じじぃの「シュメール人の故郷はジョージア(グルジア)か?新世界地図」

Dark Secrets of the Black Sea - Uncovering Lost Civilization - FEATURE 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=vKakFvlD5MM
Georgia, Black Sea

『トルコを知るための53章』 大村幸弘、永田雄三、内藤正典/編著 赤石書店 2012年発行
世界最古の文明を築いたトルコ人 より
「トルコ史テーゼ」とは、いったいどんな内容なのであろうか? 要約すれば、それは「氷河期に中央アジアは水と緑にあふれる理想郷であった。そこの「原住民」であるトルコ人は、世界に先駆けて高度な文明を建設した。やがて、氷河が後退し中央アジアが乾燥化すると、彼らはこの高度な文明をたずさえて世界各地に移住した。東へ移動した人々は最古の中国文明を、南へ移動した人びとは古代インド文明を、南西に移動した人びとはシュメール文明を、さらに南へ下った人びとは古代エジプト文明を、さらに西へ移動した人びとはアナトリアヒッタイト文明を、さらに西へ移動した人びとはエーゲ文明を、そしてさらに、海を渡って西へ移動した人びとはエトルリア人となってローマを建設した、あるいは古代文明の建設に大きな役割を果たした」というものである。私は、最初、このテーゼを読んだときには、そのあまりの荒唐無稽さに驚いたものである。だが、一方では、なぜこのようなテーゼができあがったのだろうかという疑問と興味を覚え、少しばかり調べてみた。

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『世界地図の新しい読み方』 ロム・インターナショナル/編 KAWADE夢文庫 2017年発行
ロシアだけが認めるジョージア内の2つの独立国 より
最近、スポーツの国際大会を見ていて、なじみのない国名を見聞きした記憶はないだろうか。ジョージアというカフカス地方の国だ。この国もソ連邦の崩壊で独立した国の1つである。これまで日本では、ジョージアグルジアと呼んでいたが、国連加盟国の多くがジョージアと呼んでいることから、2015年に呼称を変えた。つまり、グルジアの日本での新名称がジョージアということになる。
そのジョージアの国内に、ロシアだけが独立を認める国が2つも存在する。アブハジア自治共和国南オセチア自治州だ。
ジョージアは、1991年の独立以降、ロシアとたびたび対立するようになった。2008年にはグルジア紛争と呼ばれる大規模な武力衝突を起こし、外交関係の断絶にまで至っている。その対立関係の1つが、実はアブハジア南オセチアの問題なのである。
アブハジアにはアブハズ人という民族が暮らしており、ソ連時代からジョージア内にありながら、一定の自治を認められていた。しかしソ連崩壊が近づくと、ジョージアに統合されることを恐れ、ジョージアとの対立を深めていく。
そして1991年、ソ連からジョージアが独立すると、アブハジアは独立を宣言。これをきっかけにジョージアアブハジアは内戦状態に突入し、ロシアの援助を得たアブハジアが勝利をおさめたのである。
南オセチアもまた、アブハジアと同じような経緯でジョージアと衝突している。
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2008年8月、ジョージアが独立を主張する南オセチアに侵攻すると、ロシアが反撃に打ってでた。さらにロシアは、アブハジアにもロシア人保護を名目に介入し、ジョージアを追い詰めた。
一方、ジョージア側にはアメリカが味方し、米ロ直接対決の一歩手前まで進展する。この危機はEUが仲介したことでおさまったが、ロシアは南オセチアアブハジアの独立を承認したため、問題がますます複雑化してしまったのである。
現在、南オセチアアブハジアを独立国として認めているのはロシアぐらいで、欧米諸国や日本はみな承認していない。しかし、ジョージア国内に実質的な独立国が2つ存在するということは、紛れもない事実となっている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
メソポタミア文明の前に、シュメール文明があったとする説がある。
シュメール人はもともと中央アジアの草原地帯で遊牧生活を営んでいたが、黒海カスピ海に挟まれた地域では農耕が始まっていた。
約1万年前の気候変動で、地中海の海面水位が上がり、黒海に流れ込んだ。黒海の沿岸に住んでいた人々は山に逃げて難を逃れた。(方舟ではなかったようだ)
農地を塩害にやられたシュメール人メソポタミアやインドに移動したのだという。
今のジョージアグルジア)周辺がシュメール人の故郷なのだろうか。