じじぃの「科学・芸術_255_アポトーシス(細胞死)」

科学映像館 MEDICAL Apoptosis アポトーシス 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=M6uUqH688xc
落葉

apoptosis

落葉植物と常葉植物の違い みんなのひろば
以前、授業で落葉植物は離層と呼ばれるところから葉っぱが落とされると習いました。そこでふと疑問に思ったのですが、椿などの常葉植物では離層を作る必要が無く、それは何故なのかと思い、ここに質問させて頂きました。落葉植物が葉を落とさねばならない理由、また常葉植物が葉を落とさなくても良い理由などを教えて下さい。
https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=3626&key=&target=
寺田寅彦と現代―等身大の科学をもとめて』 池内了/著 みすず書房 2005年発行
寺田寅彦が提唱した新しい科学 (一部抜粋しています)
寺田寅彦が亡くなった1935年は、偶然にも、湯川秀樹原子核内部に働く強い力の存在と、その力が働く機構を明らかにした年でもあった。物質の根源を探る物理学の最先端が原子の中心部に位置する原子核に及ぶようになり、原子核を構成する基本物質とそれらの間に働く力の性質がつぎつぎと明らかにされるようになったのだ。その行き着いた先が原子核反応に伴って放出される原子力エネルギーの利用で、たった10年後の1945年に原子爆弾が製造されて広島・長崎に投下された。寺田寅彦が夢想だにしなかったことである。
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寺田は生命が複雑系であることも十分に心得てはいた。生物を対象とした数多くのエッセイにおいて、生物の不可思議な能力や生物行動の法則性について触れているからだ。いくつか例を挙げてみよう。
アポトーシス
寺田寅彦は、現在、「アポトーシス」と呼ばれる生物現象に気付いていた。アポトーシスとは、遺伝子にプログラムされた細胞死のことで、しかるべき時期に細胞が死を迎えるようセットされており、それによって生物の形態形成が完成する仕組みとなっている。秋の落葉、昆虫の変態、おたまじゃくしの尾の消失、指の形成、などがその代表制である。また、皮膚や消化器官の上皮組織、赤血球や脳細胞など、細胞がある期間働いた後に死を迎える場合にもアポトーシスが起こる。体の細胞の新陳代謝に欠くことができないメカニズムなのである。さらに、細胞のDNAに損傷が生じて修復できない場合にもアポトーシスが起こることも知られるようになった。修復できない場合、細胞が自発的に死に向かうのだ。アポトーシスが働くなったのががん細胞で、本来は死ぬべきなのに、死なずにどんどん増殖する一方なのである。まだ、外にもしられていないアポトーシスの役割がありそうで、生命体が真っ当に生きるための細胞死の役割は非常に大きいのだ。
寺田は、「藤の実」(昭和8年4月)の中で、アポトーシスに気付いたことを記述している。ある日、藤豆が一斉にはじけるのに遭遇する。そこで、枯れ死しているような豆の鞘から、どうして藤豆がはじけるのかの機構を研究するのだが、もう1つ大事なことに思い至った。
 直物界の現象にもやはり一種の「潮時」とでもいったようなものがある
ということである。春の庭先で風もないのに椿の花が一斉に落ちることに気付いていた。また、銀杏の葉が
 ほとんど突然にあたかも一度に切って散らしたように沢山の葉が落ち始めた。驚いて見ていると、それから十余年を距てた小さな銀杏も同様に落葉を始めた。まるで申し合われたように濃密な黄金色の雪を降らせる
のを目撃したのだ。「どこかでスイッチを切って電磁石から鉄製の黄葉を一斉に落下させたとでもいったような感じ」を持った。そこで考えたのが、
 葉という物質が枝という物質から脱落する際には、ともかくも一種の物理学的の現象が発現している事も確実である
ということであった。「潮時」と呼んだ「物理学的の現象」が存在することを確信したのだ。まさに、アポトーシスの存在を予感していたと言える。(アポトーシスは、ギリシャ語で「離れて」「落ちる」の意味がある。彼が
 このことはあれわれに色々な問題を暗示し、また色々の実験的研究を示唆する。もしも植物学者と物理学者と共同して研究することができたら案外面白いことにならないとも限らない
と書いているように、実際に細胞レベルでの落葉メカニズムについて、植物学者と物理学者の共同研究が行われていれば、アポトーシスの発見は日本人の手になっていたかもしれない。