じじぃの「バタフライ効果・天災は忘れたころに来る!世界を知る101冊」

The Butterfly Effect by Andy Andrews 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=-PggnK1FC3o

世界を知る101冊――科学から何が見えるか』 海部宣男/著 岩波書店 2011年発行
「科学のための科学」と「社会のための科学」 より
「天災は忘れたころに来る」とは寺田寅彦が1923年の関東大震災を調査した経験をふまえて、日ごろ弟子たちに語っていたことだそうである。雪氷学を創始した弟子の中谷宇吉郎がそのことを新聞のエッセイに書き、戦時中、新聞の「一日一語」に選ばれるなどで有名になった。関東大震災の日、9月1日の標語である。そうした経緯もほとんど忘れ去られた2011年3月11日、すさまじい東日本大震災は起きた。
マグニチュード9.0という東日本大震災の規模は、日本の有史以来の地震で最大である。津波の高さも規模も、非常なものだった。だが「未曾有だった」というのは、対策を怠った理由にはならない。津波の高さなら、局地的だが明治29(1896)年と昭和8(1933)年にも30メートル級が三陸を襲っている。最近のコンピューターシミュレーションは、今回の津波被害を予測もしていた。一部だが、予測を活かして災害を免れたところもある。要は、科学的な警告をどう発信し、政策側がどう受け止めるかである。
寺田寅彦は「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する」とも警告している(「天災と国防」)。これも今回起きたことであり、直下型地震が大都市に及ぼす被害の大きさは、神戸でも経験済みだ。人工のライフラインに頼る現代社会は抵抗力がひとたび破られるや、一気に瓦解する。自然の大災害は戦争にも劣らぬ惨禍を招くのだからと、昭和の軍備増強ムードの中で「陸軍海軍のほかに」災害に備える「もう一つの科学的国防の常備軍を設け」よと主張した寅彦の信念と勇気には、敬服のほかはない。
自然災害だけではない。科学が社会とその未来に関して発言し提言できることは、非常に多岐にわたっているし、増えつづけている。生物多様系の喪失も人為的地球温暖化の可能性も水の不足も、全地球規模での調査と科学的分析によって、はじめて明確になってきた課題である。科学の調査・研究がなければ、私たちはそうした問題に気付くもことなく、のうのうと暮らしていたことだろう。
生態系の問題は、1950年代のレイチェル・カーソンによる『沈黙の春』(青樹簗一訳、新潮文庫)を嚆矢として次第に理解が広がり、近年、ようやく世界的な議論や運動にまで広がった。
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何度も述べてきたことだが、科学は「知るための科学」であることを基本としてきた。つまり、好奇心を動機とする、サイエンス・フォー・サイエンス(科学のための科学)だ。ちなみに「サイエンス」という英語の原義は「知」「知る」である。
しかし世界の科学者団体の連合とユネスコによる世界科学者会議は1999年、サイエンス・フォー・ソサイエティ―(社会のための科学)というコンセプトを付け加えようと決議した。ここで述べた科学と社会との関係の変化を見据えての決議である。科学者は社会に対して重要な責務を負うことを認識し、科学は人類文明の現状を把握し着実な方向性を打ち出さねばならないという、決意表明でもある。これからの科学は、社会との緊張関係ではなく、協力関係を格段に強めてゆくだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
「天災は忘れたころに来る」は、寺田寅彦博士が言ったとされる。
大災害は予測不可能ということなのだろうか。
初期条件の小さなずれが結果に大きな変化をもたらし、結果が予見できなくなるような場合を「カオス」と呼ぶ。
秩序状態から突然に無秩序へ転移する問題については、寺田博士も注目していたらしい。
どっかでのチョウがはねを動かしただけで、ニューヨークに災害を引き起こす?
スーパーコンピュータで確率計算をしたら、ほんのちょっと可能性があったりして。