じじぃの「科学・芸術_232_ポーランド人気質」

Polonaise (Pushkin Ball 2011) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=o3e1OH1BpjA
ポーランド

第二次大戦開戦70年と「歴史見直し」論
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まりました。その2週間後、ソ連軍が東側からポーランドに侵攻してポーランド共和国は崩壊。独ソは戦わず、両国でポーランドを分割占領しました。
同時にソ連はバルト3国を併合し、フィンランドに侵攻。ソ連の最高指導者スターリンは、旧ロシア帝国の領土を再び手に入れようとしたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~mogiseka/article/090906_70th_anniversary_0f_WWII.htm
ポーランド人のまっかなホント』 エヴァ・リプニャツカ/著、加藤洋子/訳 マクミランランゲージハウス 2000年発行
外国人はポーランド人をどう見ているか より
ナポレオンからチャーチルにいたるまで、ポーランド人を激しい夢想家と見ていた。つまりは「御しやすい短気者」ということだが、ずばり正鵠(せいこく)を射ている。
カーター大統領は「ポーランド人に性的欲求を覚える」と口走ったが、なにもこれは彼が精力絶倫なせいではなく、通訳の能力不足のせいだ。イギリスの作家クウェンティン・クリスブは、ポーランドを「国家ではなく、不健全な精神状態だ」と評した。
戦前まで、ポーランドは「中部ヨーロッパ」の一部と考えられていた。戦後は、国自体がかなり西へ移動した(東部をソ連に奪われ、西部をドイツから奪った)にもかかわらず「東ヨーロッパ」に組み込まれた。ベルリンの壁が崩壊し、バルト海沿岸諸国が独立すると、ポーランド自体は寸分動いていないのに、また「中部ヨーロッパ」の国に戻った。
だから、ポーランドがどこにあるのか知らない人がたくさんいてもしかたがない。オランダ(ホーランド)と混同している人もいる。おそらく北極(ノースポール)と結びつけたのだろうが、1年中雪に覆われている国と想像する人も多い。
ポーランド人のまっかなホント』 エヴァ・リプニャツカ/著、加藤洋子/訳 マクミランランゲージハウス 2000年発行
転ばぬ先のブラテルストヴォ より
権力は富をもたらす。だが、ポーランド人は、権力を手に入れようとあくせくしない。
そもそも金やものにあまり価値を置いていないのだ。財産は一過性のものだということを歴史からいやというほど学んだうえ、利潤をあげることは犯罪であると共産主義のもとで叩き込まれたのだからいたしかたない。だがいまは、その犯罪をあえて起こそうとしている。商売下手は国民性とうより、悪しき歴史のなせる業(わざ)だ。
過去50年にわたる共産主義による洗脳にもかかわらず、ポーランド人はいまだに上流社会に憧れを抱いており、紋章について書かれた本はひと晩で売りきれてしまうほどだ。歴史的に見ると、ポーランド人は地主階級(それもほとんど貧乏だった)か農民のいずれかに属していて、中産階級は存在しなかった。もっとも地主と農民の違いも、紋章をつけているかどうかの差にすぎなかったのだが。
しかし文化の面で見れば、いまに受け継がれているのは農民の伝統や踊りや芸術である。現在でもポロネーズマズルカを上手に踊る人たちがいるし、だれでも民謡の1つや2つは上手に歌う。
ポーランドは自国民に爵位を与えなかった。べつに爵位を嫌っているわけではないが、伯爵や公爵など貴族の称号は外国から与えられたものだった。
そのかわり、学問的あるいは職業的な称号は”パン”(ミスター)や”パニ”(ミズ)と並べてよく用いられる。親しい間柄になれば、パンやパニがとれて”ティ”(あなた)だけになる。医者なら「パン・ドクトル」あるいは「パン・プロフェソル」と呼ばれ、学者の場合「パン・プロフェソル・ドクトル」と呼ばれることも珍しいことではなく、もっと仰々しい呼び方もある。もし不用意に「理学士」と名前のあとに書こうものなら「パン・インジニェル(エンジニア)」と呼ばれ、ボイラーの修理に来たといっても、学士様がまさかと信じてもらえないのかもしれない。
過去の歴史を振り返れば、たいていの侵略者が知識人たちを壁に並べて射殺している。それにもかかわらず、知識人になりたいという人がいるとすれば驚きだが、ポーランド人はだれもかれもが知識人になりたがっている。だからポーランド人を相手にするときには、知識があればそれをひけらかすにこしたことはない。ポーランド人は知ったかぶりする人が大好きだし、どんな分野の専門家でも名士扱いにする。
ただし、メッキが剥がれる前に、ブラテルストヴォ、つまり兄弟の杯を酌み交わしておくことだ。ブラテルストヴォには一緒に飲みはじめてボトルの半分が空(あ)いたころに入る。向かい合って座り、右手に酒の入ったグラスを持ち、腕相撲をするように互いに右腕を交差して、中の酒をシャツにこぼさないでなんとか口におさめる。