じじぃの「科学・芸術_249_セレンディピティ(想定外の発見)」

科学者が残した言葉 (5)寺田寅彦 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AHyI5d0whuE

チャンスは心構えした者にほほえむ――“セレンディピティ”を大切に (1/2) ITmedia ビジネスオンライン
「チャンスは心構えした者の下にほほえむ(Chance favors the prepared mind)」――ルイ・パスツール(細菌学者)
科学の世界での偉大な発明や発見というのは、偶発の出来事がきっかけとなることが多いと言います。例えば、A液をあろうことかまったく実験に関係のないB液のビーカーに偶然落としてしまった。すると、そこで思わぬ物質が発見された! とかそんなような偶発です。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1112/29/news004.html
寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて』 池内了/著 みすず書房 2005年発行
寺田寅彦が提唱した新しい科学 (一部抜粋しています)
寺田寅彦が亡くなった1935年は、偶然にも、湯川秀樹原子核内部に働く強い力の存在と、その力が働く機構を明らかにした年でもあった。物質の根源を探る物理学の最先端が原子の中心部に位置する原子核に及ぶようになり、原子核を構成する基本物質とそれらの間に働く力の性質がつぎつぎと明らかにされるようになったのだ。その行き着いた先が原子核反応に伴って放出される原子力エネルギーの利用で、たった10年後の1945年に原子爆弾が製造されて広島・長崎に投下された。寺田寅彦が夢想だにしなかったことである。
     ・
彼が、量的ではなく、質的研究が大事であることを強調する場合として、次の3つを指摘している。
「思いつき・直感」
まず第一点は、科学の方法に関わることである。質的な研究の出発点において、思いつきや直観の大事さを強調していることだ。
 物理学上における画期的な理論でも、ほとんど皆その出発点は質的な「思いつき」である。
と述べ、質的な研究の出発点は思いつきによって始まるとする。そして、重要なことは、全く新しい現象が「在る」ことを示すだけで十分であるという。思いがけない現象、誰も思いつかない現象を、思いつきであれ「在る」と指摘すれば十分なのである。
     ・
セレンディピティは、量的な研究から起こることではなく、偶然の思いがけない事象が手がかりとなって、質的な飛躍を遂げることに特徴がある。その意味で、幸運に恵まれていなければならないが、幸運だけでも不十分である。パスツールが「観察の場では、幸運は待ち受ける心構え次第である」と述べているように、「待ち受ける心構え」がなければ見逃してしまうからだ。それに、セレンディピティには、もう一つ「洞察力」が必要である。たとえ間違った実験であっても、なぜ間違ったか、間違いによって何が生じた蚊、それは従来の常識とどう異なっているか、などを深く洞察する能力のことである。それによって新しい地平が拓かれるのだ。
研究者は、誰でも一度や二度は大発見に近づくことがあるが、大ていは気づかないまま平凡な研究者で終わってしまう、と言われる。質的な発見には「待ち受ける心構えと洞察力」が必要なのだが、いずれか(いずれも)の能力に欠けているため幸運が訪れないのだ。私もその一人である。というわけでもないが、平凡な科学者は、既にわかっている数式を解いたり、「定量化」に励げんでいる限りは論文を書くことができるから、「すべてを量的に」の立場を取ることになる。そして逆に、思いつきや直観に頼って質的な発見を目指そうとする研究者を、「思いつきだけの研究者」と蔑んだりしている。おそらく寺田が言うように、めったに成功しないとしても、
 思いつきを非常に尊重して愛護し、また他人の思いつきを尊重する
態度が必要なのだろう。ところが、日本では思いつきは高く評価されず、「ただの思いつきに過ぎない」として、非難され葬り去られるのがオチである。質的な発見を高く評価し、そのきっかけとしての思いつきや直観の重要性を認識すること、これが寅彦が科学の方法論として強調したのである。