じじぃの「科学・芸術_210_気候変動・北アフリカの砂漠化」

The Sahara Desert 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=L7XrabWYHSg
タッシリ・ナジェール 泳ぐ人
世界まる見え! 「サハラ砂漠に黒い人骨 白い人骨?」 2016年11月7日 日本テレビ
【司会】所ジョージビートたけし 【ゲスト】上地雄輔小峠英二(バイきんぐ)、高橋英樹滝沢カレン
信じられない映像連発 野生の動物が人間に見せた愛情表現!
サハラ砂漠のど真ん中から黒い人骨が次々発掘
2000年、シカゴ大学の研究チームがサハラ砂漠で複数の人骨が発見した。
発見場所はナジェールのゴベロ地域。最初は動物と思われたが少し離れた場所には人間の足や腕の骨、頭蓋骨と思われる骨が散らばっていた。放射性炭素年代測定法で骨の年代を調べると、約6000年前のものだと分かった。2005年、黒い人骨が白い人骨に混じって数十体も出てきた。
黒い人骨の足は折り曲げられ、手は顔の前で組まれていた。発見された黒い骨は小さく折りたたまれた状態だった。ポール・セレーノ博士は埋葬されたものと考えた。たぶん川で溺れたのではないかと推測する。そして白い骨はみんな横向きに寝ているような状態で遺体に人の手が加えられたようだった。
骨が見つかった場所は3つのエリアに分かれておりそこは全て丘の上である事が分かった。この場所からは石で作られたアクセサリーや陶器の破片が見つかった。銛(もり)や釣り針、カメの甲羅などが出てきた。
かつてここは、川が流れる草原地帯だった。黒い人骨は川底で骨がマグネシウムと反応したためと考えられる。
http://www.ntv.co.jp/marumie/
『気候文明史』 田家康/著 日本経済新聞出版社 2010年発行
北アフリカの砂漠化 (一部抜粋しています)
今日、サハラといえば生物が生活できない究極の亜熱帯砂漠である。しかし、9000年前から8000年前にかけて、地中海沿岸からの移住が活発化し、狩猟採集を基本としつつ、食料を安定化させるためにヒツジの牧畜が営まれていた。北大西洋の海底コアにはサハラから風により運ばれた塵が含まれており、この塵の量からサハラ西部では6500年前から乾燥化が始まり、5500年前から降水量が減少し、その後ゆっくりと砂漠化の道を歩んでいったことがわかる。
サハラ砂漠の中央部、アルジェリア南部の山岳地帯にあるタッシリ・ナジェール遺跡の壁画は、少なくとも7000年前にさかのぼるものだ。5000年前に描かれた壁画には、川で泳ぐ人の姿やボートやカヌーが描かれており、水量の豊富な地域であったことがわかる。現在でもサハラ砂漠の下には広大な帯水層が存在している。オアシスとよばれる地域は、砂漠地帯の一部で地下水が地上に噴き出た箇所でおよそ90ヵ所あり、点在する村での農業や生活のために利用されている。
タッシリ・ナジェール遺跡からさらに南方に位置するチャド湖は、8000年前には33万平方キロメートルと現在の20倍以上の面積を持っていた。水位も5000年前では現在より30メートルから40メートルも高く、多くの魚が泳いでいた。チャド湖周辺の降水量も、8000年前には年間200ミリメートルから240ミリメートル、5000年前でも年間50ミリメートルから150ミリメートルを維持していたのに対し、現在ではごくまれにしか雨は降らない。サハラ砂漠の南側の草原地帯サヘルも同様で、花粉分析から5000年前頃には年間降水量は650ミリメートルと湿度も十分あるサバンナが広がっていた。現在では350ミリメートルとほぼ半減している。
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近年の地球温暖化によりサハラが砂漠化しているとの意見がある。しかし、サハラが砂漠化は、完新世の気候最適期以降に始まった寒冷化の中で非常に長い年月をかけて継続的に進んできたものだ。またヤンガードリアス期より以前の最終氷期では、サハラ一帯は現在よりも幅広い地域が砂漠化しており、サハラ砂漠の南限は北緯10度と現在よりも緯度にしておよそ5度南下し、熱帯雨林の北限は北緯2度と現在よりも同じく3度ほど赤道側に寄っていた。自然要因による気候変動の大きなサイクルの中で、サハラの地表は草原と砂漠を繰り返しているのだ。
20世紀以降のサハラ砂漠の拡大については、地球温暖化の影響というよりも、砂漠地帯の南側の草原地帯サヘルで牧畜民の人口が増加し、それにともなって数が増したヤギやヒツジが若芽も含めて草原地帯の植物を食べ尽くしていることが大きな原因と考えられる。開墾も土地の砂漠化の一因である。農地の場合、熱帯雨林や草原に比べて水蒸気を保有する量が少ないため、乾燥化が進む。「鍬を入れると、干ばつがやってくる」といわれるゆえんだ。
エジプトでは、4900年前にゾウやキリンは希少動物となり、4600年前にサイとともにエジプトから姿を消していった。もともと赤道を挟んでアフリカ中央部に棲息していた動物が草原を越えてアフリカ北部まで渡ってきたのであり、サハラの砂漠化によりその経路は遮断されてしまった。第2次ポエム戦争でハンニバルがアルプスを越える際に乗ったゾウは、アルジェリアの海岸沿いに隔絶された種としてわずかに生き残っていたものである。北アフリカのゾウは3世紀に絶滅する。
サハラが究極的に乾燥した世界となるのは、比較的新しく1500年前からだ。主流のワジは3000年前から2000年前までは残っており、人工衛星サハラ砂漠を撮影すると、古代に作られた灌漑用水が砂の下から浮かび上がってくる。現在のようなサハラの究極的な砂漠化は、けっして先史時代から続いているものではない。