪われるところとなったのである。
ところで、日本語の「こころ」にぴったりと対応する英語は存在しない。日本と西欧の文化の違いを言葉は端的に物語る。ハート(情)とマインド(知)、意味の異なる両者を「こころ」は含むことを、和英辞典は教えてくれる。漱石に『こころ』を英文に翻訳したエドウィン・マックレランはタイトルは英訳せず”KOKORO”としてそのまま残した。彼は訳本の前書きで、「こころ」の最適の英訳はラフカディオ・ハーンの言う「the heart of things・行為に伴うハート(筆者訳)」であると言っている。

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