じじぃの「よみがえる明治の文豪・漱石山房!老後に乾杯」

よみがえる明治の文豪 夏目漱石 動画 YouTube
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草枕(朗読:日高徹郎)―名作名文ハイライト 動画 YouTube
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老後に乾杯!

半藤一利さんと半藤末利子さん

(仮称)「漱石山房」記念館について 2013年4月17日 新宿区
(仮称)「漱石山房」記念館整備検討会
・期間 平成24年8月〜平成25年3月(月1回、全8回)
・会場 榎町地域センター(第3回は施設見学、第6回は新宿歴史博物館で開催)
https://www.city.shinjuku.lg.jp/kanko/bunka01_001437.html
『老後に乾杯! ズッコケ夫婦の奮闘努力』 半藤末利子/著 PHP文庫 2014年発行
漱石山房」への夢 (一部抜粋しています)
今、東京都新宿区が2017年の夏目漱石生誕150周年に向け、早稲田南町にある漱石公園に「漱石山房」(漱石の書斎)を復元する計画を進めている。
目下、漱石研究家、設計家、近隣住民らによる記念館整備討会で着々と準備が進行中である。私の父が生前これを残すことに情熱を傾けたことを知る故に「復元」を手放しで喜びたいが、漱石の孫である私の胸中は複雑である。
漱石は妻鏡子と結婚してから10回も引越した。熊本の家2軒(どちらも現在保存されている)と、犬山の明治村に移築された森鴎外も住んだ家は今も残されている。母筆子が娘時代に暮らした家はいずこも私にとって懐かしい。母が目に見えるように生き生きと語ってくれたからである。
漱石が英国から帰国して初めて構えた千駄木の家は、神経衰弱の最高潮に達していた時期と重なり、筆子は怖い父というイメージしか抱けなかった。が、早稲田南町漱石は、気分も穏やかになり、それは優しい父となった。
子供たちはカルタ取りに興じたり相撲を取ったりして漱石と遊んだ。客間と書斎2間に巡らされた回廊を、筆子を先頭に姉弟たちが鏡子の羽織などを頭からひっかぶって静々と歩いて見せたり、時にドタバタと鬼ごっこをして走り回ったりしても、漱石はむしろ子供たちの出没を楽しみつつ平然と執筆を続けていた。
私の父母が結ばれ子を授かり育てながら7年間も暮らした家でもあるから一層、私に親近感を抱かせるのかもしれない。父松岡譲は大正4(1915)年に漱石山房の門をたたき、わずか1年しか漱石の謦咳(けいがい)に接していない。しかし縁あって師の終(つい)のすみかの住人となったからには何としても山房を守らねばならぬと決意し、管理に努めた。季節によって掛け軸や生け花を変え、和紙の本や書画の陰干しをし、いつでも客人を迎えられるようにしていた。朝は戸を開け、部屋に風を通し、夕方には錠を下ろすことを怠らなかった。
ところが大正12(1923)年の関東大震災で、山房は倒壊や焼失を免れたものの、屋根瓦は落ち、壁ははがれ、ガラス戸や額は割れ落ち惨憺(さんたん)たる有り様となる。それらを寸分たがわず元通りに直したのも父である。100年先には日本の宝になるであろう、この山房を一夏目個人の私物に終わらせてはならない。次なる大災害に襲われる前に、公のものに帰すべきである、との感を強くした。
しかしまだ時代が早すぎて、自治体や一般人の文化に対する関心も薄く、他の弟子たちの熱意のなさも手伝って、父の願いがかなえられずにいるうちに、山房は第二次世界大戦(まさしく次なる大災害)中、米軍の空爆によって焼け落ち、面影を偲(しの)ぶよすがもなくなった。父の無念はいかばかりであったろうか、と今も私は悲しくなる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、半藤末利子 著『老後に乾杯! ズッコケ夫婦の奮闘努力』という本があった。
本の表紙カバーには、お年寄り2人が抱き合ってワインを飲んでいる絵が描かれている。
絵が面白くて借りてきた。誰が描いたのかと思って本のカバーの裏を見たら「挿画――半藤一利」と書かれている。あの『昭和史』の著者だ。漫画も描くのか。うまいもんだ。
半藤末利子さんは半藤一利さんの奥さんだった。そして、あの夏目漱石のお孫さんだった。
読んでいると、有名な作家がよく登場する。
「山房は第二次世界大戦(まさしく次なる大災害)中、米軍の空爆によって焼け落ち、面影を偲(しの)ぶよすがもなくなった」
夏目漱石が晩年を過ごした家は東京大空襲で焼け落ちてしまった。
今、夏目漱石生誕150周年にあたる2017年に向けて、「漱石山房」記念館を建てる計画が進んでいるのだそうだ。
ただ、東京大空襲で書いた小説の原稿などが無くなってしまった。漱石が出した手紙などを各地から集めているとか。2017年まで生きているかなあ。