じじぃの「人の生きざま_641_アンドリュー・ワイリー(生化学者・アポトーシス)」

アポトーシスの主経路ウィキペディアより)

細胞―第8章 「遺伝子にプログラムされた細胞死」の発見物語
アポトーシスという言葉はギリシャ語に由来していて,ギリシャの詩人ホメロスは「秋に木の葉が散ること」にアポトーシスという言葉を使っています。1972年になって,アバディーン大学のアルステア・キュリーが,生きた組織中で死んでいく細胞の特徴的な形態変化をあらわすのに,アポトーシスという言葉を使ったのです。
キュリーの教え子のアンドリュー・ワイリーは,アポトーシスしている細胞がどれも同じように独特な外見(細胞質とクロマチンが凝縮している)をもつことに気づきました。ワイリーは,副腎でつくられるホルモンのグルココルチコイドがどのようにして胸腺でおきる細胞の自殺の引き金を引くのかを調べていました(胸腺は首のつけ根にあって,免疫をつかさどる組織です)。
https://www2.newtonpress.co.jp/search2/e_book/ebook/e2000/e200008/mm200008p096e.html
Andrew Wyllie From Wikipedia
Andrew H. Wyllie FMedSci is a Scottish pathologist. In 1972, while working with electron microscopes at the University of Aberdeen he realised the significance of natural cell death. He and his colleagues John Kerr and Alastair Currie called this process apoptosis, from the use of this word in an ancient Greek poem to mean "falling off" (like leaves falling from a tree). He completed postdoctoral training in Cambridge and became Professor of Experimental Pathology at the University of Edinburgh Medical School in 1992. He left Edinburgh for Cambridge in 1998 His works have contributed to the understanding of apoptosis in health and in disease, and he continues to lecture to undergraduate medical and natural sciences students in Cambridge today.

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ミトコンドリアが進化を決めた』 ニック・レーン/著 みすず書房 2007年発行
殺人か自殺か 体のなかの対立 (一部抜粋しています)
このようにアポトーシスは、発生においては重要性が認識されていたにもかかわらず、その成体での役割が正しく求められたのはずっとあとだった。アポトーシスという名前そのものは、1972年、当時アバディーン大学にいたジョン・カー、アンドリュー・ワイリー、アラステア・カリーが、同じ大学のギリシャ語の教授だったジェーミズ・コーマックの提案に従って生み出した。この言葉は「剥がれ落ちる」ことを意味し、『英国ガン雑誌(British Journal of Cancer)』に掲載された彼らの論文のタイトルで、次のように初めて使われた――「アポトーシス 組織の動態において幅広い意味をもつ基本的な生体現象」。アポトーシス(apoptosis)は本来ギリシャ語なので、2番目の「p」は無声となって「アポトーシス」と発音される。この言葉の使用は、古代ギリシャの医師ヒポクラテスまでさかのぼる。そのときは「骨が剥がれ落ちる」という意味で使われ、壊疽(えそ)で巻いた包帯のなかで、骨が砕けて崩れ落ちることを指すあいまいな表現だった。のちにガレノスは、その意味を「かさぶたが剥がれ落ちる」ことなで押し広げている。
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アポトーシスを熱烈に支持するアンドリュー・ワイリーなど少数の研究者は、10年以上にわたり、生物学界の冷たい仕打ちに耐えた。だがその後ワイリーが、アポトーシスでは染色体が断片化し、その断片に梯子状の特徴的なパターンが見られることを生化学的分析で明らかにすると、懐疑派が心変わりしだした。この発見によって、アポトーシスは実験室で検出できるようになり、電子顕微鏡のノイズではないかと否定的だった生化学者たちのしつこい疑念が払拭された。しかし、本当の転機は1980年代の半ばに訪れる。そのころボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)にいたボブ・ホーヴィッツが、線虫ケノラブィディス・エレガンス(C・エレガンスと称される)でアポトーシスに関与している遺伝子の同定に乗り出した。この研究により、彼は2002年のノーベル賞を分けあっている。      ・
1990年代の初頭までには、ガンの原因としてすでに触れた多くのガン遺伝子やガン抑制遺伝子が、アポトーシスへの作用を通じて実際に細胞の運命をコントロールすることが明らかになっていた。すなわち、死の遺伝子に変異が起こり、アポトーシスによる自殺ができなくなった細胞から、ガンが生じるのである。死の遺伝子は、通常の状況で細胞にアポトーシスを引き起こす遺伝子なので、ガン遺伝子やガン抑制遺伝子もその範疇に入りうるが、どちらの遺伝子も、体全体の利益のために細胞が死のうとするのをやめさせることができる。ワイリーは当時こう語っている。「ガンへの切符には、アポトーシスへの切符が一緒に付いている。アポトーシスへの切符がキャンセルされないと、ガンにはならないだ」
細胞死プログラムを実行する「死刑執行人」は「カスパーゼ」タンパク質である(生化学者が最初に付けた「システイン依存性アスパラギン酸特異的プロテアーゼ」よりはずっと響きのいい名だ)。いまや動物では1ダースを超える種類のカスパーゼが見つかっており、その大多数がヒトでも機能している。カスパーゼはみな基本的に同じ働きをする。タンパク質を切り刻むのだ。